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アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、11

2016-10-31 02:44:37 | 日本キリスト教史
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、11

 ルイスは、おどろいていいました、

「とんでもありません。わたしは、学問はありませんが、小さいときから、キリスト信者です。キリストさまをすてるなんて、絶対にできません。もちろん妻子はこいしいにきまっています。まい晩その夢はかりみています。でも、それだからといってどうして人間を神さまとかえられましょう。いいえ、わたしのいのちともです。もし、わたしに、数干のいのちがあるなら、全部キりストさまにささげます」

 ルイスのことばをきいているうち、奉行は、そら恐ろしくなってきました。”ほんとうに神がいるのなら、こんなことをしている自分はどうなる?いやいや、そんなものあるはずがない。その証拠をいまにみせてやるぞ”とばかりに、かれらは、ルイスにも、とくべつ残酷な水ぜめのごうもんを命じました。

 もうすっかり、あくまの心を身につけてしまった役人たちです。人の苦しみがおもしろくさえなってきました。すぐ死なせないで、なん日間も苦しめようと考え、この3人をまた牢獄にいれたのです。

 がんじょうな木の格子でつくられた牢獄は、たがいに格子でしきられた二つの部屋になっています。この3人は一つの部屋に、前の3人は別の部屋にいれられています。でも、格子ですから、お互いに顔をみることも話すこともできます。



 ひとり、はげしく泣き苦しんでいるものがあります。京都出身のラザロです。
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