カトリック情報 Catholics in Japan

聖人伝、教会史、格言、みことばなどを掲載します。フェイスブックのカトリックグループにも投稿しています。

6-5 ナイルの賜物(たまもの)

2017-06-18 15:43:18 | 世界史
『文明のあけぼの 世界の歴史1』社会思想社、1974年

6-5 ナイルの賜物(たまもの)

 古代エジプトの王(ファラオ)たちが、ピラミッドのように壮大な墓所をつくり、死体をミイラ化し、あらゆる日常の生活用品、食料、召使の役をする小偶像(ウシャブティ)などをいっしょに葬ったのは、彼らの信仰からでたことだった。
 彼らは死後の世界、「あの世」を信じていた。人は「あの世」で生活するために、この世と同じようにあらゆる生活必需品が必要だった。
 彼らは霊魂(れいこん=バイ)の存在を信じ、バイは人が死ぬと肉体を
はなれて飛びまわれるようになるが、死体が失われずに保存してあれば、ふたたびそこに帰ってくることもできた。

 彼らはまた生命力の権化のような「カー」というものの存在も信じていた。
 カーは人の肉体とともに生まれるが、死後も肉体をはなれず、あの世で暮らすに必要な力をあたえると信じられていた。
 いずれにしろ肉体の保存は大切で、死体はミイラ化された。
 ミイラの製法には簡単なものから、ごく丁寧なものまであり、貧乏人には貧乏人にふさわしい、王者には王者にふさわしい方法があったことを、ヘロドトスが告げている。
 もっともツタンカーメンの場合など、あまりに鄭重にして、香油をふんだんに使いすぎたため、香油が酸化して、ミイラがひどく損傷してしまったような例もある。
 万一ミイラが失われたときの用意に、墓所には王を写した石像がいれられる。
 またあらゆる副葬品がふんだんに入れられるが、さらに安心なように墓の壁や棺の中に、生活必需品の絵を描き、それが実際に役立つための呪文も書きそえてあった。
 この世で王のえた名誉があの世で失われないように、生前にたてた手柄も、みな墓所の壁画として描かれた。
 エジプト人があの世を信じ、復活を信じたのは、年々くりかえすナイルの氾濫からだと説く人もいる。
 洪水がすべてを押し流しても、やがてそれは去り、ふたたび大地は芽ばえてくる。
 これが年々くりかえされるのを見て、人間は一度死んでも、またそのうちに生命が帰ってくることを信じたのだという。
 ナイル川は全長約六五〇〇キロあり、ミシシッピ川につぐ、世界第二の大河である。水源地はアフリカの奥地にあるが、その付近では毎年五月ごろから熱帯性の大雨が降る。これが流れ下って、河口のデルタ地帯では七月ごろから、大洪水になる。
 洪水は上流から新しい肥沃な土砂を流し下した。
 そのため下流の地は、原始的な幼稚な農耕法でも、直接農耕に従事する人以外のものまで養えるほどの大収穫をもたらした。
 エジプトに早く文明が成立したのは、そのおかげだった。
 したがって、ナイルの氾濫しない年は、飢饉の年だった。
 川には古くから水位を測定する石柱が立てられ、水位が十二キュビット(約六メートル)以上増さないときは、国中の人が嘆き悲しんだという。

 エジプトは気温と水にめぐまれ、農産物に富み、麦類、野菜類などを豊富に産したばかりか、ナイルには、バピュロスという有用な水草まで生えていた。
 ヘロドトスによると、パピュロスの芽は食用にされ、太いところは小屋の柱になり、たぱねて舟にされ、乾して薪にされるなどあらゆることに使われたが、ことに重宝だったのは、それから紙がつくられたことだった。
 皮をむいて中の白い芯を縦横にならべ、糊のようなものを加え、木槌(きづち)でたたいてしらげて紙がつくられた。
 これはエジプトの特産品として輸出され、地中海世界で広く、筆記用につかわれた。
 英語の「ペーパー」という字は、この「パピュロス」からでたものである。
 ナイルの洪水は、このようにエジプトにはかりしれない恩恵をあたえたが、洪水には破壊的な力もあった。
 そのため治水工事も必要であり、またエジプトは降雨がひじょうに少ない土地で、氾濫のおよばない土地は砂漠であったから、運河や堀割、貯水池などをつくる必要があった。
 また洪水の跡地の整理も必要だった。
 これらの大土木工事のためには、大ぜいの人々の協力が必要であり、またそれを指図する強力な指導者が必要だった。
 はじめは川の流域にあった部落の長が、その部落民の共同作業を指図したにちがいないが、しだいにそれが強力なものによって統一されていった。

 エジプトはナイル河口のデルタ地方の下エジプトと、それから上流の上エジプトの二つに統一され、しばらく争っていたが、やがてメネス王によって、上下あわせて一つに統一された。
 その年代については今日まだ定説がなく、紀元前三二〇〇年ころから二八〇〇年ころまでの種々の説がある。
 洪水はすべてのものを押し流し、土地の境界をわからなくすることも多かった。
 土地を測量しなおし、耕し手に新しく割り当てる必要があった。このため土地の測量術として幾何学が、この地で早く発達したといわれる。
 また洪水を予知する必要から暦が発達し、天文の観測がおこなわれ、太陽暦も紀元前四〇〇〇年ころに、すでに採用されたという。
 ヘロドトスがエジプトを「ナイルの賜物」といったことは有名で、広く知られている言葉だが、このようにこの言葉はじつによくエジプトを表わしている。
ジャンル:
科学
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 平和の原動力   聖ヨハネ・... | トップ | 聖ロムアルド大修道院長  ... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。