マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

八重山諸島の旅 ③

2009年11月30日 | 喜働

二日目は、西表島です。

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えっ? 肝心のレクチャラーはどうなったか?

それは … 反省しております。 それしか言えません。

前夜の 『経営者の集い』 は、まぁ、良かったかな。 それなりに。

問題は、その後。

いやぁ。 石垣島の夜は楽しいです! 記憶を失うほどに…

 

写真は、八重山倫理法人会の米盛会長様そして幹事の皆様と。

 

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ここまでは良かったんですよ。 この店までは。

 

と言うことで、翌朝のモーニングセミナーは…

それは、省略でございます。

 

省略して、西表島行きの船に乗り込みます。

一人旅には慣れました。 でも、それは慣れただけで、一人が好きと言う訳では無いのです。

ず~っと、人と喋らないでいると、日本語を忘れそうです。 ただでさえ、日本語がおかしいんだから。

忘れないように、隣に座った二人と会話。 姫路からの社員旅行で、今回が第4班だそうです。

「これまでは、どの班も 雨に祟られました」 この日も、40%の降水確率。 今は晴れているけれど、とっても心配していました。 

「大丈夫ですよ」 と私。 「私と一緒だから。 私の日頃からの行いが良いという 『だけの』 理由で、今日の西表島は晴れますよ!」

残念なことに、私の類い希なる神通力について理解することは難しい様子でした。 もう少し正確に言えば、普通の人間だとは思っていない素振りさえ見受けられました。  これは、まあ、あることです。 因果応報というか、人間の神通力というか、そういうことを理解出来ない人は居ますから。 私は度量が大きいので、そんな人でも受け入れます。

さて、そうこうする内に、到着。

私だけのお陰で(くどい!) 晴天となった西表島に。

 

 Dscn2352  

 

 

ここから、いよいよ西表島の秘境ツアーが始まります。

ツアー名は、『マリュドゥ・カンビレーの滝と由布島』 

 

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途中で、電線に留まっていた、「カンムリワシ」 。 特別天然記念物。 日本での生息地は、西表島そして石垣島と与那国島だけだそうです。 

 

いつまでも、八重山諸島の旅らしくならない。 それは、何故? 酔って記憶から消えた? いえいえ、大丈夫。 次回からは、いよいよ!

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八重山諸島の旅 ②

2009年11月27日 | 喜働

石垣島に上陸。 暖かい!

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八重山倫理法人会の米盛会長が、直々に迎えに来て下さいました。

そう。 今回は、倫理法人会の公用なのです。 『法人レクチャラー』 として、派遣して頂いたのでした。 だからタイトルは、「八重山倫理法人会で話す」 が正しいのです。 が、せっかくの八重山なので、業務のやり繰りをして 観光の時間も取ったのでした。

米盛さんに、車で ホテルまで送って頂きます。 車内にはエアコンが効いてます。 北九州では、スーツだけだと寒かったのですが。

今夕18時半にロビー待ち合わせとなりました。 それまで、4時間近くあります。 米盛さんから島の情報を教えて頂きまして。 先ずは着替え。 半袖に。 それでも暑いくらいです。

ホテル内のサービス・カウンターで、明日の予約。 どこへの? もちろん、西表島の観光ツアーです! カウンターの女性も米盛さんです。 何か、とっても良い兆しを感じます。 機内で禊ぎは済んだような。

と思っていると、彼女がパソコンで調べてくれて。 「降水確率40%ですね。 西表島は ずっと雨が続いています。」 大丈夫。 私は晴れ男。 普段の私の行いが良いというだけの理由で、いつでも晴れます。

続いては、レンタル・バイク。 ホテル前の 『くまのみレンタカー』 へ。 3時間で 1,500円。 安い、かな

貸出の女性に 「保証料は?」 と尋ねれば、笑って首を振られました。 そう? 島だから?  久々のバイク運転。 行くぞ!  

