3次元紀行

手ぶらで地球にやって来ました。生きていくのはたいへん。そんな日々を標本にしてみました。

木洩れ陽の人 24

2012-01-13 00:25:17 | 小説
 おじいちゃんのお葬式で、私は駆けつけてくれた大学時代の友人と、アメイジング・グレイスを演奏した。

 会場となった、お寺の会館が民家と離れていて、祭壇も半地下にあり、他の葬儀もなかったことから、住職さんが許可してくれた。この住職さんはピアノをたしなむ人で、地域のアマチュア音楽家のなかではちょっとした著名人だった。こういうところも、地域で暮らす良さを肌で感じた。

 私はおじいちゃんに買ってもらったトランペットで、オケをバックにソロでメロディラインを吹いた。

 アメイジング・グレイスは、もし歌うとすればこんな歌詞だ。

 驚くほどの恵み、なんとやさしい響きか
 私のようなものさえ 救われた

 この歌こそ、まさにおじいちゃんに贈りたい歌だった。
 おじいちゃんは歴史に残るような仕事をしたわけではないが、私にとっては、それに値する偉人であり、神の恵みそのものだった。

 それを思い、葬式の間、私は何度も泣きそうになった。参列者達には、父代わり母代わりの祖父を失って悲しんでいると映ったかもしれないが、私はおじいちゃんを失ったこと自体を悲しんでいるわけではなかった。
 
 人は、誰しもいつかは死ぬのだし、私は、一人で生きていけるくらいに、おじいちゃんから強く大きくしてもらった。
 
 また、おじいちゃんは折にふれ、こんなことを言った。

「人間の本質はな、体ではなくてな、心だ。心が人間の主人公でな、体は心に奉仕する器なんだ。だから、心は体をいたわってやらなければならないが、体に支配されてはいけない。心は言い換えれば魂というものでな、体はいつかは死ぬが、魂は死なない。魂は何度もあの世とこの世を行ったり来たりして、自分自身を磨いていくのだよ。

 この世で出会う人はな、実は、あの世でも縁のあった人でな、特に夫婦は、肉体的には血こそつながっていないが、魂的には深い縁を持ったもの同士なんだ。それと同じでな、親子の契りを交わしたものには、実は尋常ならざる縁があってな、そういった意味で、健くんとおじいちゃんは、ずっとずっと大昔から深い縁で繋がった魂同士なんだよ」

 おじいちゃんは、暗に、肉体上は本当の祖父ではないかもしれないが、魂の上では祖父以上の深い絆があることを私に伝えようとしてくれた。

 と同時に、地上での死は人間の本質的な死ではないということも。

 だから、死は、永遠の別れではなく、しばしの別れと、私は認識していて、そのこと自体はちっとも悲しくはなかった。
 ただ、おじいちゃんからしてもらったことを思い出すと、自然と涙があふれてくるのだった。

 おじいちゃんは、まるで、木洩れ陽のような人だと、私は思った。

胸中には熱い愛情を湛えながら、人にそれを向ける時は、緑陰を通したような、程よい暖かさと涼やかさがあった。
そのことを誰かに語りたい、そんな思いが、常に私のなかに渦巻いていたが、話し出すと涙が出てくるので、危なくてとても人に語れるものではなかった。

 人から「おじいさまを亡くされて、お淋しいですね」とお悔やみを言われれば、おじいちゃんのことはあまり思い出さないようにして、ただ「はい」とだけ答えるにとどめた。

 家に早く帰っても誰もいない、という淋しさはあった。

 そのため、上司から勧められるまま、地元のフィルハーモニーに入団した。そこでは、飲みには必ず付き合い、合宿もパート練習も、オプションの小演奏会も総て付き合うといった具合にのめりこんでいった。

 おじいちゃんが亡くなった翌年の定期演奏会では、ヴェルディのレクイエムを演奏することになった。その演奏で、私は「くすしきラッパの音」のバンダをもらった。

 バンダとは、舞台上の編成から離れ、別の場所で演奏する特別の編成で、ヴェルディのレクイエムではトランペット4本がこれにあたる。そして、今回、バンダの席は、客席二階の最前列となった。

 本番前日に、本番と同様の進行で行われるゲネプロのとき、よその吹奏楽団から借り出されてきたトランペッターが二人やってきた。当団団員である私を含めた二人が真ん中。ゲストが左右についた。私の隣のゲストは女の子だった。

 われわれの出番が早々と終わって、「哀れなる我」「御稜威の大王」「我を救い給え」と続くソリストの歌を、リラックスしながら感動とともに味わっていると、隣で目頭をぬぐっているらしい気配がした。思わず横を向くと、たまたまその子も振り向いて、
「感動しちゃった。今回のバンダは、客席からソリストさんの歌が聞けて、おいしい役ですね」と、照れ隠しのように笑って見せた。
「そうですね」
 私も応じた。私のほうはと言えば、ソリストたちの歌を聞いているうち、何かの啓示を受けたように、おじいちゃんの回想録を書こうということを思いついていた。

 翌日、本番が行われ、会場は超満員。コンサートは大成功を収めた。

 コンサートが終わると、その後はたいてい打ち上げの懇親会が開かれる。もちろん、私は出席する。

「きみも来るんでしょう?」
 私は隣のバンダさんに聞いた。実はその時まで、彼女の名前も知らなかった。紹介されて名前を聞いたような気がするけれど、たいてい、そういう時ははっきり聞き取れなかったり、聞き取れてもすぐ忘れてしまったりする。それでもことは足りる。
「え? どうしようかな」と、隣のバンダさんは迷っていた。
「余所から来た人は招待だよ。申し込んでないなら、ぼくが申し込んであげようか?」
 我ながら積極的だったと思う。しかし、そのときは、団員として他所から来たゲストさんをねぎらう気持ちだけだった。

