みんな大好きカーネーション ~北海道カーネーション部会~

北海道のカーネーション生産者で構成されている部会です。
北の大地で作られたカーネーションをご覧ください。

疲れたときに良いもの

2009-09-28 | その他
こんばんわ

今日は昼過ぎから、雨が降り出しました。
朝方はやや暖かかったものの、だんだんと涼しくなってまいりました~。
秋だなぁとなんとなく思います。
最近体調をやや崩し気味で、たぶん札幌など人ごみの中にいったら
新型インフルエンザに感染する可能姓大。
疲れがたまっているんですね~。たぶん。。。

わたしはちょっとでも風邪を引くと、風邪薬をのみ、
一緒にリポビタンDゴールドを飲みます。
大方、一発で治りますねぇ。



疲れたときに食べたら良い物(ネット調べ)

ゴマ・・・血行をよくする。内蔵を強化する。便通をよくする。肌や髪を美しくする。コレステロールを減少させる。高血圧や心臓病、動脈硬化予防につながります。これらの作用が総合的に働き、全身に蓄積された疲労回復につながります。

にんにく・・・にんにくには疲労回復に役立つビタミンB1の消化吸収を助けるアリシンが含まれています。体内に蓄積した老廃物を体外に排出できます。

もち米・・・もち米には高エネルギー食で栄養素が豊富です。
内蔵を強化する働きに優れ、血行をよくする作用もあります。
元気がなく顔色のすぐれない人や、日ごろから疲れやすい人に最適です。

しょうが・・・ショウガの辛み成分のジンゲロンやショウガオールはすぐれた殺菌力をもち食欲を増進させる働きがあります。

お酢・・・酢を飲むと新陳代謝がよくなり、疲労回復が早くなります。リンゴなどの果汁やはちみつを加えて飲みやすくするとよいでしょう。酢は身体を冷やすことがあるので冷え性の人はお湯でわり、あたたかいものを飲むといいでしょう。

これは一部ですが、さまざまな食べ物にて疲労回復が出来るようです。
ちなみにわたしは、甘いものを食べ(チョコレートとかキャンディーとか)
はちみつレモンを飲みます。
一番なのは好きなものをお腹いっぱい食べる!!
体にはあまりよくなさそうですが、精神的に回復して、なんか明日からまた
がんばるぞーという気になります。

皆さんも今シーズンあと少し、体に気をつけて頑張りまっしょい

カーネーション生産のはじまり ~停滞から発展へ その③~

2009-09-24 | カーネーションとは何ぞや?
こんばんわ

今日は天気は下り坂・・・。
のところもあったのかな?

ところで、きのう車を買い換えるため、車を試乗しにいったのですが、
こともあろうか、その車のなかに携帯電話を忘れてきてしまったのです
気づいたのは高速にのった後でした。
で家に帰ってとりあえず、回線停止
今日の夕方まで携帯なしの生活。。。
意外と快適でしたね。日頃どれだけ携帯電話に縛られていたかが、分かった1日でした
販売所の方が近くまで営業に来る途中についでに持ってきてくれました。
感謝、感謝です


カーネーション生産のはじまり ~停滞から発展へ その③(最後)~ デス。

(5)昭和初期の花卉園芸業界- カーネーションのライバル、バラ -
 昭和初期の温室主要品目はカーネーションでした。その坪数は東京府下が
2,000坪、神奈川富岡方面が2,300坪、そのほかをあわせると4,500坪
でカーネーション全盛期でした。
しかし、昭和になってカーネーションを凌ぐようになってきたのは、温室バラでした。
バラの作付け坪数は東京府下で1,800坪、静岡市外で1,200坪の合計
3,000坪でした。
カーネーション、バラに次ぐ、小花(こばな)で多いのは、スイートピー、
フリージア、雑花類ではルピナス、夏菊でした。

神奈川県富岡とは多分、横浜市金沢区にある地域のことだと思います。
実はわたしこの近くの出身なのです。
金沢区は八景島シーパラダイス(よくドラマに使われるところ)がありまして、
有名なのは金沢文庫で鎌倉時代、北条実時が建設した武家の文庫で有名です。

