団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

レシピは誰のモノ

2016年02月18日 | Weblog

  私は男のクセに料理が好きだ。レシピ本をたくさん持っている。

 ネットで『レシピのネット転載、料理研究家ら困惑「モラルの問題」』の記事を見つけた。料理研究家のレシピが、インターネット上のブログなどに無断で転載される。これはレシピが著作権保護を受けないが、「許可なく転載するモラルの無さが問題」と記事が指摘している。

 レシピはあくまで目安であって伝承の手段だと私は思っている。どんな凄い料理人のレシピであっても、書いてある通りに料理しても絶対にレシピを書いた料理人と同じ味の料理はできない。材料、材料のグラム、油の温度、調味料の種類と量。書いてある通りに書いてある順番通りに調理してもダメである。肝腎なことは、レシピを書いた料理人は明かさない。よく『企業秘密』というが、それである。

 日本には料理研究家と持てはやされる女性や男性が数多くいる。熾烈な競争の世界である。“道”と呼ばれる華道、茶道、書道などの伝統的な世界に近い形態を真似てそれに近いものになりつつある。だれそれのレシピ本がベストセラーになった。だれだれはテレビの料理番組に出演している。料理研究家の料理を食べられる人はごく一部である。彼女彼らはレストランを持っているわけではない。持っていたら世間は即、料理に評価を下す。レシピ本の世界は、夢の空間であって現実ではない。多かれ少なかれ料理は、長い年月と多くの人々によって作られてきた。料理人がすべて自分だけで編み出した料理法など存在しない。

 「美味しい食材があれば、調味料はなくてもいい」 東京・神楽坂の日本料理店「虎白」の小泉功二料理長(36)の言葉が好きだ。良い食材を探すことが私の料理の基本としている。食材を見つけたら目安とするレシピを選ぶ。レシピを読む。何より重視するのは、このレシピを書いた料理人は、何を彼の彼女の『企業秘密』としているのかを見つけることである。ほとんど見つけられない。当たり前であろう。料理人は多くの試行錯誤と客の言葉で腕を上げてきたのだから、簡単に教えるわけがない。

 私が多く参考にするレシピはアラン・デュカスの『ナチュールレシピ』(世界文化社 2800円+税)である。彼は「今こそ、原点に帰るときです。体によい、バランスのとれた食事には欠かすことのできない、野菜、シリアル、果物。これらをシンプルに料理する喜びを見直さなければなりません。自然のあらゆるおいしさを再発見してもらうこと、それが料理人であるわたしの役目です。なぜなら、美味しく食べることがよい生き方につながるから」と書いている。

 八百屋で「葉タマネギ」なるものを見つけた。一年のほんの短い間しか店に並ばない。一束340円。『ナチュールレシピ』の索引で「葉タマネギ」を調べる。「黒いんげん豆のブイヨン煮」がある。さっそく料理開始。黒いんげん豆を戻すには12時間水に浸しておかなければならない。料理をしていると時間が早くすぎる。完成した料理は妻がまず食べる。妻が「美味しい」と言えば、友人を招いてお披露目する。食材を見つけ、レシピを目安にして料理する。妻と仲間と美味しく食べる。レシピは人類の共有財産であって誰のものでもない。

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