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(ボネ神父伝15)◆4-6、最初の布教地・奄美大島

2017-06-17 06:29:42 | ボネ神父様
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、15

第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教

◆4-6、最初の布教地・奄美大島

 ふたりは、歩を早めながら歩いているうちに、部落から100メートルとは離れていない一軒の家の前にきました。でも、不思議なことには、まだ宵の口だというのにこの家は雨戸をすっかりしめきっていました。なかからは、戸のすきまを通して、ほそぼそとしたあかりがもれていましたが、ふたりがその前に立つと、案内もこわない前に急に奥から人の近づいてくる気配がしました。やがてガチャガチャと鎖をはずす音や、かぎでもねじ切るようなそうそうしい音がしばらくつづくと、うちがわから荒々しく戸が開かれたのです。そして、どっと流れ出た光の洪水のなかからあらわれたのは、頭髪をやぶのようにかき乱した22-23才ぐらいの青年で、一目その姿を見たとたん、神父さまは、なぜかぞうっとしました。

 うつろな目で司祭をみていたその人も、つぎの瞬間、さもおどろいたように、2、3歩うしろへさがると、たちまち飛びあがって、「わたしと、あなたに何のかかわりがありましょう、ここは、あなたのおいでになる所ではありません。どうぞわたしを苦しめないで帰ってください。あなたをみていると、妬ましくでならない」と叫び立てました。かれは、ひじょうにおびえているようにみえましたが、そのくせ目は気味の悪くなるほど激しい憎しみに燃えているのです。

 この時叫びをきいて奥からかけつけた家族のものが、四方八方から青年を押えつけましたが、伝道師から一夜の宿をこわれると、かれらは、さも困ったように顔をみあわせました。

「お泊めするのは、お安いことでございますが、お恥ずかしいことに、むすこがごらんのような始末で、お客さまにもご迷惑がかかるかと存じますので・・・」。

 青年の父親らしい人が気の毒そうに断りました。すると、押えられていた青年が手をふりきって、司祭の前にひざまずき、

「このかたは、生きるまことの神、イエズス・キリストの代理者である」

と、声高らかに叫んだかと思うと、急におとなしくなり、今にも絶えいらんばかりの声で、哀願しました、

「どうぞわたしを追いださないでください。もう少しこのまま放って置いてください!」

 青年は、黙々としてじっと自分をにらんでいる司祭をみると、とうてい望みがかなえられそうもないのを察して、ふたたび荒々しい態度にもどり、あらゆることをしゃべりはじめましたが、そのきたないこと!人々は、耐えられなくなって、思わず耳をふさいでしまいました。

 このとき神父さまは、はじめて口をひらきました。

「いつからこのようになりましたか?」

「もうひと月も前からでございます。以前はいたっておとなしいむすこでしたが、どうしたわけか急に変ってしまいました。なんだかおそろしくカが強くなっていまして、あばれだすと、何人かかっても手におえないのでございます。そのうえ、いつ飛びだすかわかりませんので、こうしていつも戸をしめて、家のなかにとじこめています」。

 父親の説明で神父さまは、青年が悪魔つきであることを、もはや疑うことができませんでした。

(悪魔という名が出てきましたので、なんだ、これも幼稚なおとぎぱなしではないかと、お考えになるかたがいましたら、これはフィクションではありません。また.わたしたちの人間性そのものftついて考えてみても、肉体のメカニズム的なものの向こうに、これを動かしている能動的で非物質的なもの、すなわち霊の存在につき当らないわけにはまいりません。とすれば純霊的な存在を否定する理由が、どこにあるでしょうか。キリスト教では、神は天地創造に先だって、おおくの美しい霊をおつくりになったことを、また、そのなかのあるものは、霊を霊たらしめている自由意志の濫用によって善を失い、悪魔になったのだと、教えているのです。)

 神父さまは、むすこは狂人ではない、悪魔につかれているのだといい、このことを、かれがキリストのみ名を知っており、司祭である自分をおそれている事実で証明しました。そのうえ、天地創造から始めて、キリストのご死去にいたる救いについても、なおくわしく説明したのです。

 父親は、ききおわるとただちに信じました。そして、「どうぞ、わたしたちをあわれんでください。まことの神の力で助けてください!」と叫びました。ボネ神父さまは、父親のすなおな信仰に感嘆しました。そして、たとえからしだねほどの信仰でも、山を移し変える力があるとおおせになったキリストのみことばを思いだしたのです。

 そのときの神父さまの心には、ほんのわずかの疑惑も残ってはいませんでした。かれは心にあふれる甘美な天的愛にほほえみながら、父親に、水とローソクと小さな机をもってくるように命じましたが、やがて机の上に火がともされ、祝された水がととのえられると、神父さまは、静かに祈りました。



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