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団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

つかぬ事を・・・

2016年10月19日 | Weblog

  この地域を管轄する駐在所に電話した。最初女性が電話口に出たので私は電話番号を間違えたと思った。でも女性は「○○駐在です」と確か言った。婦警さん!話を進める。概略を話し終えると女性は「少々お待ちください」と言って電話を離れた。

 男性が電話口に出た。「どうしましたか?」私「つかぬ事をお伺いしますが・・・」と始めた。駐在さんには以前遭っている。駐在さんはマウンテンバイクにまたがりピンと姿勢を正して川沿いの道を巡回している。その時挨拶して日頃気になっていることを尋ねた。駐在さんは丁寧に説明してくれた。最後にこう言った。「どんなことでも気軽に相談してください」と。

 土曜日の夜、同じ集合住宅に住む3組の夫婦が友人宅に集まって夕食を共にした。その友人がゴルフコンペで南アフリカの蟹をたくさん賞としてもらったので蟹パーティしようと集まった。御呼ばれは私に至福の時を与える。ワインを飲み、みな口を閉ざして蟹を食した。南アフリカと聞いただけで、私の好奇心は味覚神経をしばらく抑え込んだが、その美味さが雑念を制した。ご馳走になったご主人厳選のイタリアワインも蟹と仲良く胃に落ち着いた。一皿の蟹が殻だけになった。酔いもまわり、沈黙が饒舌に変わった。

 集合住宅の前を通る道路の話になった。最近どうもこの近くで交通事故があり誰か亡くなったのではないかという。道端に直径20センチくらいの石に生花の束があって、ミネラルウォーターのボトルが置かれている。私も見た。でも話を聞く。私は散歩途中で気になり、写真を撮っておいた。でもそのことは言わなかった。もし事故で人が亡くなったのなら、写真を撮るなんて不謹慎だ。

  私が住む集合住宅から100メートルくらい離れた坂の途中にその現場がある。散歩でその前を通るたびに、花が新しくなっている。悪い頭をフル回転させてミステリー解明に挑む。①交通事故で誰かが亡くなった。交通事故の現場にはよく花が捧げられている。死者の霊を弔う家族などが故人を偲んで供養するのだろう。しかし場所が場所である。確かに道が狭く、舗装も傷んでいて、歩行者には危険である。裏道なので車もけっこうスピードを出す。②ペットを葬った。とにかく犬を連れて歩く人が多い。③いたずら。他人が「なんだろう?これって何」と思わせそれを楽しむ。私は②だと思った。

  さて駐在さんは私の説明をさえぎることもなく聴いてくれた。そしておもむろに言った。「交通事故ではありません。もしそうなら私が事故処理しています。あの道路ではこの5年間一度も事故はありませんから」 “一度も”に力がこもっていた。駐在さんの誇りなのだろう。私は何だか肩から力が抜けた。人の生死に関わることが、こんな近くで起こっていたらいい気分はしない。駐在さんにお礼を言った。「また何かありましたら気軽に聞いてください」

  人が亡くなったのではない。誰が何を目的になぜこんなことをしたのかわからない。駐在さんまで巻き込んで騒いでしまった。でもわからないことがあったらしかるべき人や機関に相談することは役に立つとあらためて思った。友人たちにも早速報告したい。つかぬ事のミステリーはともかく一着である。

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