3次元紀行

手ぶらで地球にやって来ました。生きていくのはたいへん。そんな日々を標本にしてみました。

木洩れ陽の人 7

2011-08-25 22:10:00 | 小説
 病院での生活は、実に不思議な時間だった。
 ずーっと以前に、これと似たような時間があったような気がする。
 1年くらい前も、肺炎で入院していたが、その時とは違う。
 もっと遠い記憶。
 白い壁、白いカーテン、白いベッド、看護師さんたちの白衣。
 今、そう思って改めてあたりを見回すと、病院の壁やカーテンや看護師さんの着衣は白ではない。
が、記憶は白い。
 そこは、次の世界へ旅立つための準備をしながら、待機する場所であったように思う。

 今回も、そんな感じだ。

 規則正しく、時間が流れていく。
 朝はカッコウワルツで目が覚め、「おはよう」という明るい声とともに看護師さんが体温計を持ってやってくる。
歩けるようになるとヘルパーさん達が「顔を洗いにいこうか〜」と歌うようにいい、タオルと歯ブラシを出して洗面所につれていってくれる。

 廊下から食べ物の匂いがしてくると、食事のお盆を満載した大きなワゴンが廊下の端っこにいて、それは少しずつこちらに近づき、やがて食事のお盆が配られる。
 食べ終わると、先ほど食事を配ってくれた人がまたやってきて、「全部食べたの! えらいね〜」と、頭をなでてくれながら、お盆を下げていく。

 病院の生活は結構いそがしい。お医者さんの診察とか、検査とかがあり、理学療法士さんによるリハビリもある。

 すべてスケジュールどおり。理にかなっていて、善意にあふれている。
 ここで日々を過ごすうち、体の傷もさることながら、心の傷も癒されていくのを感じた。

 穢れていた自分、嫌いだった自分の殻がいちまいいちまい剥がれ落ちて、身軽になっていく。
 その感覚が、今回初めてというような気がしない。
 いったいそれは、いつの記憶なのだろう・・・・・・?

 おじいちゃんとおばあちゃんは毎日お見舞いに来てくれた。
 一度、おじいちゃんのお友だちで倉田さんという人が、弁護士をしているという息子さんともども来た。
 その時は、母親との生活がどんなものだったか、と訊ねられた。

 母親との生活?

 すぐに目に浮かんだのは、母親が男の腕にぶら下がり「いこ、いこ」と言って、玄関から消え去る姿だった。
母親はよく、わたしを置いて男と出かけていった。
 出かける前、母親が振り返って言う。
「冷蔵庫にあるもの食べていて。カップラーメンもあるから」
 そして母親の姿は玄関の向こうに消える。

 テレビの前に座り込んでファミコンゲームをしている母親の姿も思い出された。
 時折、コントローラーをわたしに回してくれる。しかしわたしはすぐにゲームセット。
すると、母親が「あんた、雑魚じゃん。ほれかしてみ」といって、見事につぎつぎとクリアーしていく。わたしはそれに見とれていた。

 母親が男と出かけたようなとき、今だとばかり、ファミコンをすることもあった。けれど、男が帰ってきたとき、ファミコンをしていると怒られるから、いつ帰ってくるかとびくびくして、あまり集中はできなかった。つい夢中になって男が帰ってきたのに気付かず続けていたこともあった。

その時は、もちろん、散々殴られた。

 母親は級友のお母さん達から比べると若々しかった。着ているものもおばさんくさくなくかっこいい。よく人から、「子供がいるなんてとても思えない」と褒められていた。

 その分、着るものやお化粧には多大なお金と時間をかけていた。
よく買い物袋をたくさん抱えてかえってきた。中身は着るものとか装飾品の類である。

「またかよ。おまえ、買い物依存症じゃねえか? あんま無駄遣いすんなよ」と男が苦情を言うと、、母親はおもいっきり甘ったれた声を出し、
「だってえ、可愛かったんだもん。ほしかったんだもん。ねえねえ、そういわず見て。これ、服だけ見るとどうってことないけど、わたしが着ると可愛いでしょ。似合うでしょ」 と、とっかえひっかえ着て見せて、ファッションモデルのように歩いて見せた。

「ね? 可愛いでしょ? でさ、こっちとさ、こっちとどっちが可愛い?」
 男が面倒くさくなって、
「かわんねえよ。おなじだよ。どっちもかわいい」
 などと言おうものなら、
「でしょう? だからさ、わたしも迷ったのよ。どっちがいいかって。迷っちゃってさ、選べなかったのよ。だからさ、両方とも買っちゃったのよ。ねえ、もういっかいこっちの方、着てみようか?」
などといい、そうこうするうち、男の顔がほころんで、
「しょうがねえなあ。おまえ、そんなに服いらねえよ。服着ないほうがかわいいじゃねえか。まあ、もういい、着るな。ちょっとそれ着なくていいいから、むこういこうや」
男は別室に母親をいざない、母親はまたわたしの視界から消え去る・・・・・・。

