カトリック情報 Catholics in Japan

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(ボネ神父伝7)◆3、変なやど屋

2017-06-09 04:35:00 | ボネ神父様
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、7

第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教

◆3、変なやど屋


「ミヤザキ、ミヤザキ」。

 疲れきった夜行列車がプラットホームのまばゆい光のなかにすべりこんでくると、煤煙で黒くなったその長蛇の口からおびただしい旅行者を吐き出しました。

 このとき、詰めえり姿の青年がふたり、あわただしくホームにかけこんできて、何かうなずき合うと、ひとりは1等車のほうへ、もうひとりは2等車のほうへ走ってゆきました。

 どの昇降口も、長い旅から解放された人たちのよろこびで活気づいています。青年たちは、その近くに立って人波にもまれながら、出てくる旅行者の顔を、ひとりひとりくいいるように見ていました。しかし、しばらくすると、車のなかには、ぐずぐずしている人たちが数人残っているばかりになり、ついにかれらの失望は決定的なものとなったようです。そのときすでに駅の時計は、9時をさしていました。ひとりは、もう一度ポケットから手紙を引きだしてみました。

「ほらここにJe suis sur que j'arrivrai a huit heure et demie(たしかに8時半に着く)と書いてあるだろう・・・変だなあ!」

「うん、それはたしかに8時半に着くという意味だよ。とすると神父さまは、車をまちがえられたんじゃないかな」。

 もうひとりのほうも、のぞきこみながら思案にあまったようにあいづちをうっています。

 どこかで困っている人のことを考えながら、かれらはどうしようかというように顔を見あわせていますが、この青年たちは、神学生で、鹿児島の教会から宮崎の教会へ転任してくるという、ひとりの外人宣教師をむかえにきていたのです。

 しかし、その少しまえに、かれらのまったく思いもよらなかった3等車のなかから、背たけのずばぬけて高いフランス人が、のこのこと不器用そうに頭を曲げながら出てきました。これこそ、神学生たちがあれほど熱心にさがしていた宣教師だったのです。

 そのうえ、血色のいい広い額や、何かしらいたずらっぽい感じのする無邪気な目をみていると、だれかの面影が浮んできます・・・まぎれもなくそれは、かつてのわんぱくな越境者、そして、雌馬の乳をのんだマキシム坊やでした。

聖コルンバ司祭    St. Columba

2017-06-09 04:29:32 | 聖人伝
聖コルンバ司祭    St. Columba      記念日 6月9日


 コルンバは、アイルランドのドニゴール州で生まれ、15年間アイルランドで宣教して、デリーとケルスとデュローに有名な修道院を設立した。563年にスコットランドのイオナ島に航海してひとつの修道院を建てたが、それは何世紀もたつうちに有名な所となり、イオナはケルト地方のキリスト教の中心地となった。またイギリスやスコットランド本土にも修道院が出来たが、コルンバはその後34年間を宣教の仕事に献げた。597年6月8日、コルンバは詩編を写していたが「主を愛する者によいものが欠けることはない」というところで筆を止めて、残りは彼の従弟ベーティンが書くべきだと言った。その翌日コルンバは帰天した。


私の神よ、わたしはあなたと共に旅をします。
夜と昼の王よ、あなたがそばにおられる時何を恐れましょうか。
あなたの御手にすがる時、わたしは一軍団で守られているより、
もっと安全なのです。
聖コルンバ




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