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聖ヴィンセンシオ・フェレリ証聖者  St. Vincentius Ferrerius C.

2017-04-05 17:38:14 | 聖人伝
聖ヴィンセンシオ・フェレリ証聖者  St. Vincentius Ferrerius C.     記念日 4月5日


 聖ヴィンセンシオ・フェレリは中世期に於いて、最も名高い説教家の一人である。彼は殆ど全欧州を歴遊して説教を試み、多大の成功を勝ち得た。しかしこの成功は決して彼の弁舌のみに依ってもたらされたものではない、むしろ彼の聖徳の然らしめた所と言えるのである。

 聖ヴィンセンシオは1357年の1月23日スペインに生まれた。父はワレンチア市の一公証人で、母は名をコンスタンチアと言った。このコンスタンチアとは「忍耐」という意味の言葉であるが、その名の通り彼女はいかにも辛抱強く夫と共に愛子の教育に当たり、ヴィンセンシオもよく両親や先生方の言う事を聞き、精を出して勉強しまた祈ったから、天賦の英才は存分に発揮され、学業の進歩は驚くばかり、その善徳も感嘆すべきものがあった。彼は徳に聖母マリアを信心し、少年時代から既に毎週水曜金曜両日に大斉を守った。
 ヴィンセンシオは18歳の時ドミニコ会の修道院に入った、誓願を立てて後彼はバルセロナ、ワレンチア、バリー等で哲学及び神学を修めた。そして1384年、日頃の研鑽の効空しからず、めでたく神学博士の称号をかちえた。
 が、彼はいかに研究に没頭しても、祈りを怠るような事は決してなかった。否、それどころかその学問上の成功は彼の不断の祈りの賜物という方が当たっていた。のみならず天主は彼の祈りに応えて奇跡を行い給う事さえしばしばあった。
 彼がまだバルセロナに遊学時代の事である。恐るべき飢饉に人々が苦しんでいるときヴィンセンシオは説教の中で、何月何日のいつ頃麦を積んだ二艘の船が入港して救われるであろうと預言した。けれども誰もそれを宛にする者はなかった。おまけに約束の当日は猛烈な暴風雨が襲来し船の到着など思いもよらぬ有様であったから、修院長は軽々しく預言した彼の無鉄砲を非難していた。所がいよいよその時刻が来ると、正しく麦を積み込んだ二艘の船が入港し、人々は餓死の運命を免れる事が出来たのであった。
 また彼がワレンチアにいた時、フランス王カルル6世を訪問される教皇使節枢機卿デ・ルナ卿がその途中同市に立ち寄られた事があったが、卿は彼の学徳兼備に感心してその一行中に差し加えられ、後更に彼をローマ教皇庁に呼び迎えられた。ところがその頃聖会内部に難問題が起こって、ヴィンセンシオはその解決に全力を尽くしたが、不幸成功しなかったので、彼は心労の余り病床に倒れ、死も程遠からず思われた時、ある夜主イエズスがドミニコ、フランシスコ両聖人を従えて彼に現れ給い、「ヴィンセンシオよ、起て、我は汝がわが名によりてフランス、スペイン両国に説教せん事を望む。汝は他日異境に於いて死せん、されど行きて人々の罪をいましめ、審判の日は近づきたりと告げよ!」と仰せになった。それから彼の頬に御手を触れ給うと、彼の病は全く癒えた。
 彼が主から託された使命を果たすための許可を教皇から与えられたのは、その二年後の事であった。彼は1398年説教行脚を始め、死ぬ1419年までその活動をやめなかった。その行脚は主に徒歩で、年老いてからはロバの背を借りた事もあった。そしてその間も厳しい大斉を守り、余暇あればことごとく祈りに献げた。彼には常に同じ修道会の兄弟が幾人かつき従っていた。それは告解を聴いたり聖式を行ったりする手伝いをする為であった。また改心者や彼に教えを請わんとする人々の群れも、いつも彼から離れなかった。
 ヴィンセンシオは天主から不思議な力を恵まれていた。その一つは聖霊降臨の際にエルサレムにおける例の如く、彼が自国語スペイン語で説教しても、フランス人が聞けばフランス語に聞こえ、ドイツ人が聞けばドイツ語に聞こえるという能力であった。彼の説教の聴衆はしばしば数千にも上り、伝えられるところによればある時の如きは8万の多きをさえかぞえたという。彼が説教するのは大方戸外の広場に於いてであった。が、それにも拘わらずその声は、隅々までよく響き渡ったという事である。
 1417年彼はブルターニュ候の請いに応じ老体をひっさげてその領地に赴いた。そこは随分風紀の乱れた所であったが、彼の訓戒の効果は著しいものがあり、間もなく弊風も大いに改まった。後聖人は英国に向かおうとしたが、もはや老いの身に力尽きて倒れたので、付き添いの人々は故国スペインへ連れ戻って死なせたいと思い、夕刻フランスのワンヌを出発し、夜通し歩いて明け方よくよく見れば、どうした事かまたまたワンヌの町の門前に辿り着いているのであった。で、ヴィンセンシオは此処で死ぬのが天主の思し召しであると悟ったが、やがて彼は突然危篤に陥り、終油の秘跡を受け、主の御苦難の顛末を朗読してもらい、二、三の詩編の言葉を唱え、合掌して天を仰いだまま安らかに息を引き取った。それは1419年4月5日の事であった。


教訓

 聖ヴィンセンシオは偉大な説教家であった。我等は天主の聖言を喜んで聞き、行為を正して人の鑑となろう。立派な行為も一種の説教であって、多くのよい結果をもたらすものである。



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