城陽人のフォトアルバム

季節の移ろい、日々の情景、目に映る景色、町並みの風情や、カメラに映った画をそのままに貼り付けてゆきたいと思っております。

城陽文化財巡り・P1<<正道官衙(しょうどうかんが)遺跡>>

2013年07月19日 | 京都・城陽文化財巡り

シリーズとしてUPして行きたいと思っております

郷土の歴史、史跡、建造物、古き物などは多く存在します

それらを紹介するとともに、自分の知識として、

又、記録として残してゆきたいと思っております。


大きな地図で見る

これが市より紹介されている城陽市の文化財案内図です

平成4年現在ですので変更があるかもしれません

これによると33ヶ所の文化財が存在します。まるで西国霊場の数と一緒です

では巡礼といきますか!?

これだけ回るのに時間は掛かりそうですが、スローライフの事とて急ぐ事はありません。

まーゆっくりと楽しみましょう

 

まずは、手始めに寺田、万葉の昔に「鷺坂」と呼ばれたところの、

東に存在した奈良時代の官営「正道官衙」

紹介しましょう。

国の史跡

 

詳しい事はこれを見ていただくとして、概略だけを説明しますと

ここは奈良時代の郡衙(郡の役所)であった建物郡です。

又この遺跡は、5世紀は小規模な古墳と、6~7世紀の集落遺構、

7世紀以降の大型の掘立柱建物群からなる官衙(奈良時代の役所)遺構が重なり合う複合遺跡です。

現在は国の史跡に指定、整備され、建物がイメージ復元されています。

推定イメージ復元図

右上が北、左下が南、右が東、左上が西です

これが今のパノラマ

右が北、左が南、上が西、下が東です 

こちらは反対側の西から見たパノラマ

それでは一つずつ見てゆきましょう

南が正面で南の門から入るようです。役所を取り囲む築地塀があったようです。

上の図では左になります

内側から見た門

外側から見た門と築地塀

築地塀の両側(内外)には溝が掘られています

こちらは内側

柱は12本

シンメトリーで美しいですね

南門から見た北の様子 

門を入ると右側(東)に「向屋」

本当はこの地下に柱跡などは残っています

図では真ん中の建物

その先(北)には「東屋」。西側に「西屋」が在った可能性もあるそうです

図では右の建物になります

そして北を向くと

ここがこの遺構の中心とされる「庁屋」

L字形の塀が設けられています。

何となく中心と云う感じがします。山城地方、久世郡の役所だったのですね

東西9本、南北5本、総計45本の掘立柱の建物だったようです

  

柱組みもこのようだったのでしょうね

北の建物から南の門までが見通せます

東から見るとこんな感じです

俯瞰図と比べると様子が分かります

その北の建物は「副(そえの)屋」と呼ばれます

奈良時代の一般的な建物配置だそうです

何故か藤棚になっていました

西側から見たところ。東西8本、南北3本、総計24本の柱

北側へ凸型に膨らんだところから見たところ

そこを南側から見ると北側には建物は在りませんでした

手前の東側には「正倉」と呼ばれる建物がありました

総柱で高床式で校倉造りの倉庫だったようです。

そうあの奈良「正倉院」の倉庫ですね

ここ城陽は古くから和歌に読まれている京都~奈良の真ん中にありました。

城陽を詠んだ和歌も多くあり、この遺跡にも紹介されていました

遺構内の樹木は、奈良時代の「万葉集」に詠まれている「万葉植物」もあり、

万葉花を添えて紹介されております。

史跡として大切にされ、後世に残されて行きます


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