ウェブサイトを作るというのは非常に面倒です。
うだうだうだ・・・
と、まあここ何回かしつこく書いているわけですが、今日・・・も同じネタで行きます(笑
ウェブサイトの基礎、といわれて何を思い浮かべますか?
デザイン、コンテンツ、方向性・・・色々と考えることができますが、方向性はともかくとして、デザインなんかは例え大変でも、後で変更することも可能です。プログラムを組んだりすればそれもかなり楽になるでしょう。
ただ、変更は楽でも変えることができないものがあります。
それは「タイトル」です。
タイトルについては、サイト運営者に「変更してはいけない」という義務感が少なからずついてまわります。それは一種のネットマナーといっても良いのではないかともいえるほど、タブーとしては上位に位置するものです。
何故かというと、単純に常連を逃したくないという保守的な考えもあるのですが、それ以上に閲覧者に対して不快感を与えてしまうということがあります。
あくまでも私個人の考え方ですが、インターネット上で閲覧できるコンテンツはある種の公共財にあたると思うのです。パスワードをかけて特定の人々に対してのみ閲覧を可能としたりしている場合などは別ですが、基本的にインターネットというものは全てに対して開かれているのです。
例えば、ある本を探しているとします。とても有用な情報が載っていて、是非とも読みたいと考えています。しかし、いざ探してみると見つからない。タイトルは合っている筈なのに何故見つからないんだろう? 随分探し回った末にその本の題名がいつのまにか変わっていたという事実に突き当たりました。
どうでしょう、こんなことがあって良いと思いますか?
冷静に考えると「そんな良い情報を含んだ本は普通に売れそうなものだから、口コミで伝わるであろうタイトルを出版社が変更したりすることはないだろう」となりますが、タイトルを変更することによって出る弊害は金銭的な部分だけではなく、それを求めている人たちが失う時間や労力といったこともあるのです。
それが例え何十年前の本であろうと、その情報を探している人がいる可能性があります。そのときに、彼らが手にする「本のタイトル」というひと握りの情報がどんなに大切なものか、理解するのはたやすいことでしょう。
まあ何十年後まで必要とされる情報を提供できるようになったら大したものですし、うん十年後のインターネットなど把握できないところがあるので、まるっきり適用するわけにはいかないのですが、だいたい上記のようなことがタイトルを変更してはいけない理由のオーバーな例として挙げられると思います。
本とインターネットと、どちらのほうが情報提供ツールとしての持続性を持ちえているのかといったら、それは間違いなく本です。インターネット上のデータなんてサーバーが一回ダウンしてその影響でデータが飛んじゃえば今直ぐにでも消えうせちゃいますしね。管理者自身だっていつパソコンのハードディスクが壊れるかわかったもんじゃないし、長いこと更新しなくなったサイトのデータなんてものは自然と消えていくでしょう。
その消え行く遺産を残そうと、文部科学省だかどこかがインターネット上のコンテンツを全てデータベース上に保存するということをする(した?)らしいですが、そのときに残るタイトルだって、その処理が行われた瞬間のものだけなのです。
日ごろからころころタイトルを変更していた場合には、後になって「一時期使われていた」タイトルを発見した人がそのサイトのデータを探そうとしても、探せない可能性が高くなります。
後々になって、せっかく残っている情報が使われることなく埋もれてしまうというのはなんともったいないことなのでしょう。
時代を超えて情報を共有するというのは人類が発達してきた所以でもあります。
・・・・・・・と、ふと見たら短く適当に書くつもりがいつのまにか長くなってしまっていたのに驚いている私がいるのですが、サイトの名前というのは変更できない分、悩んでしまうのです。
もっとクールにしたほうが良いだろうか、それとも分かりやすく・・・?と。
そんなに悩んでも結局使うタイトルは適当だったという可能性は否定できませんが(笑)。
本の場合は全てができてから名前をつけることが可能ですが、それもできません。だからこそ余計に悩んでしまうのです。生みの苦しみとでも申しましょうか。
・・・こんなくだらないことを書くくらいならサイトの名前考えればよかったかな
まあどんな名前をつけるにせよ、その名に恥じないよう、内容を充実させることが重要なのは言うまでもありません。
(途中で、Gooが突然Qooになったらなどという妄想をして一人で笑っていました)
うだうだうだ・・・
と、まあここ何回かしつこく書いているわけですが、今日・・・も同じネタで行きます(笑
ウェブサイトの基礎、といわれて何を思い浮かべますか?