 女の子の名前を改めて確かめた。
 その子は高宮さんといった。

 私たちバンダ4人組は揃って懇親会に出席して、ひとつのテーブルを占めた。
「今日はうまくいったね。」
「ミスらなかった」
「息が合っていた」
「よかったよかった」
「自分に感動した。うまくて」
 ゲストの男の子のほうはそう言って、一同を笑わせた。

「私はね」と、高宮さんは言った。
「おじいちゃんを思い出しちゃった。そうだ、これはレクイエムなんだ、って思ったの。おじいちゃんに捧げるつもりで一生懸命吹いたんだ」

 はっとして高宮さんの顔をのぞき込むと、すでに目が潤んでいた。高宮さんは、目じりから頬のあたりを手でぬぐうと、照れたように、
「おじいちゃんがね、お父さん代わりだったの。うちは母子家庭だったから」
 と言い、今度はうってかわって明るい笑顔を見せた。

 宴がたけなわになるにつれ、あちこちで記念撮影が始まったり、席のメンバーが頻繁に入れ替わったりした。そんな喧騒の中、私は自然のなりゆきのように、高宮さんとおじいちゃんの話をすることになった。
 高宮さんのおじいちゃんは今年の春、亡くなったばかりだという。
「父は生きてるのよ。お母さん、離婚したの。でも、私、父があまり好きじゃないんだ。結婚式にだって呼ばないんだから。私のお父さんはおじいちゃんだけって決めているんだから」
 高宮さんはやや力を込めて言った。

 わたしも、父は死んだが、まだ母親が生きていることを告げ、
「ぼくも母親は好きじゃない。結婚式にも呼ばないつもりだ」と、打ち明けた。

 友人達が、ビールを片手にからかいに来た。
「なに女の子泣かしてるの?」
 そういえば、先ほどから高宮さんは盛んに頬のあたりをハンカチでぬぐっていた。
「あれ、ちょっと谷口、お前も泣いてるの!」
 友人達がすっ頓狂な声をあげた。
 え? と思い、目をしばたくと、涙がひとすじ落ちてきた。
 わたしはあわてて手で涙を拭き取ると言った。
「もらい泣きだよ」

 結婚する二人には、合言葉というのがあるのではないか?
 その合言葉は、約束の人と出合ったとき、胸の小箱から転がり出てくる。
 おじいちゃんとおばあちゃんの場合は、
「真っ白な海軍の軍服を着て、なんてすてきな人だろうと思ったの」
「リリアン・ハーベーみたいな女の子がでてきたぞ。なんて可愛いんだ」
 であろうか?
 私の両親の合言葉は何だったのだろう?
「ひょっとすると、父親は本当の父親ではないかもしれない」だったかもしれない。
 もしそうだとしたら、否定的な合言葉は、あまり幸せな結婚を約束しないのかもしれない。

 私たちの場合は、
「おじいちゃんが父親がわりだった。おじいちゃんがしてくれたことを思い出すと、涙が出てきてしまう」である。

 これはいい。幸せな結婚が予想される。

 が、もう一つ別の合言葉がある。

「お互い、生き別れた片親を結婚式に呼びたくない」

 これはネガティブな内容である。これが、今後の私たちの人生に、どういう影響を及ぼすのだろうか?

 しかし、今はそれを問うまい。

 私はおじいちゃんの回想録に取り掛かると同時に、おじいちゃんの書斎の整理を始めた。
 私はこれからおじいちゃんの部屋を使おうと思ったのだ。というより、もう住みつき始めていた。おじいちゃんの古着を整理し、私の身の回りの物を運び込んだ。私が使っていた、もとはおばあちゃんの部屋だったところは、嫁として迎える高宮倫子さんに使ってもらおうと思った。

 遺品を整理していると、故人のことが思い出されて、時々手が止まる。

「おじいちゃん。ぼくは嫁を貰おうと思ってさ、オスの巣作りをはじめたんだ。メスに気に入ってもらえるかなあ?」
 あの世で聞いてくれているはずのおじいちゃんに語りかけた。

「気に入ってもらえるよう、家をきれいにしなさい。物はあくまでも物だから思い切って捨てなさい」
 おじいちゃんが、そう言っているような気がした。

「お父さん。高宮さんは物静かなしゃべり方をするよ。絶対うまくいくよね?」
 父にも語りかけてみた。
「大丈夫さ。おじいちゃんが好きという娘だ。堅実な娘に違いない。きっといい家庭をつくるよ」
 父もそう言ってくれてるような気がした。

 思えば、おじいちゃんは「もう、あなたに残してやれるようなものはなにもないが」と、「谷口の家」を継いでもらいたいというような話をする時など、枕詞のように言っていたが、そんなことはない。この「家」があるじゃないか、と私は思った。

 私の安月給でも、この家があれば、お嫁さんが迎えられる。二階に部屋が3っつもあるから、子どももたくさんつくれる。
 おじいちゃんが、この家を通じて「栄えよ」と言っている。
 そんな気がした。
 
ジャンル:
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キーワード
ヴェルディ アメイジング・グレイス その時まで 定期演奏会
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