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(ボネ神父伝12) ◆4-3、最初の布教地・奄美大島

2017-06-14 04:01:51 | ボネ神父様
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、12

第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教

◆4-3、最初の布教地・奄美大島

 真昼の直射日光を白いヘルメット帽でふせぎながら、若い宣教師がようやくたどりついた教会は、脊丈の半ばは埋もれてしまうかと思われるほど深い雑草におおわれた、あばら家でした。

 そのあたりにむらがっている士民の家もまたそれ以上にひどいもので、かれの故郷では、どれほどみにくい貧民窟にも、これほどのものは見られなかったことでしょう。まして住民の幼稚さ、野蛮さは、かれの心に本能的な侮べつの感情をおこさせずにはおきませんでした。

 思わずかれは、うるさくつきまとう、もの珍し気な子どもたちを乱暴においはらってしまったのです。しかしこのとき、ふとかれは、心に光がさしてくるのを感じました。たとえかれらが無知蒙昧な人間であっても、洗練された文明人と、どんな差があろうか?いつかすべての人が神の前に立ったとき、人間のいかにすぐれた才能も、神の全知の光にてらされれば、たちまち色あせてしまうではないか。この世で無知だった霊魂も、天才だった霊魂も、やがて神の知恵によって働くようになったとき、どこに優劣が認められよう?

 かれがこんな考えにわれを忘れていると

「神父さま、気をつけてください。ハブがいます」、かれを案内した青年が、石の間を指さして、注意しました。するすると草むらの間を通りすぎてゆく白と黒のしま模様をチラッと見ましたが、神父さまには、なぜそんなにハブがこわいのか、あまりピンときませんでした。

 それよりも、はじめて自分の教会をもつよろこびにうっとりとしていたかれは、携帯用の固パンをかじると、疲れも忘れ、若さと体力にものをいわせて、その日のうちに雑草を刈りとってしまいました。さっそく、荒れた教会の手いれをはじめたのです。前任司祭が病気で帰ったあと、教会はまったくうち捨てられたままになっていました。明日は、あんなにあこがれていた布教地での第1回目のミサがたてられるのです。かれは、形ばかりの祭壇を、できるかぎりの工夫をこらして飾りつけました。

 軒下には、用意してきた、天主公教会の看板をさげ、屋根には枝を切ってきて組みあわせると、十字架までとりつけてしまいました。

 これでまがりなりにも教会らしい形がととのったので、かれは満足しました。しかし、さすがにからだは綿のように疲れていました。

"主よ、わが魂をゆだねたてまつる"一ボロボロのベッドに頭をつけると、底のない深い眠りにおちてゆきました。

「お休みなさい、神父さま」。

 故郷の空から、はるばると、幼ななじみの熊星が、窓辺をそっとおとずれて、いたわりながらすぎました。



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