団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

公私混同

2017年07月12日 | Weblog

①    公使近藤≠公私混同    

②    こしみず=コシ+シミズ    

③    McQueen=息子+女王   

①    7月8日土曜日の夜、面白い番組がないので、録画してあるアメリカのテレビドラマを観ようか思った。それでもとチャンネルをリモコンでいくつか変えてみた。「あれ近藤さんだ」 テレビに知っている人が出てくるのは、そうそうあることではない。番組は『世界ふしぎ発見』だった。出演者が嫌いな人が多いので普段は観ない。『謎のムスタン王国と奇跡を起こした日本人!』とタイトル。だんだん近藤亨さんのことを思い出してきた。消えゆく私の記憶も、こうして何かきっかけを得ると、まるで氷になった過去が溶けるようによみがえる。最近ではこれが快感である。年寄りの楽しみの一つになった。カトマンズの日本人社会で駄洒落なように彼ら二人の関係を「公使近藤」と一部の人たちに言われていた。おちょっこちょいな私は、近藤さんという人のことと大使館の公使を合わせた造語ギャグとも知らず、近藤さんが何か悪いことでもしているのかと受け止めた。よく聞くと近藤亨さんは、ネパールのムスタン地方に私財をなげうって農業の援助を続けている方だとわかった。大使館の公使と仲が良く、プライベートの時間に囲碁だか将棋を二人でやることから誰かが公私混同と公使近藤と同音異語のギャグにしたのだ。それにしても誤解を生みやすい。間違えば中傷とも受け止められる。ある時近藤さんがムスタンで採れた貴重なリンゴを日本人に配った。私たちも二個のリンゴをいただいた。リンゴの産地長野県出身の私たち夫婦には、酸味が強くみずみずしさに欠けているように感じた。しかしムスタン地方は乾燥地帯で砂漠のような場所と聞き、リンゴにムスタンの厳しい自然の中で粉骨砕身する近藤さんの気持がぎゅっと詰まっていると感じた。私たちがネパールからアフリカのセネガルに転勤になっても、近藤さんは、ムスタンで活動を続けられた。4年前に病気のため日本に戻り亡くなった。享年94歳。いろいろな国でいろいろな日本人の援助活動家に会ったが近藤さんは、本物の一人である。その功績を『世界ふしぎ発見』で確かめることができた。

②    中学の同級生にコシくんという男子生徒とシミズさんという女子生徒がいた。誰かがあの二人は、相思相愛だと言い出した。学校の近くにコシミズ歯科があった。いつしか二人はコシミズと呼ばれ、からかわれた。私もからかって笑った一人である。反省している。

③    二つの名前や言葉をつなげて一つの言葉にするのは、世界どこでもあるらしい。ギャグではないが興味がある。英語:『大脱走』のSteve McQueen のMcQueenはMc(~の息子)+Queen(女王)となる。セルビア語ではテニスのジョコビッチのビッチ-vicも~の息子である。ロシア語の苗字にも―スキーが多い。ロシア語でスキーは、「~を元とした」の意味だと聞いた。

テレビ番組をきっかけに過去を紐解いた。あの時のリンゴの味まで蘇った。近藤亨が飄々とカトマンズを歩いていた姿を思い出した。

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