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この日の愛車(原付バイク)と。 8月の沖縄に続き、孤独な一人旅? セルフタイマーの使い方だけが 上達していきます。 

行き先は、田平湾。 「石垣島は、ここにいかなけりゃ、ね」 という二人の米盛さんの言葉通りに突っ走ります。 何しろ、信号が少ない。 見通しは良い。 風を切って爽快! で、スピードは あっと言う間に60㎞。 ガイドブックを思い出します。 「速度違反で捕まる観光客多し」 何よりも自制心。 私に、最も欠けている要素なんだけれども、ね。  

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田平湾。 バイクで約30分でした。 美しく澄んだ海色は、空を映して変化していくそうです。 一人旅には それなりの良さはあるけれども、美しさを語り合う相手が居ないことは、とっても寂しい。 こんなとき、傍らに愛しいあなたが一緒なら本当に幸せだけど、ね。 

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田平で。 地元の高校生が教えてくれた店で食べた 「八重山そば」。 かなり美味しかった。 座り込んで米軍兵とタバコを吸ってた高校生は、見た目で判断できないほど人なつこく親切でした。 眉毛は無かったけど(笑)

再び 原付バイクの制限速度(当然に30㎞)を気にしつつ、ガイドブックに従って観光。 暮れゆく石垣島を ホテルに向かいました。

バイク返却前に給油。 135円。 なんだか、とっても得したような。

 

 

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初日の宿泊。 ホテル日航 八重山。

  

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八重山諸島の旅 ①

2009年11月24日 | 喜働

2泊3日で八重山諸島に。

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石垣島、西表島、由布島、竹富島 と巡りました。

素晴らしい島々。 その思い出の前に、機内での話。

石垣島への直行便は 10月で廃止となったため、福岡空港から那覇空港経由で入ります。

カウンターでシート希望を尋ねられて。

「窓側が御希望ですか?」 「はい」

「あいにくと、翼の上になりますが」 「じゃ 通路側を」

「もし最後部で宜しければ、窓側席が御用意できます」

最後部? 21列だけの飛行機だね。 「最後部の窓側で御願いします」

「はい、かしこまりました。 那覇からも窓側が宜しいですか?」 「はい。 混んでますか?」

「いいえ。 今のところ 空席が多いので、3列目の窓側が準備できます」 「御願いします」

と、チェックイン完了。 バッグを預けて彷徨いていると。 私が搭乗する 沖縄便名を言って、「団体代表の△△様、カウンターまでお越し下さい」

少し経って、再び同じ便名。 「沖縄行きの▲▲便は、都合により使用する飛行機を変更しましたので、搭乗手続きを暫く休止します」

飛行機を変更? さっきの団体に手配ミスでもあって、席の調整をしているだけだろう。 そんなことを思いながら 朝飯を食べて、さて搭乗。

すると。 ゲートでプリントされた搭乗券は後ろから2番目の 『通路側』。 乗務員に 「変わったの?」 と尋ねると、「窓側席が、飛行機の変更の都合で通路側になりました。 申し訳ございません」

仕方ないか。 怒るほどのことでもないと、座席へ。 すると。

周りはすべて、同じ団体の搭乗客。 座っている私の頭越しに会話、そしてモノのやりとり。

そりゃあ、ないでしょう。 俺は 後部座席が好きで頼んだ訳じゃない。 窓側を希望しただけ。 それが、勝手に通路側に変更されて、しかも後部の団体のド真ん中になっているとは!

よほど文句を言おうと思ったけれど。 地上での変更だから、彼女らに文句言ってもね。

忘れるよう努力。 「到着が20分遅れます」 と、機内アナウンス。 えっ? 確か、那覇では石垣島便への乗り換え時間は20分しかなかったよね。 大丈夫?

着陸。 さあ、急いで降りよう。 と言っても最後尾。 狭い機内で かき分けることも出来ないよ。

幸いに、乗り換えゲートは直ぐ近く。 もうフライトの時刻。 後ろを振り返れば、私だけ。 何人乗り換えたか知らないけれど、既に全員が機中の模様。

今度こそ窓際。 3列目のF席。

こちらですね。 と指し示された窓側のF席。

その隣のD席・E席には、おばあちゃんが二人。 離陸前の座席で、すっかり くつろいでいる。 膝に広げられた お菓子の袋。

ふとA列の側を見れば。 1列目から4列目までで、座っているのは1列目のC席だけ。 あとは すべて空席。 すべてとは、即ち全部。 12席あって座っているのは、一人だけだよ。

「こっちに座るよ」 と、A席側を指差す私。 すると。

「離陸してから、移動されても結構ですよ」

バカか、お前は。 この くつろいでいる おばあちゃん達を立たせたくないから、言ってるんだよ。 今の話だよ。 それに、離陸して移動してたら、また おばあちゃんが 立たないといけないじゃないか。

そう言う間に、とっても従順な おばあちゃん達は、既に立ち上がりつつある。 膝に広げていたお菓子なんかを袋に入れて。

これ見て、何とも思わないのかよ!?

