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アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、18

2016-10-31 02:36:59 | 日本キリスト教史
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、18

◆1634年10月下旬の殉教者(2)

★ イタリア人司祭ホルダン神父(俗名ジャチント・アンサローネ):

当時スペイン領だったシチリア島生まれのかれは、スペインにわたって、ドミニコ会の司祭になりまた。それから、メキシコを通ってマニラにわたり、さいごに日本にやってきました。

★ スペイン生まれのドミニコ会司祭ルカス・アロンソ神父:

かれは、マニラに来ましたが、いさましい日本の殉教者たちの話をきいて、決心しました。”よし、わたしも日本に行こう、あそこでは、もう宣教師がいないんだから、日本の信者を助けに行こう”と。

 長崎についても、すぐつかまって殺されてはなりません。

★ 長崎生まれのマテオ・コヒョウイエ(小兵衛)と、そのしんせきにあたる青年ドミンゴ・カクスケ(格助)たちとともに、さっそく京都に向かいました。それから、いまの石川県、富山県、新潟県をまわり、仙台にまで足をのばすと大阪に帰り、ここで捕えられてしまいました。かれは、ともの伝道士や、青年カクスケとともに長崎におくられ、牢獄につながれる身となったのです。

 その牢獄には、イエズス会の他の宣教師や、日本人司祭、修道士がいました。このほかに、67名もの信者もいたのです。

 10月の水責めのごうもんと他の恥辱的なごうもんは、目をおおうばかりのものがありました。みんなが信仰に助けられて英雄的にがんばったなかで、ただひとりまけて信仰をすてたものがありました。フェレイラ神父です。

 ほかの殉教者のかなしみはひととおりではありません。どんなに、かれのために祈り、ぎせいをささげたことでしょう。でも、とうとう、かれを改心させることができませんでした。そのかわり、かれらは、自分たちが、忠実をちかいあって、決心をかためたのです。
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