団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

クリスマス、ダサイン、タバスキ

2016年12月22日 | Weblog

  私はお寺に併設された保育園へ通った。クリスマスにそこの園長、つまり寺の住職がサンタクロースの恰好をして何かプレゼントを保育園児一人ひとりに手渡してくれたことを覚えている。仏教とキリスト教の違いさえ理解していなかった。

 高校生の時、カナダの高校へ転校した。初めて迎えたクリスマス。私は24日に友人宅を訪ねた。あわよくば、クリスマスのご馳走にありつけるのではという魂胆があった。私にとってのクリスマスは24日だった。ところが友人宅ではまったくクリスマスという雰囲気はなかった。初めてのカナダでのクリスマス。私は映画で観たクリスマスを全身で期待していた。ガッカリ。それでも友人家族は私を歓迎してくれて夕食を共にした。テーブルにはスープとジャガイモのマッシュポテトにグレービー(引き肉入りソース)かけるものと食パンだった。家族は「明日は大変だ」と話していた。カナダではクリスマスは25日に祝うものだった。後で知ったことだが、朝起きるとクリスマス・ツリーの下に家族それぞれへのプレゼントを順番に開け喜びを発表する。午前中は教会へ行き、午後夕食の用意をして夜クリスマスディナーを家族全員でとる。他人が入る余地がない。家族だけの年に一度の集まりである。私は寮でひとり寂しく遠い日本の家族を想っていた。寮にいたのは私一人。あまりのさみしさに寮の外に出て星空を見上げた。マイナス30度の星空は澄み切って星が近くに見えて綺麗だった。当時坂本九の『上を向いて歩こう』(カナダでは『SUKIYAKI』)が流行っていた。「涙がこぼれないように」の歌詞が浮かんだ。

 神道、仏教、キリスト教だけが宗教ではなかった。再婚してすぐに妻の海外赴任に同行した。ネパールではヒンズー教、セネガルではイスラム教、旧ユーゴスラビアではセルビア正教、チュニジアではイスラム教、ロシアではロシア正教の文化に触れた。どこの国にもどの宗教にも似た風習があると知った。ネパールのヒンズー教徒は“ダサイン”。イスラム教徒はタバスキ(イード・アル=アドハー)。ダサインもタバスキも祝う日はクリスマスのように12月25日と決められていない。ダサインは9月から10月にかけて2週間かけて祝う。水牛、ヤギなどを神に捧げる。(参照写真:ネパール ダサイン前のヤギの市)タバスキはイスラム教の犠牲祭でヒジュラ暦の12月10日から4日間行われる。西洋暦と異なるので毎年少しづつ日時がずれる。ラマダン(断食)明けに羊を犠牲に捧げる。

 宗教が異なっても、どの行事も家族が一堂に集まって祝うことに重点が置かれている。そして私はどの祭りにも部外者として接した。宗教を持たない者として客観的に見つめた。カナダで24日に友人宅に行き、あわよくばご馳走にありつこうとした意地汚い神を信じない不届き者にかわりはなかった。

 日本では八百万の神がいると言われるほど、特定の神に固執しない。それ故に世界のいろいろな祭りを取り入れて騒いでいる。私も子ども頃から毎朝神棚に手を合わせ、仏壇に燈明を付け、ご飯と水を取り替え祈り、神社仏閣の前を通ると車を運転していても、目を閉じ頭を下げる父親を見ていた。高校生でキリスト教、離婚後仏教を信じようとした。結局は元の木阿弥。

 クリスマス。家族が集まることもない。七面鳥(写真参照:以前私が料理した七面鳥)もクリスマスケーキも丸ごと一頭の羊もない。でも私には妻がいる。今はそれで十分。

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