デザイン、コンテンツ、方向性・・・色々と考えることができますが、方向性はともかくとして、デザインなんかは例え大変でも、後で変更することも可能です。プログラムを組んだりすればそれもかなり楽になるでしょう。
ただ、変更は楽でも変えることができないものがあります。
それは「タイトル」です。
タイトルについては、サイト運営者に「変更してはいけない」という義務感が少なからずついてまわります。それは一種のネットマナーといっても良いのではないかともいえるほど、タブーとしては上位に位置するものです。
何故かというと、単純に常連を逃したくないという保守的な考えもあるのですが、それ以上に閲覧者に対して不快感を与えてしまうということがあります。
あくまでも私個人の考え方ですが、インターネット上で閲覧できるコンテンツはある種の公共財にあたると思うのです。パスワードをかけて特定の人々に対してのみ閲覧を可能としたりしている場合などは別ですが、基本的にインターネットというものは全てに対して開かれているのです。
例えば、ある本を探しているとします。とても有用な情報が載っていて、是非とも読みたいと考えています。しかし、いざ探してみると見つからない。タイトルは合っている筈なのに何故見つからないんだろう? 随分探し回った末にその本の題名がいつのまにか変わっていたという事実に突き当たりました。
どうでしょう、こんなことがあって良いと思いますか?
冷静に考えると「そんな良い情報を含んだ本は普通に売れそうなものだから、口コミで伝わるであろうタイトルを出版社が変更したりすることはないだろう」となりますが、タイトルを変更することによって出る弊害は金銭的な部分だけではなく、それを求めている人たちが失う時間や労力といったこともあるのです。
それが例え何十年前の本であろうと、その情報を探している人がいる可能性があります。そのときに、彼らが手にする「本のタイトル」というひと握りの情報がどんなに大切なものか、理解するのはたやすいことでしょう。
まあ何十年後まで必要とされる情報を提供できるようになったら大したものですし、うん十年後のインターネットなど把握できないところがあるので、まるっきり適用するわけにはいかないのですが、だいたい上記のようなことがタイトルを変更してはいけない理由のオーバーな例として挙げられると思います。
本とインターネットと、どちらのほうが情報提供ツールとしての持続性を持ちえているのかといったら、それは間違いなく本です。インターネット上のデータなんてサーバーが一回ダウンしてその影響でデータが飛んじゃえば今直ぐにでも消えうせちゃいますしね。管理者自身だっていつパソコンのハードディスクが壊れるかわかったもんじゃないし、長いこと更新しなくなったサイトのデータなんてものは自然と消えていくでしょう。
その消え行く遺産を残そうと、文部科学省だかどこかがインターネット上のコンテンツを全てデータベース上に保存するということをする(した?)らしいですが、そのときに残るタイトルだって、その処理が行われた瞬間のものだけなのです。
日ごろからころころタイトルを変更していた場合には、後になって「一時期使われていた」タイトルを発見した人がそのサイトのデータを探そうとしても、探せない可能性が高くなります。
後々になって、せっかく残っている情報が使われることなく埋もれてしまうというのはなんともったいないことなのでしょう。
時代を超えて情報を共有するというのは人類が発達してきた所以でもあります。
・・・・・・・と、ふと見たら短く適当に書くつもりがいつのまにか長くなってしまっていたのに驚いている私がいるのですが、サイトの名前というのは変更できない分、悩んでしまうのです。
もっとクールにしたほうが良いだろうか、それとも分かりやすく・・・?と。
そんなに悩んでも結局使うタイトルは適当だったという可能性は否定できませんが(笑)。
本の場合は全てができてから名前をつけることが可能ですが、それもできません。だからこそ余計に悩んでしまうのです。生みの苦しみとでも申しましょうか。
・・・こんなくだらないことを書くくらいならサイトの名前考えればよかったかな
まあどんな名前をつけるにせよ、その名に恥じないよう、内容を充実させることが重要なのは言うまでもありません。
(途中で、Gooが突然Qooになったらなどという妄想をして一人で笑っていました)