団塊的“It's me”

古希を迎える団塊世代が振り返る何でもランキング・ベスト・3

経営者 日本

2017年06月16日 08時21分46秒 | Weblog

①    土光敏夫 石川島播磨 東芝

②    本田宗一郎 ホンダ

③    青木固   日精樹脂

①    土光さんと言えば、“めざし”を思い出す人が多いのではないだろうか。土光さんが経団連の会長をしていた時、長野県の坂城町を視察した。坂城町には特色ある企業が数多くある。土光さんが坂城町に関心を持ったこと自体、いかに彼自身が技術畑の人だったかを物語る。東京都にも優秀な技術を持った中小企業が集まっている地域がある。何かと言えば東京が注目される中、わざわざ長野県の小さな町坂城に視察に来た土光さんは目の付け所が違った。土光さんは大企業出身ながら、日本の産業形態や先行きをきちんと見据えていた。確かに土光さんは質素な生活をしていた。彼の言葉に「個人は質素に。社会は豊かに」がある。私の好きな金言だ。言うは易く、行うは難し。無理しているのではなく、自然に土光さんの日常生活に彼の信条が表れていた。「個人は質素に。社会は豊かに」は、土光さんの言葉ではなく、土光さんの母親が彼に言っていた言葉だったと後に知った。親の影響は大きい。その母親は、橘学園という中学高校を創設している。

②    本田宗一郎は、昔長野県上田市にあるアートピストンの社長の家に住み込みで働いていたと、私の父親が話した。子守りもしたらしい。父は私にその話を事あるごとに聞かせた。父自身が尋常小学校途中で宇都宮の羊羹屋へ丁稚奉公に出た経験を持つ。父は最初、羊羹屋の経営者の子供の子守りをさせられた。経営者の子と自分の境遇の違いに打ちひしがれたという。父と同じ経歴を持つ本田宗一郎に親近感を持った。実際アートピストンの社長夫人が亡くなった時、本田宗一郎は上田近辺の花屋から生花がなくなるほどの花を贈った。父から何回も本田宗一郎の立身出世の話を聞いた私は、いつしか彼の事に興味を持ち、多くの彼のことを書いた本を読んだ。

③    私は離婚後、カナダの学校で知り合った先輩のアメリカ人一家に長女を預かって育ててもらった。一家はアメリカ・ワシントン州のシアトルに住んでいる。先輩夫婦からマイクロソフト社の創設者ビル・ゲイツの話を聞いた。まだ事業を始めたばかりのビル・ゲイツは、近所の家を回って一口100ドルの出資を集めた。先輩の家にも来た。しかし先輩は、まだボーイング社に就職したばかりでその100ドルが無くて出資できなかった。その100ドルは後に天文学的な数字に増えたという。この話を聞いた時、父から同じような長野県坂城町であった話を思い出した。プラスチック射出成型機メーカーの日精樹脂工業の創業者青木固さんである。彼は物置を作業場にしてプラスチックの成形機を開発した。そして研究開発の資金を得るために自分が開発した成型機で靴ベラや洗面器を作り売って歩いていた。父は応援するためにずいぶんたくさん購入したそうだ。

 突出した経営者や成功者はたくさんいる。しかし人間的に好感を持てる、尊敬できる人は少ない。最近の森友学園や加計文書問題の報道に接していると悲しくなる。私の父が熱く土光さんや本田宗一郎や青木さんを語ったように、日本の多くの親が自分の子供たち熱く語り聞かせる人物がいない。「個人は質素に。社会は豊かに」は逆方向に向かって、速度を上げてきている。

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