 思いだしてばかりで、どこからどう話していいのかわからず、わたしがまごまごしていると、弁護士の倉田さんは話題を変えた。

「じゃあね、肋骨を折って病院に運ばれた時のことを話してくれる?」
 そう促された。
 真っ先に食べなきゃよかったと思うカマボコが頭に浮かんだ。
「ぼくがカマボコを食べちゃったから・・・・・」
 そう話し出したときは、
「そうか、それなら殴られてもしかたないな」と言われるのではないかと思った。

 しかし、弁護士の倉田さんは、いっぺんに筋立てて話すことができないわたしのために、丁寧に事情を聞いてくれた。

「そのカマボコはどこにあったの? 冷蔵庫?」
「テーブルの上」
「テーブルの上にただころっと置いてあったの? それとも切ってお皿にのっていたの?」
「お皿」
「誰のお皿の上にのっていたの?」
「・・・・・・おじさんのお皿の上」
 今度こそ、「ああ、それじゃ殴られても仕方がないな」と言われると思った。
 しかし、問いかけは続いた。
「おじさんの目の前で、横から手を伸ばして食べたの?」
「おじさんはいなかった」
「おじさんはその時どうしてそこにいなかったの?」
「外にごはんを食べにいったから」
「健くんは一緒に食べに行かなかったの?」
「うん」
「おじさんは一人でご飯を食べにいったの?」
「ううん、お母さんと二人で」
「お母さんとおじさんとご飯を食べに行ったのに、健くんはつれていってもらえなかったの?」
「うん」
「そういうことはよくあるの?」
 わたしは黙って頷いた。
「そんなとき、健くんはご飯をたべさせてもらえないの?」
「お母さんが残り物を食べていなさいというので、冷蔵庫とかにあるごはんとか食べます・・・・・・」
「そのときも、残り物を食べて、カマボコもそのうちの一つだったのかな?」
「ぼくは残っていると思ったんだけれど、そうじゃないって、おじさんが。残り物だなんて勝手に思うなって、残っているかどうかちゃんと聞いてから食えって・・・・・」
「それで殴られたんだね」
 わたしはまた黙ってうなずいた。

「まあ、なんて酷い!」
おばあちゃんが両手で口のあたりを覆って目を見張った。
「なんてむちゃくちゃな男なんだ。そいつは! 自分らだけ外食して、ご馳走食って、健には残り物を食ってろと言った上、食ったからって殴る蹴るだなんて。なんてわけのわからんアンポンタンなんだ!」
 おじいちゃんが怒り出した。

 おじいちゃんの友だちの倉田さんも怒った。
「全くだ。まともな男子がやることではない。人間とは思われん。犬畜生にも劣る。犬はやさしいでっせ。自分の子でなくとも、人間の子でも虎の子でも、よう面倒見ますわ。そやから、その男は犬以下ですな。こんな、なんの抵抗もできないかわいらしい子をこれほど痛めつけるやなんて、鬼畜の仕業や」

「虎の子といえば虎ってやつは、ハーレムの支配者になったとき、前のオスの子供をかみ殺してまわるそうですな。そうじゃないと、手に入れたメスがなかなか自分の子供をつくらないからなんだそうですよ。つまり、あいつの本性は野獣ですな。野獣に人間の子供を託すなどはとんでもない! 健はどうでも取り戻さなくては!」

 おばあちゃんも加わった。
「あの男もあの男だけど、淑子さんも淑子さんですよ。
 母親のくせに、ろくにご飯も作ってやらないうえに、健くんが難癖つけられて殴る蹴るされてるのに、黙って見ているなんて! いったい、淑子さんはなにをしていたのかしら? まさか一緒になって殴ったりしていなかったでしょうね」

 そういえば、そんな時、母親はどこでどうしていたのだろう。
 最初のころこそ、助けてもらおうと母親の姿を探したが、そのうち、探すのを諦めた。 
 そんな時、母親はどこかにいってしまって、そこらへんにはいなかった。わたしは助けてくれるものもなく、たった一人で、男の暴力の前にさらされていた。

 思い出すうちに、その時と同じように体が硬くなり、寒気がしてきた。しまいにガタガタと震えがきて、とまらなくなってしまった
おばあちゃんがびっくりしてわたしを抱きしめた。

「おお、可愛そうに、よしよし、もう大丈夫よ。もう怖くないのよ。おじいちゃんや、おばあちゃんがついているでしょ」
 わたしはおばあちゃんにしがみついて、助けてもらう感触をむさぼった。
「よしよし。この子はこんなに震えているわ。こんなになるまで、あの人たちは健をいじめたのだわ。私はあの人たちを許せません。倉田さんどうか、わたし達を助けてください。宜しくお願いします」
 おじいちゃんも同じようなことを言って、弁護士の倉田さんにたのんでいた。

「本当は忘れてしまいたいような事ばかりなのでしょうけどね」
 と、弁護士の倉田さんは言った。
「でも、健くんの証言が大事ですから、辛いでしょうが、これから、ちょっとづつでも、なるべく健くんから事情を聞いて置いてください」
 倉田さんたちはそういい残して帰っていった。
 なにかの必要があって、わたしは自分がひどい目にあってきたことを話さなくてはならないと、理解した。
 それから、おじいちゃんがくるたんびに、すこしづつ、母親のうちであったことを話した。その時話したことが、後々まで表の記憶に残った。話さなかったことはほとんど記憶の奥底にしまい忘れてしまった。

