キリスト者の模範 公教会の諸聖人

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地獄について この無視された真理 ◆6、聖アウグスチノ司教(354-430年)「神の町」(413-426年)から

2017-03-04 22:38:33 | 地獄について
『地獄について この無視された真理』アロイジオ・デルコル神父、15

◆6、聖アウグスチノ司教(354-430年)「神の町」(413-426年)から

 人はよみがえったとき、霊魂と体は再びいっしょになる。この世で死ぬとき体の苦しみは終わるが、来世において、亡びた人は、神を見ることができないから、本当の命よりも、永遠の死をうける。

 人間の霊魂は肉体ではないのに、今は肉体の中に宿っている。そしたら肉体のない霊〔悪魔の霊と死んでからの人間の霊〕が不思議な方法であるにしても、実際に物質的な火によって苦しめられるといえないだろうか。なぜなら、人聞の霊は、もちろん肉体とは違うが、今のところ肉体と結ばれているだけでなく、来世において自分の肉体と、ときはなすことのできない方法で結ばれるようになるからである。

・・・〔黙示録(20・10)にあるように〕"火と硫黄との池"ともいわれるあのゲヘンナは、物質的な火であり亡びた人の体を苦しめるだろう。人間も悪魔も苦しめるだろう。人間の場合は物質的な体があるものであり、悪魔の場合は霊的な存在物である。人間の体はその霊魂とともに、悪魔の霊は肉体なしにいっしょに苦しみをうけるだろう。

 物質的な火によって命を与えるのではない。真理〔そのものである主〕がいわれるように、"悪魔とその使いたちのために準備された永遠の火"(マタイ25・41)に愚魔も呪われた者も入らねばならないのである。

 〔短い期間で犯された罪のために地獄の永遠の火で苦しめられるのは、矛盾ではないか、と考える人に答える〕永逃の命を認めるなら、永遠の天罰も認めなければならない。なぜなら、キリストは同じところで、そして唯一の隅じ文章をもって"これらの人は永遠の罰をうけ、義人は水遠の生命に入るであろう"(マタイ25・26)とおおせになったからである。

 両方とも永遠であるなら、その永遠とは、両方の場合いっか終わりがあるという意味だろうか?そうではない1,両方の場合とも決して決して終わらないという意味にとるべきである。なぜなら、永遠の罰と永遠の生命は同繰度でいわれているからである。もし、永遠の命に終わりがないといいながら、永遠の罰に終わりがあると同じ意味でいうなら、それは非常に矛盾したことである。
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