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アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、17

2016-10-31 02:37:30 | 日本キリスト教史
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、17

◆3、1634年10月下旬の殉教者

 イタリア人、スペイン人日本人の3人の神父さまと、日本人のひとりの伝道士、および、ドミニコ会第三会の修道女だった2人の婦人。

★ 日本人司祭トマス・ヒヨジ西ロクザイエモン(ひよじ西六左衛門):

 平戸に近いイキツキ島に生まれました。かれの父は、熱心な信者で、島では、奉行所の内記、(いまの知事にあたる)役とくらいをもっていました。3人の息子とひとりの娘の父おやだったのです。神父さまになったのは、次男のほうです。

 かれの平戸のとのさまは、イキツキ島を二分して、それを未信者である2人のいわば副知事にまかせました。このうちのひとりは、内記の娘マリアと結婚すると、むりにでも信仰をすてよとせまるのです。妻のマリアは、ことわって、実家に帰ってしまいました。しかしそのため、親も長男も投獄。よく1609年11月4日、あっばれな殉教の栄冠をうけました。

 次男のトマス・ヒヨジ・ニシ・ロクザイエモンは、その7年まえから、有馬のセミナリオ(小神学校)に入学していましたが、父の死を知ると、相続権をうちすてて、ドミニコ会に入会し、マニラに留学して、ここで司祭になりました。かれはのちに、ほかの日本人や外人のドミニコ会員とともに、日本に帰って布教にはげみました。かれは、ドミニコ会の最初の日本人司祭だったのです。

 日本に帰ったとき、かれは、自分の故郷に入ることが、どうしてもむりだとさとりました。そこで、目上から北部の布教をまかされたかれは、京都に行き、ひとりの伝道士ともども大阪や広島に行きました。

 広島には、弟のカザイエモンが住んでいます。かれは、ここを根拠として、このあたりに散っているたくさんのころびキリシタンを信仰につれもどすのに成功しました。かれは、バテレン・ロクザイエモンという名で、よく人に知られていました。それで、かれを血まなこになってさがしていた役人の目をのがれるには、転々と住所をかえねばなりませんでした。

 でもある日、とうとう長崎にやってきました。ほかの教師たちに会って、たがいにはげましあっているそのとある人のうらぎりで、宣教師がみんなつかまってしまったのです。かれらは、ひとりのこらず信仰をまもり、英雄的な殉教をとげたのでした。
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