 あるとき、男が、父のことを税金泥棒だと言っていたのを思い出し、そのことをおじいちゃんに話した。
 すると、おじいちゃんはしばらく目を丸くして絶句していた。
「そんなことを言ったのか? お母さんもそう言っていたか?」
「ううん、おじさんだけだったと思う」
 おじいちゃんが体中で怒っていることが伝わってきた。
 しかし、その時、おじいちゃんは怒りの感情をストレートに口には出さなかった。
 おじいちゃんはしばらく黙って呼吸を整えていた。言うことを整理しているようにも見えた。

 再び口を開いたときは、学校の先生みたいに、わたしに教え諭すように言った。

 「健のお父さんは公務員だったんだよ。
 公務員とはどういう人かというとね、みんなのために働いている人なんだよ。国が、みんなから集めたお金を、どこにどれだけ使ったらどれだけの人が豊かになるか考えて決めたことを、公務員というのは、その決められたことを、誠意をもって実行にうつす人たちなんだ。お父さんはね、自分が休んだり楽しんだりする時間をけずってみんなのために働いて、働きすぎた結果、亡くなってしまったんだよ。けっして税金泥棒なんかじゃない。
公務員というのはそんな大切な仕事をしなければならないから、難しい試験があるんだよ。大勢の人が試験を受けて、一握りの人しか受からない。お父さんはそんな難しい高文の試験を受けてパスしたんだ」

 おばあちゃんがその時、あらあ? というような顔をして口をはさんだ。
「雄一のときは上級職といいましたよ」
「わかっておる。話の腰をおるな」

 おじいちゃんは、うるさそうに言った後、苦笑いをしながら言い返した。
「昔の言い方のほうが馴染んでるんでつい口からでてしまうんだよ。あんただって、JRのことを今でも国鉄とか言っておるだろう」

 おばあちゃんはそれをおほほという小さな笑いで受け止め、
「そういえば、あなたは随分長いこと国鉄のことを省線とかおっしゃってましたよねえ」 と、反撃したけれど、次の一言で勝負はおじいちゃんの勝ちかな?

「それはまたえらく昔のことを持ち出したな。しかし、ぼくはいつまでたってもCDのことをレコードなんて言わないぞ。『CDってシングル版でございましょ』なんて言っていたのは誰かな?」

「うわっ、意地悪!」
 おばあちゃんは目をみひらいておじいちゃんとわたしを交互に見た。
 おもわずわたしはクスクスと笑った。
「ほら、ごらんなさい。あなたが意地悪言うもんだから、健に笑われたわ」
「おじいちゃん意地悪だったかな?」
 二人してわたしの顔を見た。

 わたしは気恥ずかしくなって毛布を目の際まで引き上げた。が、ほんとうは、父と母とはまた違った、またあの男と母親とは全く違った、おじいちゃんとおばあちゃんの、言い争いというにはあまりにもほほえましいやり取りに、なんともいえない幸福感を味わっていた。

「まあ、健くんったら、目だけ出して、おかしいこと」
 おばあちゃんが笑っている。
おじいちゃんもくずれるような眼差しを向けて言った。

「何の話をしておったかなあ・・・・・・そうだ、とにかく、お父さんは立派な人だったんだ。だから、健はお父さんを自慢にしていいんだ。それからな、健もそんなお父さんの子供なんだから、自分に自信をもちなさい。残念ながら、お母さんはあまり自慢にならないが、これからはおばあちゃんをお母さんだと思いなさい。おばあちゃんはな、おじいちゃんが言うのもなんだが、立派な人なんだ。なにしろ雄一を育てた。つまり健のお父さんを育てたんだ。今はこんなばあさんだけど、昔は美人だったし、頭もいいし、お料理も上手だろう?」

 今はこんなばあさんだけど、というあたりで、おばあちゃんは「まあ」という顔をし、おじいちゃんが言い終わると、
「ま、あなたったら、心にもないことばかり」
 とあきれたように言った。
「いや、本当はいつも思ってるんだ。普段はきまりが悪いから言わないだけだ」
 おじいちゃんは鼻の辺りに皺をよせて、照れくさそうに言った。

 病院の中では、そうした穏やかな時間が流れていた。
が、病院の外では、おじいちゃんと倉田さんたちによって、わたしを母親から永久に引き離す計画が着々と進められていた。
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4 コメント

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こんばんは (ダステン)
2011-08-26 22:55:06
続きを待っています。
ダステン様 (catmouse)
2011-08-26 23:19:52
コメントありがとうございます。

お久しぶりですね。
Unknown (ダステン)
2011-08-27 21:13:11
前回のコメントから1年以上経っていたんですね。
ダステン様 (catmouse)
2011-08-27 22:25:32
よく忘れずに、覗きにきてくれましたね。

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