カトリック情報 Catholics in Japan

聖人伝、教会史、格言、みことばなどを掲載します。フェイスブックのカトリックグループにも投稿しています。

アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、14

2016-10-31 02:39:52 | 日本キリスト教史
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、14

 ひとりに、一つずつ穴が口をあけ、その底には、あらんかぎりの汚物が、たまらないほどのにおいを放っています。

 かれらは、この穴のなかに、頭を下に、さかさにつるされたのです。

 「やれやれ」と顔をみあわせたものがいます。あの賛美歌に、はげしく心をなやまされていた役人と奉行です。

「これなら、もうやつらも歌えなくなるというものだ」でも、まもなく、穴のなかから声がきこえてきます。耳をすますと、それは、なげきでも、うめきでも、まして、信仰をすてるという声でもありません。まだ、神を賛美し、マリアの助けをねがって歌っていたのです。しかも、これほど残酷な死刑執行人のために、すべての迫害者のために神のゆるしさえ願う声だったのです。

 1637年9月29日は、あれから3日目でした。

 もう声はきこえません。あたりは、しんとしています。役人が、あわれなぎせい者たちをひきあげてみると、京都出身のラザロと、フィリッピン人のルイスは、もう死んでいました。でも、3人の神父さまには、まだ息があります。

「ええい、なんとしぶといやつだろう!その首を切りおとせ」

 奉行は、なかばふしぎな恐怖にかられて、そう叫びました。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« アロイジオ・デルコル神父『... | トップ | アロイジオ・デルコル神父『... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本キリスト教史」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。