慢性的な金欠病による
単に経済的な理由だけでなく、
昔に比べてこのところ、
モノ(物 あるいは、者)を
大事にするようになった訳は
一つに、
永年、慣れ親しんだ
深い愛情や愛着。
一つに、
取り替えできないほど
他に類のない優れた仕様と
使い勝手の良さ、相性の良さ。
一つに、
過去、不遜な言動により
周りに与えた不快への反省。
一つに、
失くした時に気付く
哀しみや悔しさ
失意からの回避。
そして、
20年前に購入し、以来、
ぞんざいに扱ったばかりに
満身創痍で、先月4日、
大分の工房に送り出した
愛器D-35がある。
そのリペア(修理)の
経過画像がメールで届いた。
外れてしまったギターの
表板と裏版をボディに固定する
硬質プラスティックの
バインディング取り付け工程。
両板終了
取り替えた真新しい白の
バインディングを成形後、
最初からの
ネックのバインディングや
弦のトップやエンドの支え、
ナットやサドルの色の違和感を
無くす為に、着色・塗装を行い、
ギター全体の色バランスを
整える行程が待っている。
全リペアが終了し、
我が家へ帰ってくるのは
今月末からGW近くの予定とのこと。
「弘法、筆を選ばず」
の対極に
「下手な芸人の道具集め」。
やたら道具に拘(こだわ)る癖に
自分の芸が下手であることを棚に上げ、
上手くならない理由を、道具のせいにする
という諺。
間もなく、J-50とD-35が
我が家に揃う。
名器が2本揃っても尚、
「相も変わらず、下手です」
とは 、恥ずかしくて
言い訳もできないが、
もっと、恥ずべきは、
凝りもせず
道具を大事にしないこと ・・
いつか、誰かがきっと
言う
「これは、生前に
下手の横好きみっちゃんが
弾いていたギター だよ」
「みっちゃんは結局、死ぬまで、
ギターは上手くならなかったけど、
粗末にしたことをずっと悔やんで、
死ぬまでギターを
大事にしてたんだって」
「ほら、J-50とD-35が、
『みっちゃんに会いたい』って。
今日も泣いてるよっ」
時が過ぎて、何年か経ったら、
「Maybe, this happens」
多分、こうなる。
♪
愛は人々の内で
眠ったままらしい
僕のギターが
すすり泣いている間も
♪
ホワイト・アルバムの
オリジナルを探したが
(著作権関係で)見つけられず、
探したのが、本物と
寸分たがわぬ素晴らしい、
ビートルズのカバーバンド
The Beatsの
多分、初登場
「While My Guitar Gently Weeps」
D-35もうすぐご帰還のようですね、どんなになってくるか楽しみですね。
帰ってきたら、また、ジャムしましょう!
二つのコメント、ありがとうございます。
西村さんは、自分の仰ったことを
今は、忘れているかも知れませんが、
西村さんのその一言が、
今の私のギターに対する想いの背中を
押していただいております。
それは、「上手くならないでも弾くこと」
そんなニュアンスの言葉でした。
何時のことになるかわかりませんが。
D-35が間もなく、我が家に帰ってきます。
その節は、クマさんを交えて、是非!
最後に、西村さんへ、
小さな、小さな声で、
「愛してます」