気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

うはの空 西橋美保 

2016-07-26 11:15:10 | つれづれ
をさな日の恐怖のひとつ姿見のうらに塗られて剝がれし朱色

散らばりやすきわれをやうやく取りあつめ首飾りてふ鎖で縛る

子と声をあはせて読めばたのしくてよき歌ばかり茂吉も晶子も

袖で拭く窓に映りし少年の面輪に透けてあは雪の降る

つばくろの雛ふと黙(もだ)しぬさるびあの蒼ふかぶかと咲けるま昼を

午さがりの霊安室で生きてゐる人間だけがしんそこ怖い

幅ひろき昭和のネクタイ足首にまつはりまつはり行く手をはばむ

ぬばたまの夜はふかまるあぢさゐの青くおほきな花のうつはに

芳一を隠してあまる耳ふたつ「観」からはじまる般若心経

いつかわたしはわたしを手放す せせらぎに笹船ひとつうかべるやうに

(西橋美保 うはの空 六花書林)

****************************************

短歌人同人の西橋美保の第二歌集『うはの空』を読む。

西橋さんは兵庫県姫路の人。短歌人関西歌会でご一緒していたが、兵庫歌会が始まってからは余りお会いすることがなかった。17年間の作品がまとめられていて、読みごたえがある。西橋さんには西橋さんの美学があり、短歌にそれがよく現れていてぶれない。

彼女の持つ美意識と、周りの期待する嫁のいう立場との齟齬に苦しむように見受けられる。短歌がどこまで現実と重なるかという問題に突き当たるのではあるが、フィクションとして読むと救われる。

一首目の姿見、七首目の昭和のネクタイに、時代が表れていて視点の鋭さを思う。わたしより五歳くらいお若いとは思うけれど。
二首目は自意識の歌で、散らばる我を首飾りに託したところが彼女らしい。鎖で縛るとまで言ってしまう。三首目は、幼かった子との楽しいひとときを詠みながら、なんとなく茂吉や晶子は好みではないように読んでしまった。白秋や寺山修司が好きなのではないだろうか。四首目は美しい歌。初句の「袖で拭く」の動作にリアリティがある。
五首目のつばくろ、さるびあ、九首目のあぢさゐは、ひらがな表記を生かして、文句なく綺麗でよくできた歌。堂々としている。
六首目は看取りを詠んだ連作「鬼の道」から。亡くなったのは姑なのか実母なのか。死者とあり、わたしにはどちらかわからないし、わからなくていい。「生きてゐるときから死者のやうだつた死んでも生きてゐるやうなひと」も強く印象に残る。怖い歌は良い歌という言葉を思う。八首目は発見の歌だろう。こういう発想の歌をもっと読みたい。
十首目は、歌集最後の一首。この一首に読者は救われる気がする。笹船の具体がいい。

歌集一冊を読んで、かな使いのことを思った。集題は『うはの空』。「われの住むマンション八階うはのそらまことにわれはうはの空に住む」から取られている。旧かなが西橋さんの世界には合っているし、新かなとは違う世界感を出すことが出来る。
今年の短歌人会全国集会は姫路で開催。お会いするのが、楽しみだ。



最新の画像もっと見る