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志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』、3

2016-07-10 05:18:42 | プロテスタント
志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』

◆3、ルーテルの生涯

 マルチン・ルーテルは、1483年11月10日、冶金工を父として、アイスレーベンに生まれました。成長してエルフルト大学に学び、1505年博士号を取得しました。父の希望によって、法律を専攻しました。

 ルーテルは、この勉強をはじめてから二か月後急にやめ、1505年7月17日にエルフルトのアウグスチノ修道会へ入会しました。なぜそうしたかその動機については、同年7月2日に落雷に会い、「もし命が助かるなら、修道者になります」と誓ったからだと一般に伝えられています。しかし、この動機をルーテルの当時の先生ドゥングルシャイムは、みとめません。ルーテルは、別の理由で命がたすかるために入会したのだといいます。それは、こうです。つまり、ルーテルはひとりの学友を決闘で殺した犯罪で、命があぶなくなったのでした。あの当時の習慣では、どんな犯罪者でも教会や修道院に避難すれば、法律の手にかからなかった(つまり、逮捕されなかった)ので、ルーテルは、修道会に急に入会したわけです。

 ルーテル自身、数年後、もう逮捕の心配がなくなったとき、二つの説教のなかで、目分が殺害者だったこと、逮捕をさけるために修道者となったことを話したことがあります。しかし、ドイツ語での説教なのに、一般の人にわからないように、そのことをラテン語でいいました。ルーテルはまた、自己弁解のために「教会への避難権論」という小冊子も書きましたが、ふしぎにも今までのすべてのルーテル研究者がこの小冊子を無視したのです。

 これらのことは、最近(1983年)ディトリッヒ・エンメ氏の研究で発表され、大きな波紋をおこしました。

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