結局、立ち上がって待っている おばあちゃん達に御礼を言って着席しました。

そして。 A席側は、1列目から4列目まで、全ての座席で たった一人だけが座った状態のまま。 最後まで!

ANA よ!  君たちの考える、『乗客サービス』 というものを 俺に教えてくれ!!

 

と、上陸する前の事で始まりました。 次から やっと八重山諸島です。

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金婚式

2009年11月23日 | 家族

家内の御両親が 金婚式を迎えました。

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いや。 迎えるべき日が今日でした。

義父は 今年の5月29日に、享年75歳にて逝去したのです。 二人で迎える金婚式だったのに、返す返すも残念です。

義母だけになりますが、家内の弟(長男)の発案により、両親の金婚式を執り行ったのです。 遺影で出席した父には、陰膳を供えさせて頂きました。

家内と弟二人から、義母にはネックレスを贈りました。

昨日までとは違う、暖かい陽射しのもとで 亡き父を偲んだ金婚式のお祝いと会食でした。

50年は長いですね。

私が今までに出席した金婚式は、母方の祖父母のときだけ。 一回きりです。

兄弟姉妹の多い家系でしたから、とっても沢山の方々が祝ってくれていたのを覚えています。 私は中学生だったと思います。 一族の集まりで、普段は聞けない貴重な話もありました。

とりわけ、戦争で亡くなった親族の話には、驚かされました。 人間魚雷 『回天』 で特攻死した母の従兄弟と母の姉との最後の会話 などなど…

当時は、まだ 『戦後』 が残っていました。

そして、一族の結束も強かった。

ふと 考えれば。 私たち夫婦も来年は 『銀婚式』 です。

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親不孝

2009年11月18日 | 喜働

『万人幸福の栞』 から。

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ちちのみの父に似たりと人が言ひし我まゆの毛も白くなりにき (僧 愚庵)

浅学というのは恐ろしいもので、この歌の 『ちちのみの』 ということばについて、何も考えずに、湯飲み茶碗のことかなぁ、と思っていました。

当然に、歌の意味など まったく判らないままでした。

これを、『万人幸福の栞・解説』 を読んで意味が解るまで、そのまま放っておいたのです。

なんとも、不熱心な会員であります。

さて。

『ちちのみの』 は、父の上につけて調子を整える枕詞なのです。 この歌の意味は、「父親とよく似ていると人からいわれて自分のこの眉の毛も、白くなったものだなあ、いよいよ、父に似てきたなあ」 というもので、父を切実にしのんでいるのです。

更に、作者について知らなければ、切実さを理解できません。 作者は、天田 愚庵 といい、15歳のときに維新の奥羽戦争に出陣して帰ってみると、父母、妹など離散して行方不明になっていました。 そこで親を捜して歩き回ったのです。

台湾の戦争に従軍し、東京や大阪に住んでも捜し続け、最後は京都で得度して、 明治三十七年、51歳で亡くなったのです。

愚庵は、一生 父母を捜し続けていたという、その生涯を知って初めて この歌の切実さを理解するのです。

この歌の前に 丸山創始者が書かれた文章は次の通りです。

『そうした中でも、最も大切な、わが命の根元は、両親である。 この事に思い至れば、親を尊敬し、大切にし、日夜孝養をつくすのは、親がえらいからではない、強いからではない。 世の中にただ一人の私の親であるからである。 私の命の根元であり、むしろ私自身の命である親だからである。』

ここまででも、充分に理解不足なのです。 加えて、この後の文章では、もっとひどい読み違えをしておりました。

『親が病気をするのは子が不孝だからである。』

これを、『不幸』 と読んでいたのだから、もはや “付ける薬が無い” 状態です。 ひどいものです。 本当に、親不孝です。

この箇所を読む度に、情けなくなるのです。

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