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聖イシドロ農夫

2016-10-15 14:09:18 | 格言・みことば
聖イシドロ農夫

 彼はまず夜の明けぬうちに起き出て、聖堂に行っては熱心に祈ってから仕事に取りかかり、しばしば冬の寒さ、夏の暑さを忍びながら汗みどろになって働いた。もちろん日曜日や祝祭日にはいっさい労働を休み、必ずミサ聖祭にあずかって説教を聞き、熱心に聖体を拝領した。

 ところが同じ農場の農夫たちは、イシドロのまじめな生活をねたんでか、「イシドロは信心にこってのら仕事に身を入れない」と主人に告げ口した。主人もそれをまに受けて、「そんな長たらしい信心をしていては定めし仕事もはかどるだろう」と、しばしばひにくっていた。そこで、ある日イシドロは、主人に「それでは、わたしの耕した畑と、他の人の耕した畑とどちらが多く作物がとれますか調べてください」と願った。主人はためしに調べてみて驚いた。日曜の務めを果たし、朝晩長い祈りをするイシドロの畑のほうが、主日も休まず祈りもせずにあくせくと働いた他の作男の畑よりも、ずっと収穫が多かったのである。おそらくイシドロも、「わたしは植え、アポッロは水を注いだ。しかし成長させたのは神である。したがって植える者も水を注ぐ者もとるにたらない。ただとうといのは成長させてくださる神である」(コリント前 3の6-7)という信念から、自分の労働に祈りを合わぜていたのだろう。そのうえにイシドロが働くときには白衣の天使が手伝っていたとか、祈っているあいだには天使が代わって仕事をしてくれたといううわさまでたつようになった。

 このことがあってから主人もイシドロを見なおし、信心深い娘をさがしてイシドロと結ばせてやった。やがてイシドロ夫婦は一子をあげたが早死にしたので、その後はお互いの同意で兄妹のようた清い愛の生活を送ったという。真に神を愛する者は、当然他の人をも愛するはずだが、イシドロの場合もその例外ではなかった。彼は、ことばや行ないで他の人を傷つけないばかりでなく、自分は質素な生活をしながらもすすんで困っている人を助けたり、旅人をもてなしたりした。

 ある日のこと、イシドロ夫婦が夕食をすませたころ、こじきが食物を求めにやってきた。イシドロは「何か食べるものが残っていないか」と妻に尋ねた。妻はとっさに「何もありません」と答えたので、「器をあけてよく捜してみなさい」とすすめた。妻は笑いながら、「もう食べてしまったからの器に何がありましょう」と言って、ふたをとってみると、不思議にもその中にパンとやさいがはいっていたので、それを物ごいに与えたという。

池田敏雄(司祭)『聖人たちの生涯』pp.426-427
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