ちょっと頭に浮かぶ

はてさて、あれこれ考えているのは本当に私? それとも私ではない別の何かかしら? だったら、それはいったいどんな存在。!?

憎悪と愛

2017年02月22日 11時14分48秒 | 随想
憎むとは否定である。その存在を認めないゆえに憎悪という感情が発現する。

裏を返せば自己肯定である。その存在を否定することで自分を肯定する。
つまり憎悪は自己肯定の一手段なのである。

しかしこのような手段でしか自分を肯定することが出来ないというのは不幸なことである。否定すべき存在なくして自分が立ち行かないのでは、否定すべき存在を存在させ続けなければならないからである。この矛盾を生きる愚かさ。

否定すべき存在がないと自分を肯定出来ないのは弱いからである。自律する強さがないからである。

憎悪にまみれた人というのは弱く愚かで不幸な人なのである。
否定すべき存在によらず自分を肯定出来るようにならねば救われない。

自身で肯定出来れば、否定すべき存在は無用であり、全存在を肯定出来る。それを愛というのである。

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