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カンタリチオの聖フェリクス証聖者    St. Felix a Cantalicio C.

2017-05-18 04:51:07 | 聖人伝
カンタリチオの聖フェリクス証聖者    St. Felix a Cantalicio C.   記念日 5月18日



 16世紀は人も知る如く、ルター等がいわゆる宗教改革の美名に隠れて様々の異端説を唱導し、欧州の宗教界を収拾し難い混乱に陥れた悲しむべき時代であったが、他方には新大陸アメリカに布教の開拓が行われ、また東洋にも宣教が盛んになった外、数多の聖人も輩出するという喜ぶべき現象も少なくなかった。本日祝う聖フェリクスなどもその時代の聖人の一人である。

 彼は1515年イタリアのウンブリア州カンタリチオ村に呱々の声を挙げた。不幸、家が貧しかった為、通学の余裕もなく、少年の頃は牧童として父の家畜を守って過ごし、青年になってからはある豪農の雇い人に住み込んだ。そんな有様であったから、教理なども深く研究したことはなかったが、信心は極めて厚く、美しい大自然に接しては、その創造主なる天主を心から礼拝讃美し、また樫の木の幹に十字架の形を刻み、その前で或いは黙想し、或いは主祷文、天使祝詞、使徒信経など、暗記している祈りを唱えるという風であったが、なかんずくその何よりも好んだのはイエズス御受難の黙想であった。
 然るに彼はある時山修士の伝記を読んで大いに感じ、自分も彼等の如く山奥に入って世を離れ、存分に祈りや苦行をしたいものと考え、知人にふとその望みを漏らした所、相手が言うには「いや、その心がけさえあれば別に山に隠れるまでもない、チッタ・ヅカレにある、アッシジの聖フランシスコがはじめたカプチン修道院に入るだけで十分に目的が達せられよう。」と教えてくれたから、彼は早速その言葉に従い、同修院を訪れて院長に入院を懇願した。けれども院長はフェリクスに果たしてその召命があるか否かを精密に調べ、最後に血だらけのキリスト磔刑像を示して「修道士になれば、この十字架に磔り給うたイエズス・キリストの御途に倣わねばなりませんが、貴方にその覚悟がありますか」と言うと、彼は「私が苦行の外何も望まぬことは、天主様がよく御承知です」と答えたが、その面には如何にも熱誠の色が溢れていたので。院長も遂に彼を修練者の群れに加える事を許した。

 フェリクスは30歳にして修練期を終え、間もなくローマに遣わされ、施しを乞い歩く役に任ぜられた。そしてこれこそ彼が此の世を去るまで続けた仕事に他ならなかった。
 彼は永遠の都と呼ばれるローマ市の街角や街道を、日毎に廻っては、人々の情けに縋って修道院の日用品を貰い集め、恩人の為には真心から感謝の祈りを唱えた。その道行く時には手にロザリオを爪繰り、目は慎ましく地上に落とし、心は高く天に挙げていた。そして施しを受ければ必ず「天主に感謝し奉る」(デオ・グラチアス)という言葉で感謝を示すのが常であった。
 それは恩人に対してばかりではなかった。時折「怠け者!」とか「乞食!」などと罵詈を浴びせる人があっても、彼はやさしく「デオ・グラチアス!」と答えるのであった。それで仕舞には市民に「デオ・グラチアス」とあだ名されるまで評判になった。子供たちはよく面白半分に彼の後ろについてぞろぞろ歩きながら、声を合わせて「デオ・グラチアス、デオ・グラチアス」と囃し立てた。が、フェリクスは少しも腹を立てず、却ってにこにこ笑いながら、自分も彼等と一緒になって「デオ・グラチアス」を繰り返すのであった。

 彼はある時長上から、施しの一部を貧民に施してもよいとの許可を得ると、それからは毎日のようにトラステヴェーレの貧民窟を訪れ、金品を恵んで窮迫の人を助けたり、愛の言葉を注いで悩みある人を慰めたりした。なお暇ある時には、病者を見舞って親切に看護もすれば、その容態によっては善終の準備もさせ、また夜にはしばしば修院の聖堂に行って御聖櫃の御前にひざまずき、憐れな罪人などの為、熱心に主の御聖寵を祈り求めるのであった。
 かようにして聖フェリクスの聖徳は今やローマ市民の間に隠れもなく、彼は行く先々で喜び迎えられるようになったが、少しも高ぶる色なく、常に自らを「カプチン修道会の驢馬」(西洋でロバといえば「怠け者」という意)と卑しめ呼んでいたほどであった。

 彼は世の学問をあまり重んじてはいなかった。それは次のエピソードに依っても察せられよう。ある日弁護士を訪ね、その豪奢な図書室を見せて貰ったフェリクスは「先生は随分いろいろの書物をお持ちですが、何よりも十字架という本をお読みにならねば、却って霊魂に有害な事を覚えるだけかも知れませんよ」と誡め、更に「私の学び覚えた字は赤い字が五つと白い字が一つ、都合六つしかありません」と語ったという。ここに五つの赤い字とは、主が御受難の象徴なる五つの聖痕を指し、一つの白い字とは純潔な童貞聖マリアに対する信心に他ならぬのである。実際聖母に対する崇敬は非常なもので、その臨終の時には、聖母が御子を抱いて迎えに来られたという伝説さえ残っている位である。即ち帰天の時が近づくや、彼は神々しい輝きに満ちた顔を壁の方に向け、微笑みつつ何もない虚空をじっと見つめていた。で、傍らの人が怪しんで「何を見ているのですか?」と尋ねると、彼は「私は貴方がたがまだ見る事の出来ないものを見ているのです」とさも嬉しげに答え、それから間もなく安らかに息を引き取ったとのことである。知らず、その時彼の仰ぎ見た所の御者は、そもそもどなたであったろう。命日は1587年5月18日、享年73歳であった。

教訓

 何物かを与えられた時には、相手の人に、また天主に、衷心から感謝する事を忘れてはならぬ。我等も聖フェリクスに倣って「天主に感謝し奉る」(デオ・グラチアス)という言葉を口癖にしよう。何となれば生命、健康、能力、財産、何一つ天主の御手から出でぬものはないからである。そしてその限りない御恵みに対しては、ただ口で感謝するのみならず、信仰の務めに精を出して報恩の誠を致さねばならぬ。
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