団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

母の教え

2017年05月11日 | Weblog

①    トイレを綺麗に

②    10という魔法の数字

③    動けば金がかかる。

①    私を産んだ母は私が4歳の時死んだ。記憶はほんのわずかしかない。6歳の時、母の妹が継母となって私たちを育ててくれた。母の姉弟は女5人男4人の9人。貧しい農家だった。母も継母も学校はほとんど行っていない。だから継母(ここからは母と書く)はひらがなとカタカナと少しの漢字しか読み書きできなかった。それでも母として、子育て、料理、裁縫、父の手伝いと身を粉にして働いた。家の中を常にきれいにしていた。特にトイレの掃除は念入りだった。貧しくて汲み取り料がないときは、母は自分で汲み取って畑に運んだ。私にも手伝ってと言ったが、私は正直、臭くて汚い仕事だと聞いただけで、吐き気をもよおした。「臭い」は差別のスタートだとか。サッカーJリーグの森脇選手がこの言葉で相手チームの選手を侮辱して処分を受けた。母は臭かろうが汚かろうが、黙々とブルトーザーのように力強く家族の生活を支えた。ええかっこしいの父親と違い、何事にも実直だった。私が離婚した後も母は母のパートの休みの日に私の住む3キロあまり離れた市営住宅へ自転車で来てくれた。私が仕事で留守でも掃除洗濯をして夕飯を作って置手紙をして帰った。手紙には「どんなに苦しくても二人の子どもを立派に育てなさい。それがお前がしなければならないたった一つのことです」と書いてあった。トイレに入ると白い便器がピカピカだった。簡易水洗の狭いトイレの中で幾度も私は泣いた。本来汚い場所であるトイレでも住む人によりいくらでもきれいな場所であり得るのだ。それがきちんとできない自分を恥じた。母よりずっと教育を受けた。海外の学校にまで行かせてもらった。それでも母の生きざまには勝てない。そんな私が住む家のトイレはTOTOのネオレストという最新式である。流す水量が少なくウォシュレットでマッサージ機能までついていて脱臭して自浄までやってのける。それでも母が掃除してくれた市営住宅のトイレの白い便器の輝きは別格である。

②    母は10という数字は魔法の数字だと言った。私が小学生になると母は私が学校で習った漢字をチラシを綴じて作った練習帳に10回書いて習っていた。アルファベットもそうして覚えた。銀行に10年間定期預金すると預金額が倍になると言った。嫌なことがあったら心の中で10数えれば落ち着くとも言った。江戸っ子を気取って「宵越しの金は持たねえ」と月賦で新製品を買っていた父は貯金がなかった。母は父が亡くなった後も働いて貯金していた。まだバブルがはじける前、母は郵便局と銀行の間で預金の移動を毎月繰り返した。そうして少しでも自分の預金を増やす努力を続けた。倍になった定期預金を何回か嬉しそうに受け取っていた。私は母の教えを実践することなく、抵抗することなく父からのDNAに従った。もう遅い。

③    母は長く生まれ育った地域から出たことがなかった。自分が生まれ育ったところが一番良いが口癖だった。引っ越しも旅行も金がかかると言った。私は引っ越しを繰り返した。確かに引っ越しは金がかかった。

 私は何一つ母の教えを自分の人生に取り入れなかった。取り入れたなら私の人生は違っていただろう。でも再婚した今の妻は、まるで私の母の教えを知っているかのように堅実な人である。今度こそできるだけ妻に習って、最後の日まで私のサガを封じ込めたい。

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