写真は10年前のものです

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

掃苔(そうたい)

2017-05-14 | 随想

苔を掃除する、つまり「墓参り」のことである。


映画「追憶ロケ地が八尾の諏訪町とか富山市桜木町とか らしいので観に行ってみたいのはヤマヤマなのだが、映画館まで足を運ぶという、その1点がおっくうなので、たぶんDVDになってから観るのが関の山だろうなぁ。そう言えば、同じく岡田准一が主演していた映画「永遠のゼロ」も結局は映画館に足を運ばなかった。「暗闇と言えど、声を出して号泣しそうに思えた」から、ということを寒青(かんせい)(2014年11月20日)の中で吐露してたけど・・・まぁ、それが最大の理由には違いないが、「おっくう」だったから・・・というのも事実。出不精になったもんだ。

・・・と言いつつ、今日は朝から天気が良かったのでフラフラ~っと「となみ夢の平スキー場」に行ってみた。建物の高い所は苦手だが、こういう適度に高さのある丘陵地ってのは気分をハイにさせてくれるし、いいもんだ。

 

さて、前回は、月影ベイベが完結した(2017年5月12日)で本の一部を紹介していたが、その中の、「はっきり見えとんがよ、踊りながらついてくる あいつが・・・・」というセリフに、実は今も取り憑かれたままでいるようなのである。


書中のような幻影こそ見えないものの、このシーンをきっかけにして我が身を振り返りながら幾つもの思い出を幻想のように頭の中に描いてみたりしている。印象に残っている方々で亡くなった人たちの言葉や姿、まだ亡くなってはいないけど今では縁が無くなったり薄くなったりして遠ざかってしまった人たちとの思い出、それらが脳ミソの中で、当時のままのシーンで再現されたりしている。ほとんどが美化されて、つまり、自分に都合の良い場面だけが再現されているという、一種のお花畑の世界である。追憶という言葉は、その響きだけでもいいもんだ。

 

ところが、ここに、「命のつながり希薄に」という内容の福井新聞「お墓とお寺」という連載があり、いろいろなことを考えさせられた。

連載の第1回目では、住職が現代の人たちについて「自分が沸いて出たような感覚になり、命のつながりを感じていない・・・」と嘆いている姿を紹介しているが、そう言えば、今朝も複雑な思いをしたことを思い出した。

上記の「となみ夢の平スキー場」への道すがら、ぽつり、ぽつりと、老人達による田植えが行われている光景を目にしたのだが、腰が曲がった数人の集団が、狭い田んぼだからだろう、機械を入れるほどもない狭さの田に向かって、腰の篭に苗を入れてヨタヨタと歩いていた・・・・・その横を、自転車に乗った若者たちが颯爽と通り過ぎていく。例の、サングラスにヘルメット、ピッチピチのサイクルジャージにパンッパンのレーサーパンツといった「制服」で身を固めて・・・チカラが有り余っているのなら田植えくらい手伝え、とまでは言わないが、これが今現在の、日本の若者と老人の姿、やりたい放題の世代と呪縛に満ちた世代との生き様である。ちょっとなぁ~・・・、どうかしてるぜ、今の日本は。

連載の第2回目は「無縁社会象徴、遺骨引き取り手なく」というものだった。社会が無縁な訳はないはずなのだが、「無縁仏」という名の遺骨が増えたり、「遺骨がモノのように扱われている」という指摘を聞いたりすると、「なぜ、骨も残らないほどに燃やさなかったのか?」という疑問も、正直、湧いてくる。死んだ本人には遺骨の処理ができないので、これは遺族が遺骨を処理するしかないのだし、遺族がいなければ骨だけを残す燃やし方ではなくて全て燃やし尽くしてしまえば出てくるはずもない問題だ。これからの世の中、そういうふうに割り切っていかなければならないものだと思う。遺骨があるから故人を偲ぶ、なければ思い出すことが出来ない、というものでもないだろう。

連載の第3回目は「簡素化が進む別れの儀式」というものだった。「お父さんが死んだら、どこかヒマワリ畑の近くに骨を埋めて・・・半分冗談だが、それで十分とも思っている。」、と締めくくっているが、いゃ、それは遺族の勝手でしょ?、と思う。死んだ者が自分の遺体や遺骨の処理に文句をつけようにも、当の死人には何もできないんだから、そこは遺族が故人の遺志を尊重するかどうか、それは故人の「生き様」がどうだったか、を問われることでしかない。映画とかで「海に散骨して」とか、まぁそれを前提に物語が進展するのだから四の五の言うことはないのだが、死んだ後も遺族を拘束するってのは如何なものか、と訝らざるを得ないのも偽らざる心境である。

タイトルの「掃苔(そうたい)」だが、墓の前に遺族が来るか来ないかは、そこに私がいる、いないという、例の「風」の問題ではなく、その人の生前の行動、言動次第だということである。

 

「延命でなく自然な最期」広がる

死を招く孤立、家族や地域の絆 どこ?

 

ここしばらくは、これらの連載を注目していきたい。

 

 

 

 

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