コーヒーのすすめ

ちいさな頃のわたしの夢は、ちいさなコーヒー屋さんの、ママになることでした。

子鬼、そして、アオスジアゲハの話

2017-03-20 | cat was dead

 

 

 

 いのちの始末の手際が良い、と母は祖父を敬っていた。

 鶏のように見る間に片付くものもあれば、アオスジアゲハのように、翌朝になっても片付けられずに残っているものもある。いのちは解体され、跡形なく消えるまでの時間に、それぞれ差があることを、わたしはよく理解していなかった。

 死骸(解体されること)に対するわたしの恐怖は、山間を、まだ角も生えはじめの子鬼となって、からからと駆け抜けた。動きのない長閑な田園の稲穂を揺さぶり、雑木林の葉や実を散らし、小枝を折った。正体もつかめずに、わたしは子鬼を野にあるがまま晒す。それでいながら、子鬼がわたしのもとへときちんと戻らない時は、彼女が起こした悪戯の不始末を憂い、今度は懲罰を畏れて、まるで緑児のように怯えるのだった。

 もしかしたら、出口が分からず、林で迷子になっていた小鳥が、小枝が折れて空が広く見えるようになったことで、南方へ飛んでいけたかもしれない。葉や実が散ったことで、その木は、重みから解き放たれて、元気になったかもしれない。それがいのちというものの本質かもしれない。なのに、わたしはそういった楽観的な可能性には目もくれず、闇雲に死を恐れて、懲罰を畏れた。それらは何かを損なわせ何かを傷つける。

きっと痛い目に遭うだろう。

 わたしにとって、まだ経験していない痛みだけが、現実だった。

 

 

 お盆の朝は、蝉の声以外は無音だった。

 アオスジアゲハは、囚われ、縛られ、宙づりになり、自分を見上げてくる者を、見下ろしている。見上げる者は、呼吸が浅くて、鼓動も速い。

 振動で、囚われた羽が破けてしまわないように、アオスジアゲハはじっと息を鎮めている。瞬きすらも、ゆっくりと。

 

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、色即是空、空即是色

 

 白飯の上に、味つけ海苔をのっけて、わたしは唇の間に無理やりねじ込む。海苔を欲しがってか、太郎がやってきて、わたしの隣に蹲る。父や母の姿はなく、なぜか一緒に寝ていたはずの兄姉も祖父もいない。短く切ったばかりの髪の毛の寝癖を、わたしは手のひらで押さえた。ショートパンツ姿が、何とかして男の子に見えないだろうか、と少女のわたしは考える。真夏に照らされ、白い、白い、朝。

 

優秀ってなあに? 

いきものとして、お母さんは、わたしより、優秀ってことやろ?

なあ、わたしって、何なん?

いきなり男子に殴られたりするのは、何でなん?

わたしが、アホやさかいにか?

優秀な人が、アホを殴るのは、しょうがないことなん?

 

 祖母は低く腰を折り曲げて、仏壇に向って、真言を唱えていることがあった。おままごとに使う道具みたいに、小さな小さなお椀に、祖母はごはんを山のように盛っていた。集落の誰かが死ねば、祖母は黒い法衣を着て、その家まで馳せ参じて行った。そうして鈴を涼やかに鳴らしながら、ご詠歌という美しい歌を、長く長く、長く謳うのだった。

 祖母の歌は、何だか訳もなく泣きたくなるような、不思議に心が落ち着く響きをしていた。鈴と祖母の声の重なりの合間に、白い蓮の花が、朝露に喉を鳴らすようにして、花弁を揺らす音を聴いた。

 

 

 

 

 

 

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