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7 青銅器時代の衛生都市――インダス文明――

2017-06-19 13:23:03 | 世界史
『文明のあけぼの 世界の歴史1』社会思想社、1974年

7 青銅器時代の衛生都市――インダス文明――

1 インダス文明の発見

 インドの西境にあるインダス川の下流の西岸シンド平野に、「モヘンジョ・ダロ」とよばれる小高い丘があった。
 「モヘンジョ・ダロ」というのは「死の丘」という意味で、そう呼ばれたように、それは荒れはてた丘だった。
 そこに、二世紀ごろのクシャーン朝時代の仏塔の廃墟があった。
 一九二二年にインドの考古学者バネルジーが発掘した。
 するとその仏塔の下から、象形文字らしいものを刻んだ印章のようなものがみつかった。
 また、ひじょうに古い日乾し煉瓦もでてきて、仏塔の下には古い遺跡があるらしいことがわかった。
 これよりさきに、このモヘンジョ・ダロの北西、インダス川の支流ラヴィ川のほとりに、ハラッパーという遺跡が知られていた。
 そこからは、象形文字らしいものを刻んだ印章とおもわれるものや、日乾し煉瓦などがみつかっていた。
 そこで、インド政府の考古局長をしていたイギリス人の考古学者、ジョン・ヒューパート・マーシャル卿は、ハラッパーの遺跡を調査した。
 ところが付近の村の住民たちが、家を建てるさいに、この遺跡で、古い建築に使われていた石や日乾し煉瓦を掘りだし、それを使っていたばかりか、その石を砕いて、鉄道を敷くさいに、バラスとして利用していたりした。
 そのためハラッパーの遺跡はひどく破壊されていて、そこで考古学的調査をすることは、ほとんど不可能と考えられた。 
 マーシャル卿はついにハラッパーの調査をあきらめた。
 そこに、バネルジーがモヘンジョ・ダロで、さきにハラッパーでみつかっていたものとひじょうに類似した印章のようなものをみつけたという報告があった。
 そこで翌年の一九二三年の終わりから二四年にかけての冬に、マーシャル卿は自分で、モヘンジョ・ダロの大規模な発掘調査をはじめた。
 こうして、「インダス文明」が発見されることになった。
 のちにはアーネスト・J・H・マケーが一九二七年から発掘指導者になり、発掘調査がつづけられた。
 一九三一年には一応の調査が終わった。この年には、マーシャル卿の「モヘンジョ・ダロとインダス文明」という三巻の報告書が出版された。
 その後モヘンジョ・ダロ南方のコト・ディジ、チャンフ・ダロ、アムリなど百以上の遺跡も発見・調査され、諸大河の流域に栄えた都市文明のなかでもとくに発達した「インダス文明」の姿が、しだいに明らかになった。
ジャンル:
科学
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