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聖ペトロ・クラヴェル司祭証聖者  St.Petrus Claver C.

2017-09-22 06:49:53 | 聖人伝
聖ペトロ・クラヴェル司祭証聖者  St.Petrus Claver C.    記念日 9月9日


 昔は諸国に奴隷というものがあって、人でありながら物品の如く売買され、買い主の意のままに働かねばならなかった。これら奴隷達の運命は、時に甚だ悲惨を極めた。彼等は人間扱いを受けず、少しの自由も与えられずして、全く主人の所有物であった。しかしイエズスが「人を己の如く愛すべし」という掟を与えられてからは、信者達は奴隷までも愛するようになった。聖会は及ぶ限り奴隷をするように努めたが、奴隷制度を阻止するまでの力はなかった。故に賠償金を以て良き訓戒を以て彼等を解放し、或いは少なくともこれを慰めようとした。数多の熱心なキリスト信者達は、司祭も平信者も金を拠出し、全力を尽くしてこの博愛事業に当たった。こういう憐れな奴隷達の為に奔走し布教した最大の恩人は聖ペトロ・クラヴェルであろう。当時の奴隷は大抵黒人で、之は白人の奴隷より一際甚だしい虐待を蒙っていたから、彼は特別彼等の為に尽くし、時々は「黒人の奴隷」と自称したほどであった。
 彼はスペインのヴェルジュに生まれ、既に幼い頃から将来は司祭になることを望んでいた。それで両親は彼をバルセロナに出し勉強させた所、成績も至って良好であった。彼はその都市のイエズス会の人々と親しく交わり、後遂に同会に加わることとなった。
 修練期を終わると彼は、黒人奴隷を改宗させる為南米に派遣されんことを願った。長上はすぐにはそれを許可しなかったがやがて彼を同地に遣わした。彼は憧れの南米に到着すると先ず規定の勉学を終え、叙階の秘蹟の準備をせねばならなかった。そして自ら学識ある身でありながら、バルセロナにいた時から既に親交のあった。平修士聖アルフォンソ・ロドリゲスに完徳の道を学んだ。彼にその召し出しが黒人奴隷への布教にあることを伝えたのも、実にこの聖なる友に他ならなかった。
 更に長い勉学と準備との後、彼は憐れな黒人達に聖教を伝える為赴任した。カルタゲナでは鉱山、都市、田園、いずれに於いても黒人奴隷が労働を強制されていた。彼等はアフリカから年々一万から一万二千人も輸入され、獣の如く売買、虐使されるのである。その中には病気に冒されたり絶望に陥ったりして主人や監督に対し燃えるような憎悪反感を抱いている者も少なくはなかった。ペトロ・クラヴェル師はこういう憐れな人々に霊の慰めを与うべく赴いたのであるが、既に途中の船内から、彼は愛想よく彼等に近づき、果物や菓子などを与え、親睦を計った。奴隷達は最初彼も自分達を虐めに来たものと誤解し、なかなか打ち解けようともしなかったが、彼の重ね重ねの親切にようよう他意のないことを悟ると、次第に分け隔てのない態度を示し始めた。
 ペトロは彼等のすべてを慰め、殊に天主の事、イエズスの事、主の御苦しみのことを話して聞かせた。アフリカから来た黒人の奴隷達はまだキリスト教信者ではなかったので、こういう真理が珍しいらしかった。彼はまた子供等病人達を手許に引き取って世話し、傷を洗い薬を飲ますなど親身も及ばぬばかり面倒を見てやった。かような愛が報いられぬ筈はない。不幸な人々はさながら慈母を慕う如くかれになつき、彼にだけは余人に許さぬ信頼を寄せたのであった。
 ペトロは彼等を手なずけるのに、新たに色々と工夫を凝らし、彼等に娯楽の途を講じてやり、楽器などを与えた。そして彼は自分に従おうとしない人々、或いは自分を軽蔑し悪口する人々にも、一視同仁の態度を以て臨んだ。奴隷の主人等もしばしば彼の妨害を企てた。しかし彼は天主及び黒人への愛を以てすべてに打ち克ったのである。
 またその愛は布教の上でも大成功を収めずにはいなかった。彼が黒人奴隷の為に働いた44年間に、洗礼を授けた人々の数は恐らく30万を遙かに突破したことであろう。彼は奥地に売られた黒人奴隷に福音を宣べ伝え、或いはその信者達に秘蹟を施すため、しばしば河を越え沼地を渡り野獣の棲む森林を通って、遠方まで行かねばならなかった。しかしそうした艱難をものとせぬペトロの熱心をよみせられてか、天主は彼の祈祷に感じ、奇蹟を行い給う事も幾度となくあった。されば彼の名声は雷の如く轟き、ただ黒人奴隷のみならず他の不幸な人々にも助力を求められることが少なくなかった。そして彼は頼まれれば決していやとは言わず、相手がキリスト教徒であろうと回教徒であろうと、また土着民であろうと外国人であろうと、その間に何の差別もおかず及ぶ限りの援助を与えたのである。
 そういうとき彼は多くの祈祷を献げ、昼にその暇がなければ夜に之を為し、加うるに峻烈な苦行を怠らなかった。かくの如く我が身を懲らしつつなおあれほどの活動をなし得たことはそれだけでもう一大奇蹟と驚嘆せざるを得ない。従順と清貧の二徳にかけては、彼は殆ど模範的と言ってよかった。彼は貧しい衣服と劣悪な物品を最も好んだ。またその忍耐と柔和とは衆人の感嘆の的であった。しかも彼が生来の性質は寧ろその反対であったのであるが、よく自制してそれに打ち勝ったのであった。
 1650年、彼はあるペスト患者からその疫病を伝染し、幸いに一命を取り留めたけれど、それからはめっきり身体が弱くなった。四年後黒人奴隷の為の彼の仕事を助ける司祭がもう一人ヨーロッパから派遣された。体力の衰弱にはかばかしい活動も出来ぬ事をかこっていた彼は、それを喜んで天主と長上に対しどれほど感謝したことであろう!とはいえ彼は生を終わる最後の日まで殆ど任務を怠らなかった。彼の危篤の報い一度伝わるや、全市は悲嘆に沈み役人その他の見舞客の来訪引きも切らなかった。かくて彼が安らかに大往生を遂げたのは1654年の聖まりあ御誕生の記念日のことであった。享年74歳であった。

教訓

 友のみならず、あらゆる幸なき人々を愛すべく努めよ、よしそれが汝に難くとも。
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