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聖ペトロ・ダミアノ司教教会博士  St. Petrus Damiani E. et Doct.Eccl 

2017-02-22 22:25:35 | 聖人伝
聖ペトロ・ダミアノ司教教会博士  St. Petrus Damiani E. et Doct.Eccl     記念日   2月21日



主イエズス・キリストの聖言に「汝等は世の光なり。(中略)汝等の光は人の前に輝くべし」(マテオ5-14,16)とあるが、中世紀の有名な教父、聖ペトロ・ダミアノ枢機卿こそは、まことにその熱烈な信仰と博識な知識を以て、冷淡不信の暗黒に迷っていた当時の人々を松明のごとく照らし、これに正しい途を示した「世の光」であったと言えよう。

 彼は1006年、イタリア、ラヴェンナ市の貧しい日傭取りの息子として生まれた。9歳の頃既に両親を失ったので、最初長兄の手で養育されたが、この人はあいにく冷酷な性質で、彼を邪魔者扱いしたため、司祭の職にあった次兄が見かねてやがて手元に引き取り、愛を以て育てる傍ら自ら初等教育を施した、そのうちにペトロが世にも稀な学才に恵まれていることを発見した彼は、それを十分に発揮させる為、後に弟を大学にまで送った。
 ペトロは次兄の恩に報いるため、日夜勉学にいそしんだ甲斐あって非常な好成績で大学を卒業した。しかし霊眼も暗くない彼は、つとに世間の名誉の浮き雲の如くはかないものであることを悟り、いかなる出世も思いのままの洋々たる前途を自ら葬って、ファエンザ市に程近い山中に隠遁し、草の庵を結んで祈りと修道に専念する身となったのである。
 人里離れて大自然の懐に抱かれた彼は、聖霊の御光に照らされる事いよいよ繁く、霊界の神秘を悟る事ますます深く、信仰は熱烈さを加えるばかりで、その苦行振りには感嘆を禁じ得ないものがあった。もとより謙遜な彼は、自分の徳の光を人の前に誇示するつもりなど毛頭無かったが、隠すよりは現れるというたとえの通り、聖人であるという評判は間もなく四方に響き渡った。で、その徳望を慕って教えを乞いに来る人々が多数ある中に、ベネディクト会大修道院長は、その修道院内部の改革に助力を与えられんことを懇願し、後には教皇までもペトロの人格と識見とを恃んで聖会信仰の振粛を企てられたほどであった。

 当時聖会は悲しくも規律乱れて、冷淡の風潮は平信徒はおろか修道者、聖職者階級までも浸食し、聖職売買の弊風がここ彼処に行われ、司祭も童貞を守らぬという有様であったから、教皇の願いを容れてかのような風紀の粛正に乗り出したペトロは、いにしえの洗者聖ヨハネの如く、イタリア、フランス、ドイツ諸国を巡り、舌端火を吐くような説教と、謹厳侵しがたい福音的生活の模範とを以て人々の心を動かし、遂に彼らの胸に再び信仰の聖火を燃え立たしめる事が出来たのであった。さればグレゴリオ、クレメンス、レオ、ステファノ、ニコラオ等諸教皇が彼を聖会復興の大恩人として尊敬され、またドイツ皇帝ヘンリコ3世が、彼の如き聖人と文通し得る事を無上の光栄と喜ばれたのも無理のない話であった。

 殊にステファノ教皇の如きはその功労に報いる為、1057年彼をオスチアの枢機卿の栄位に挙げられた。謙遜なペトロは再三これを辞退したが、辞退しきれずして遂に受けると、責任のいよいよ大きいことを痛感し、更には以前の熱心を倍加して革正事業に努力した。その為一部の人々から誤解や非難を蒙った殊もしばしばあったが、もとよりそれを意に介するような彼ではない、目的とするのは唯天主の御光栄と聖会の隆盛ばかりである。かような清い志を有する彼の活動が豊かな果を結んだ事は勿論であった。

 しかしようやく老境に入ったペトロは、一切の激務を離れて、好む所の祈りの生活に帰り、心静かに善終の準備がしたいという思いを抑えることが出来なかった。この望みはアレクサンデル教皇の時に叶えられた。けれども閑散の身になってからも彼はまた聖会の為重い任務を委ねられた。それはドイツ、フランクフルトの大会議に教皇使節として列席し、重大問題を解決した事である。そして1072年、ドイツからイタリアへ帰国の途中、彼の霊は天主の御召しを蒙り、生前の偉大な功績に対する報いを受ける為に天国に凱旋したのであった。

「大切なことは神に祈ることであって、神について書くことではない。もし神に祈らないのであれば、神の言葉を含む文を文法的に正しく書いても何にもならないのである。」 聖ペトロ・ダミアノの言葉


教訓

 聖ペトロ・ダミアノの立派な行為や言葉は当時及び後代の人に多大の感化を及ぼした。我々は我々の言葉、行為、祈り、善行などが、決してその場限りの一時的なものではなくて、必ず周囲の人々や後々の結果に影響を及ぼすものである事を忘れてはならない。それでこそ自分の欠点を改めて善に進み、他人を照らす「世の光」になる意義があるのである。
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