A・オフレー著、F・バルバロ訳『ドン・ボスコの生涯』ドン・ボスコ社 より
ヨハネ・ボスコの少年時代を語るとき、書きおとしてはならない一つの事実がある。それは、神秘にみちており、かれを司祭職にかたむかせた重大な動機の一つとなったものだからである。
それは、ある夢だった。かれの生涯の重大な時期に、ちょうど音楽の導調のようにくりかえされるその夢は、わずか九つになったばかりのかれの魂を打った。
ドン・ボスコ列聖の、最初の守り手であらたヴィヴェス・イ・トゥート枢機卿がいっているように、それは、ヨハネの生涯を通じて介入した超自然の、最初の干渉だった。かれは、夢のなかで、遊び、わめき、いたずらのかぎりをつくしている、おおくの子どもたちのまんなかに突っ立っていた。
かれは、その子たちをなだめてみたが、どうしてもいうことをきかないので、ついに腕力をふるおうとした。
すると、そのとき、気高いひとりの婦人が、かれに近づいて、
「暴力をつかわないで、柔和と愛とで、友だちの心をおさめなさい」
といった。
その間に、子どもたちは、猛獣に姿をかえていたが、間もなく、かわいい小羊になって、かれのまわりにむらがった。そのとき、威厳にみちたその婦人は、こうりいった、
「羊かいの杖をつかって、かれらを牧場につれて行きなさい。いつかある日、このことが、すべてわかるでしょう」。
この夢を見た翌朝、ヨハネは、早くみなに、話したくてならなかった。家族がそろったとき、それを話すと、みなは、勝手な意見をのべた。
「おまえは、きっと、やぎか羊かの牧童になるんだよ」とヨゼフはいった。
「匪賊のかしらにでもなるのさ」とアントニオはからかった。
「夢なんか、あんまり気にするもんじゃないよ」と、経験者のおばあさんはいった。
しかし、マルゲリタだけは、しばらく、むすこをじっと見ていてから、
「おまえが司祭になるしらぜじゃないだろうか?」といった。
この母の一意見だけが正しかったようだ。なぜなら、その翌年から、ヨハネは、「神父になりたい」と、はげしい望みを、母に打ちあけるようになったからである。
「神父になりたいというのはやさしいが、簡単になれるもんじゃないよ」と母はくりかえした。
「なぜ、神父になりたいの?」とたずねたとき、ヨハネは答えた、
「おかあさん、ぼくは、神父になったら、一生を子どものためにささげたい。子どもを集め、正しくみちびいてやりたい。自分を犠牲にして、かれらの救いのためにはたらなりたいんだ」。
※
かれは、その使徒職のプログラムを、早くもペッキで、実行しはじめていた。カプリリオ町の主任司祭のまかないをしていたおばさんの家に、しばらく滞在していた間に、読みかきを習いはじめた。ものが読めるようになると、長い冬の夜もたいくつしなかった。かれは、家々をまわって、朗読者になった。人々は、争って、かれを家に招いた。招かれると出かけていって、いきいきとした口調で、かずかずのおもしろい物語を朗読してきかせた。
耳をかたむけているそぼくな人片を前にして、かれは、「フランスの王様」という有名な昔話も読んだ。愛すべき義理がたいピエモンテ人は、ときには、数時間もヨハネの朗読にききほれた。こういう集まりが、いつも、十字架のしるしと一つの"めでたし"とで開かれ、とじられたことはもちろんである。
四季が移るにつれて、ヨハネの仕事もかわった。ときには奇術師にもなったし、またときには、漫才もやった。
家の裏の、広々とした草原のすみ、梨の木と桜の木とに綱をわたし、その下に、しき物をひろげた。そして、集まってきた人々の前で、本職のような奇術や軽わざを見せた。
もんどり打って車輪のよらにまわったり、不思議なさか立ちもをしたり、手品をつかって卵を十倍に見せたり、水をぶどう酒にかえたり、殺したおんどりを生きかえらせたり、見ている人の鼻から銀貨をとり出したりした。渡した綱に、一本足でぶらさがる芸には、観衆は手をたたいてよろこんだ。
ヨハネは、こういう芸を見せて、村の人たちを集めた。集まった人たちには、見物料として、コンタツをとなえることと、ムリアルドの主任司祭の説教を聞きに行くこととを、要求した。この要求をきかない者がいると、ヨハネは、きっぱりと、こう命令した。
「何か買ったら、料金を払わねはなりません。ここも同じです。私は、コンタツをとなえる人にだけ、芸を見せます。祈りの時間になって逃げ出すような人は、もう今度から来ないでください」。
おそるべき子ども! これが、十歳の少年のしたことだった。かれは、村のおとなたちからも、敬服されていた。こうして、幼い使徒は、村人の心を高めようとしていたのだった。
***
こちらのブログをご覧になっていらっしゃる方へ
できましたらFBのカトリックグループにご参加頂けましたらと思います。こちらへの投稿は量や種類も少なければ、よくしばしば中断しますが、当グループにおいては幸いなことに記事が途切れることがありません。聖人伝も格言もその他の話も、止むことなく、毎日数種類(聖人伝も格言も2種類ずつ、ちょうどこちらの倍です)が掲載されています。保守的な信仰をお持ちの方は、どうかグループ内の保守派を助けて下さい。
