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アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、21

2016-10-31 02:34:16 | 日本キリスト教史
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、21

★ 長崎生まれのマグダレナ(2)

 この日かの女は、神父さまに、ひとつの打ちあけばなしをしました。「バテレンさま、わたしは、家族がみんなつかまって処刑され、ひとりぽっちになったあのとき、ロザリオの聖母のご絵の前にひざまずいて、独身のちかいをしました。

 それは、このような時代にあって信仰を忠実にまもるめぐみを願うためだったのです。あれから、わたしは、山にのがれて、いんとん生活をするつもりでおりました」と。

 さて、そのときからどのくらいの年月がすぎていったのでしょう?かの女は、ころびキリシタンの告白のため、ときどきあのふたりの神父さまを、そのかくれ家に訪れました。でも、ある日のこと、戸をたたいても、あけても、だれもいません。なかは、めちゃめちゃにふみあらされ、あちこちに、本や祭服、カリスがころがっています。つかまったのです!かの女は、ただちに山をおりて、奉行所にむかいました。役人たちをかの女は恐れません。

「わたしもキリシタンです。キリストさまに身をささげました。ホルダン・バテレンの弟子です。どうぞ、バテレンさま同様、牢にいれてください」

 着古して色あせた質素ななりをしていても、美しいその顔だちは、深い霊的な光にてらされて、思わず目をみはるばかりです。こんな美人を、どうしてむざむざ殺せようと考えた役人は、知らん顔をしていいました。

「どけどけ、ここは、あんたのような人のくるところじゃない」

「でも、わたしは、れっきとしたキリシタンですよ、あなたたちは、わたしをつかまえなくてもいいのですか?」とマグダレナ。

「そうか、キリシタンか、そしたら、そんなものすてろ」といいながら、役人は、かの女のきているきものに目をとめました。よし、そんなら、この美人の心をうばってやろうと考えました。

「だが、ただですてろとはいわぬ」

 そういって、奉行は、小ばんのたくさんつまった袋をとりあげ、ちゃらんちゃらんふってみせていいました。「そうだ、すてさえしたら、これはみんなおまえのものだぞ、これで、きれいな着物を買って着てみよ。おまえは、お姫さまみたいに美しくなるぞ、どうだ?」

「とんでもありません、おことばをかえすようですが、全世界をつくられた神さまと、そんなものと、どうしてとりかえられましょう。そんなばかなことは、ぜったいにできません」とマグダレナ。

 とうとう役人は、かの女を牢にいれました。
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