団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

カメラ

2017年10月04日 | Weblog

①    オリンパス

②    ヤシカ

③    ニコン

①     妻は写真が嫌いだ。13年間にわたる海外生活でも妻が写っている写真は、ほとんどない。自撮りだとかインスタ映えには無縁である。そんな影響か私も動植物や景色ばかり撮って来た。

 終活の一つとして膨大な数の写真の整理は、順調に進んでいる。妻が田舎の両親の家の片づけで写真の扱いに苦労したと言った。結局自分にとっては大切な思い出写真でも、自分以外にはただの写真でしかない。このことが写真の整理に拍車がかかった。

 私が子どもの頃、写真は写真館で撮るものだった。近所に大日方写真館があった。写真館のおじさんは、カッコ良かった。家にカメラはなかった。十代後半で私がカナダの学校へ転校した時、初めてカメラを買って持って行った。オリンパスのカメラだった。カメラはあったが、フィルムや現像代の金がなく、当時の写真は数少ない。学校を終えて帰国する前にカメラを売りに出した。すぐ売れた。日本のカメラは、カナダ人のあこがれの的だった。

②     以前ヤシカというカメラメーカーがあった。結婚して子どもが生まれた時、たくさん写真を子どものために撮ろうと思ってヤシカのカメラを買った。ものぐさ病の私は、結局あまり撮ってあげなかった。自分たちが撮ってもらえなかったのが原因なのだろう。長男も長女もこれでもかと孫の写真を撮っている。

③     妻の海外赴任について外国で暮らした。無理してニコンの一眼レフを買った。海外で今までに経験したことがないほど写真を撮りまくった。ネパールは被写体の宝庫だった。ところが家に泥棒が入って高価なニコンを盗まれた。悔しかった。まだフィルムが入っていた。それも自分で良い写真が撮れたと思い込んでいた写真だった。

 セネガルに転勤になった。やはり写真に撮りたい景色がたくさんあった。再びニコンを買った。2台目のニコンも酷使した。チュニジアでニコンの調子が悪くなった。日本に帰国した時、修理に出した。中に細かい砂が入っていて、内部にカビが生えていて、修理不可能と言われた。

 その後は安いデジタルカメラを買って使った。ニコンより私にずっと合ったカメラだった。この十年ですでに3台のデジカメを使いふるした。

 古希の祝い金でキャノンのデジカメを買った。ブログに添付する写真を撮る。望遠レンズが一眼レフ並みに効き重宝している。カメラは映像のメモ帳である。死後の世界では、自分の目で見た映像がすべて最初から最後まで記録されていて、同じ時間速度で振り返ることができ、出会った人、ペットの映像も見られるかもしれない。ゼロに近い可能性であろう。それでもその映像を見る時、恥ずかしい思いや後悔しないよう、残った日々を細心の注意を払いつつ映像写りが良いように過ごしたい。死後の世界はそうやって永遠に続くといいな、などと、とんでもなく勝手に願っている。


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