ヨハネ・ボスコの少年時代を語るとき、書きおとしてはならない一つの事実がある。それは、神秘にみちており、かれを司祭職にかたむかせた重大な動機の一つとなったものだからである。
それは、ある夢だった。かれの生涯の重大な時期に、ちょうど音楽の導調のようにくりかえされるその夢は、わずか九つになったばかりのかれの魂を打った。
ドン・ボスコ列聖の、最初の守り手であらたヴィヴェス・イ・トゥート枢機卿がいっているように、それは、ヨハネの生涯を通じて介入した超自然の、最初の干渉だった。かれは、夢のなかで、遊び、わめき、いたずらのかぎりをつくしている、おおくの子どもたちのまんなかに突っ立っていた。
かれは、その子たちをなだめてみたが、どうしてもいうことをきかないので、ついに腕力をふるおうとした。
すると、そのとき、気高いひとりの婦人が、かれに近づいて、
「暴力をつかわないで、柔和と愛とで、友だちの心をおさめなさい」
といった。
その間に、子どもたちは、猛獣に姿をかえていたが、間もなく、かわいい小羊になって、かれのまわりにむらがった。そのとき、威厳にみちたその婦人は、こうりいった、
「羊かいの杖をつかって、かれらを牧場につれて行きなさい。いつかある日、このことが、すべてわかるでしょう」。
この夢を見た翌朝、ヨハネは、早くみなに、話したくてならなかった。家族がそろったとき、それを話すと、みなは、勝手な意見をのべた。
「おまえは、きっと、やぎか羊かの牧童になるんだよ」とヨゼフはいった。
「匪賊のかしらにでもなるのさ」とアントニオはからかった。
「夢なんか、あんまり気にするもんじゃないよ」と、経験者のおばあさんはいった。
しかし、マルゲリタだけは、しばらく、むすこをじっと見ていてから、
「おまえが司祭になるしらぜじゃないだろうか?」といった。
この母の一意見だけが正しかったようだ。なぜなら、その翌年から、ヨハネは、「神父になりたい」と、はげしい望みを、母に打ちあけるようになったからである。
「神父になりたいというのはやさしいが、簡単になれるもんじゃないよ」と母はくりかえした。
「なぜ、神父になりたいの?」とたずねたとき、ヨハネは答えた、
「おかあさん、ぼくは、神父になったら、一生を子どものためにささげたい。子どもを集め、正しくみちびいてやりたい。自分を犠牲にして、かれらの救いのためにはたらなりたいんだ」。
※
かれは、その使徒職のプログラムを、早くもペッキで、実行しはじめていた。カプリリオ町の主任司祭のまかないをしていたおばさんの家に、しばらく滞在していた間に、読みかきを習いはじめた。ものが読めるようになると、長い冬の夜もたいくつしなかった。かれは、家々をまわって、朗読者になった。人々は、争って、かれを家に招いた。招かれると出かけていって、いきいきとした口調で、かずかずのおもしろい物語を朗読してきかせた。
耳をかたむけているそぼくな人片を前にして、かれは、「フランスの王様」という有名な昔話も読んだ。愛すべき義理がたいピエモンテ人は、ときには、数時間もヨハネの朗読にききほれた。こういう集まりが、いつも、十字架のしるしと一つの"めでたし"とで開かれ、とじられたことはもちろんである。
四季が移るにつれて、ヨハネの仕事もかわった。ときには奇術師にもなったし、またときには、漫才もやった。
家の裏の、広々とした草原のすみ、梨の木と桜の木とに綱をわたし、その下に、しき物をひろげた。そして、集まってきた人々の前で、本職のような奇術や軽わざを見せた。
もんどり打って車輪のよらにまわったり、不思議なさか立ちもをしたり、手品をつかって卵を十倍に見せたり、水をぶどう酒にかえたり、殺したおんどりを生きかえらせたり、見ている人の鼻から銀貨をとり出したりした。渡した綱に、一本足でぶらさがる芸には、観衆は手をたたいてよろこんだ。
ヨハネは、こういう芸を見せて、村の人たちを集めた。集まった人たちには、見物料として、コンタツをとなえることと、ムリアルドの主任司祭の説教を聞きに行くこととを、要求した。この要求をきかない者がいると、ヨハネは、きっぱりと、こう命令した。
「何か買ったら、料金を払わねはなりません。ここも同じです。私は、コンタツをとなえる人にだけ、芸を見せます。祈りの時間になって逃げ出すような人は、もう今度から来ないでください」。
おそるべき子ども! これが、十歳の少年のしたことだった。かれは、村のおとなたちからも、敬服されていた。こうして、幼い使徒は、村人の心を高めようとしていたのだった。
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できましたらFBのカトリックグループにご参加頂けましたらと思います。こちらへの投稿は量や種類も少なければ、よくしばしば中断しますが、当グループにおいては幸いなことに記事が途切れることがありません。聖人伝も格言もその他の話も、止むことなく、毎日数種類(聖人伝も格言も2種類ずつ、ちょうどこちらの倍です)が掲載されています。保守的な信仰をお持ちの方は、どうかグループ内の保守派を助けて下さい。