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7-2 青銅器時代の衛生都市

2017-06-20 06:14:32 | 世界史
『文明のあけぼの 世界の歴史1』社会思想社、1974年

7 青銅器時代の衛生都市――インダス文明――

2 青銅器時代の衛生都市

 こうして姿を現わした「インダス文明」は、特色のあるすぐれた都市文明であったが、同時に種々の謎をもつ文明であった。
 インダス文明はいわゆる「青銅器文明」で、道具や武器に、石器とともに銅器や青銅器を使っていた。
 またその陶器は“ろくろ”を用いて作られていた。乗り物として車も使用されている。
 これらのことは、インダス文明がそうとう高度に発達した文明であることを教えている。
 しかしさらに特色的なのは、その都市計画である。
 おそらくモヘンジョ・ダロは都市計画で整然とつくられた世界最古の都市であろう。
 南北、東西に幅一〇メートルほどの大通りが直交している。
 これらのメイン・ストリートの長さは、まだ全部発掘されていないのでよくわからないが、少なくとも二キロメートルはある。
 この大通りに直角に、幅二~三メートルから五~六メートルほどの小路がたくさんある。
 そして、これらの道路によって市街はいくつかのブロックに区画されている。
 これらの道の両側には、たくさんの住居が建てられ、規則正しくならんでいる。
 住宅は多く二階建てで、たまには三階建てのものもある。
 部屋数も多く、大部分火で焼いた煉瓦でつくられている。
 その外壁は厚く、部屋と部屋は煉瓦壁で仕切られている。屋根は平らだった。
 これらの家の外壁にはほとんど窓はない。あっても小さなものが、高いところにほんの少しあるだけだった。
 それは、これらの地方の気候と関係があり、強い直射日光が家のなかにはいらぬための工夫と思われる。
 光は戸口と家の中央にある広間(ホール)からとられたらしく、たいていの家が中央に広間をもち、そのまわりに小部屋がならんでいる設計になっていた。
 しかしなによりおどろくことは、給水、排水をはじめ、衛生設備が完備していることで、その点では今日(一九七〇年代)の東京以上かもしれない。
 ほとんどの家に煉瓦でかこんだ井戸がある。
 それらの井戸は道路からも自由に使えるように、特別な戸口が道路と井戸のある部屋とのあいだにつくられている場合もある。
 また浴場も、ほとんどの家にあった。
 その浴場は二階にある場合もあったが、けっして水がもらないように、注意してつくられていた。
 これらの浴場や便所の汚水、雨水などは排水用の土管をとおって、いったん汚水だめにためられ、そこでごみなどを沈澱させて、上ずみだけが、下水に流れるようにつくられていた。
 下水溝は、道路ぞいに煉瓦で持ち送りのアーチ式につくられ、いたるところに通じていた。
 これだけでも我々には驚異的だが、さらに細かい点にも気がくばられていた。
 家屋の厚い壁のなかを、ごみ捨て用の管が二階から下まで通り、階上で捨てたごみはこれを通って下の箱にたまり、掃除人が道路からこの箱の蓋をあけて、ごみを集めるように工夫してあるという、現代都市のような設計もあった。
 城壁でかこまれた市街地の外に、おそらく農耕地があり、そこで小麦、大麦、ごま、豆、ナツメヤシの実などがつくられたらしい。
 というのはこれらの穀類や野菜、果実類が出土しているが、それらすべてが他地方から輸入されたと考えることは困難であるからである。
 そのうえモヘンジョ・ダロでは穀物倉庫がみつかっており、ハラッパーでは穀物倉庫のほかに製粉所もみつかっている。
 また牛、羊、豚、家禽、魚、亀、貝などを食べていたことは、それらの鳥獣や魚の骨や貝殻などが出土していることからもわかる。
 これらの遺物からみて牧畜と、同時に狩猟もおこなわれていたことが確かである。
 なお魚撈(ぎょろう)がおこなわれていたことは、金属製の釣り針や、魚網に使ったおもりが出土していることからわかる。
 また木綿をつむいで織っていたことは、木綿をつむぐ「つむ」が出土しているので知られる。
 羊毛も使われたらしいが、これは明らかな証拠はない。

 女は腰巻ようのものを身につけ、上に帯をし、頭には扇形の布製の飾りをつけていた。彼女たちはなかなかおしゃれで、いろいろな化粧をしていた。
 炭酸鉛のおしろい、墨、青銅製の柄つき鏡、象牙製の櫛(くし)、ピンなどが出土しているので明らかである。
 水晶、めのう、トルコ石、アマゾン石などの宝石や、金、銀、銅、青銅、ガラスなどを使って、首飾り、胸飾り、腕輪、足輪、耳飾り、鼻環(はなわ)などのアクセサリー類をたくさんつくって使用していたことは、出土品から知られる。
 それらの宝石類はたいせつにされ、金属製の宝石箱にいれ、床の敷き煉瓦の下などにかくしてあったものが、発見されている。

 男は、幅の広い布を左の肩からかけ、右肩は裸のまま出し、この布を右の腋(わき)の下でむすんでいた。
 これらの風俗は、出土した彫刻類からうかがえる。
 それらの彫刻類はあまり大きなものはないが、石彫りのものも、青銅の鋳像もあり、土製のものもある。
 写実的で、表現はいきいきしており、他の古代文明とはちがう点があったことが、それらからもわかる。
 出土品のなかには大小の秤(はかり)やそのおもり類がたくさんあり、商業的なものがある程度発達していたことをうかがわせる。
 ことにかなり公正に取引きがおこなわれていたことは、はかり用のおもりに不正なおもりがないことからわかる。
 おもりから推察するところでは、ここでは十進法と六進法がおこなわれていたらしい。
 インダス文明はマーシャル卿らによって紀元前三〇〇〇年をはさむ、前後五百年間くらいに栄えた文明といわれていた。
 しかし最近では、もう少し時代を下げて、紀元前二五〇〇年ごろから一五〇〇年ごろまで栄えたものと考えられるようになった。

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