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聖イシドロ司教教会博士     St. Isidorus Ep. et D. 

2017-04-05 17:41:40 | 聖人伝
聖イシドロ司教教会博士     St. Isidorus Ep. et D.    記念日 4月4日



 聖イシドロの家はスペインの王室と縁続きであり、殊にもの聖人を出した事で名高い。イシドロの父はカルタゲナ州の総督で、母はテオドリッヒ王の後裔であった。さればこれら父祖の勇ましい血を受けた4人の子、レアンドロ、フルゲンチオ、イシドロ、及びフロレンチナが、こぞって聖人に列せられる光栄を得、前三者は司教となり、最後の妹フロレンチナは修道女となって数多の修道院を治める身となった事も、けだし不思議ではないかもしれない。

 長兄のレアンドロはまず修士となり、後セビリアの司教に任ぜられた。彼は自分の創立した学校で自ら末弟イシドロを教育したが、ほとんど酷と思われるまで厳格な態度で臨んだ。彼はしばしばイシドロを激しく叱責する事があった。しかしそれもイシドロには何の役にも立たなかった。というのは彼は勤勉ではあったものの小さいときにはあまり出来る方ではなかったからである。恐らく当時にあってはこの理解力の鈍い少年が、将来有名な大学者になろうなどと考えた者は一人もなかったであろう。ある日の事である。例に依って手厳しく叱りつけられたイシドロは、学校を飛び出して郊外まで逃げたが、やがて疲れ果ててとある井戸の縁に腰を下ろした。ふと見るとその石の縁はどうしてかくぼんでいる。彼はその原因を考えたが解らなかったので、間もなく水汲みに来た女に尋ねて見ると、「水の滴りが長い間にそういうくぼみをこしらえたのです」との返答である。それを聞いて彼は釈然として悟った、才能に乏しい自分でも長く努力して已まなければ、必ず学成る日が来るに相違ないと。そこで彼は新たに勇気を奮い起こして学校に帰ったが、その後努力の効空しからず、学業の進歩にも見るべきものがあり、数年後には当時のあらゆる学問を修め終えることが出来たのである。

 その頃王位にあったレオヴィギルトはイシドロの一姉妹テオドラと結婚し、ヘルメネギルト及びレッカレドという二人の王子を儲けたが、遺憾にも王はアリオの邪説に惑わされ、聖教を捨てられた。で間もなくセビリアの司教になったイシドロの兄レアンドロが、熱心果敢にその異端と戦ったことは、いたく王の逆鱗に触れ、遂に国外へ追放の憂き目を見るに至った。それを気の毒に思ったのは彼の甥にあたる王子ヘルメネギルドで、伯父をコンスタンチノープルの皇帝に推挙してくれたのでレアンドロはその地に赴いた。彼が聖グレゴリオと友人となったのもやはりその頃の事である。
 その内に彼の弟イシドロが、追放された兄に代わって司教の位に昇った。そして兄同様弁舌を以て文筆を以て、熱心な活動を始めた。甥のヘルメネギルドは彼に対しても多大な援助を惜しまなかった。
 レオヴィギルト王は前非を悔いて586年レアンドロ司教を召し返したが、間もなく崩御あり、その子レッカレドがその後を襲うた。新王は帰正して再び聖会と和睦された。さてイシドロは兄レアンドロが再びセビリアの司教になったのでその勧告に従い静寂の境に従いて祈りと研究とに身を委ねる事とした。それと知った司祭達や人民は申すに及ばず国王までも彼の市中に留まる事を望まれたが、イシドロは兄の司教が世を去るまで遂に草廬を出なかった。
 浮き世を逃れた静かな生活は彼にとってこの上もない幸福であった。祈りに、黙想に、心ゆくまで霊の完成を計る事も出来れば、学術の研究に顧慮する所なく没頭する事も出来た。それ故彼はどこまでもその生活を続けたいと思い、彼に亡兄の後任司教として出廬を促す国王人民司祭等の願いをも斥けようとしたが、事情は彼の閑居を許さなくなったので、遂に彼も人々の意志に天主の聖旨を認めて、彼らの請いを容れるに至った。
 イシドロはそれから天主の御光栄の為、人々の救霊の為、華々しい活動を開始した、天主もこれを嘉して豊かな祝福を垂れ給うた。彼の深遠な学識、崇高な聖徳は彼を偉大な権威者として、兄のレアンドロの着手した事業を完成せしめ、アリオ派の異端も全く屏息した。彼は数回教会会議を開き賢明な規則を定め、聖会の典礼や学校教育等の為にも力を尽くした。また彼は労作の筆を執り、そのうんちくを傾けた著書は後世までも人々を益する事が少なくなかった。
 その他イシドロはギリシャ語、ヘブライ語の研究を盛んにし、アリストテレスの哲学を奨励した。彼は実際聖会博士の名に値する人物であったが、しかしより以上に聖人と呼ぶにふさわしかった。その博学なるにも似ず彼は極めて謙譲の徳に富み、その隣人愛の深さは測り知れぬほどで、貧しき人々には持ち物総てを施して更に悔いなかった。また彼は企画経営の手腕にも秀で、幾多の教会、修道院の建設はもとより、架橋、道路工事などにも成功している。そして罪人を遇するにはあくまで柔和で憐れみに満ちていた。

 601年彼は所用あってローマに赴いたが、途中ナルボンヌを通ると、そこは大干魃で人々の困窮甚だしく、聖人に雨乞いを切に懇願した。で彼が彼等と共に祈ると、たちまち慈雨沛然として至り、今まで枯死するかと疑われた田畑の物も青々と生気を取り戻したという。
 イシドロはかねてから自分の帰天の日を預言していた。そしてその六ヶ月も前から諸般の始末や善終の準備に取りかかり、いよいよその日が来ると教会へ行き、地に伏して罪の赦免を願い、自分の財産全部を貧民に施さしめ、安らかに永眠した。それは636年4月4日の事であった。

教皇

 聖イシドロは極めて舌を慎む人であった。我等もその如く語る時に注意せねばならぬ。いやしくも他人を損なうような談話は努めてこれを避け、人に就いて語る時には、自分が人にもそうして貰いたいと思う通りに話すがよい。不用心に言葉で罪を犯す場合は甚だ多いのである。
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