今日はこの辺で・・・

ピロリーくん、退治しますぅ

2009-09-21 | その他
こんばんわ

今日の朝はとても寒かったですねぇ。
10月中旬ごろの気温とか・・・。
旭川のほうでは(特に内陸部)氷点下になったところもあったらしいですね。
どうりで朝寒くておきるわけだす。

わたしのともだちでヨーグルトを作るのに凝っている女性(ゆきさん:20代)がいまして、
ピロリ菌退治を試みているそうです。
ピロリ菌は胃がんの原因のひとつだとも言われています。
日本人の約50%の人が感染しているらしいです。
6000万人ぐらい?
ピロリ菌の感染は胃潰瘍、十二指腸潰瘍、胃炎の原因になっていて
胃潰瘍になった人の8割ぐらいの人が感染しているそうです。
で、このピロリ菌を減少させる効果のあるヨーグルトがLG21です。
ヨーグルトがピロリ菌に良いわけではなく、このヨーグルトに入っている
乳酸菌がいいんです。
媒体としてヨーグルトが選択されたというわけです。
このLG21の乳酸菌の種類はラクトバチルス(バシラス?)属で
ビフィズス菌属ではありません。
胃酸には強いピロリ菌ですがこのラクトバチルスには弱いというわけです。

そんなこんなでゆきさんはLG21を購入して毎日食べていたそうなんですが、
なにせこのヨーグルトが高いのです。
120から130円ぐらいですかね。
確か2個ぐらい食べなくては効果がよく出ないとか???
一日240円×30日=7200円×12ヶ月=86,400円!!!
健康のためとはいえ、ね~。
で考えたのはLG21を買ってきて自分で増やす!!という荒業です。
市販のヨーグルトメーカーを購入し、後は3.6牛乳(1L)とLG21(1個)
をまぜてこのヨーグルトメーカーで醗酵させます。
何時間後にはたくさんのLG21が出来るということらしいです。
実際には菌の数を確かめたわけでもないですから怪しいところですが、
納豆を製作することを考えれば、これも大丈夫でしょう。

ゆきさんは毎日このヨーグルトを食べて、ピロリ菌が減ったよ~♪
と喜んでいてさらにいいのは、おつうじが大変よくなったことだと言っていました。
わたしもチャレンジしてみようかな~

カーネーション生産のはじまり ~停滞から発展へ その②~

2009-09-18 | カーネーションとは何ぞや?
こんばんわ

今日もでしたね。
気温もすこし高く、過ごしやすい一日でした。

明日からシルバーウイークですね。
ゴールデンウイークよりちょいとしょぼいからシルバー?
それとも敬老の日を抱えているからシルバー?
どちらにしても農家にはあまり関係がありませんね~

今日は「カーネーション生産のはじまり ~停滞から発展へ その②」デス。

3)趣味園芸から生産園芸へ
 二項園 森田喜平さんはこの事情を解説しています(実際園芸1928年
(昭和3年)2月号)。
「明治30年から40年代は趣味本意の温室園芸が全盛時代でした。このころにも
実用本位の営業温室はありましたが、その数、生産物の品質から言っても趣味温室
の足元にも及ばなかった。
宮中のご宴会などの催しで、花卉を多く御用になる場合でも、すべて新宿御苑の
生産物によられたもので、帝室の自給自足でした。ところが、今日では、
民間の園芸が進歩発達したので、優良なる花卉蔬菜(かきそさい)を作れるようになり、
帝室でご入用の場合には、専門栽培家からお買い上げになるようになってきた。」
と述べています。

4)分岐点は関東大震災
 温室園芸の進歩した分岐点として、森田喜平さんは1923年(大正12年)
の関東大震災をあげています。
「関東の主な都市が焦土と化したときに、花卉の売れ行きが非常によくなった。
このことは、花卉がパンに次いで人間の生活に必要欠くべからざるものであることを
物語っている。」


やはり花というのは人の心に安らぎを与えるんですね~。
それにしても関東大震災といえば14万人の人が亡くなった大惨事。
まずは復興という中、花を買う余裕なんてあったのでしょうか?
客層がどうであったのか、それが知りたいですね。
お金持ちから一般人まで幅広く消費があったとしたら、なんかすごいですね。
ものに対する考え方が現在の感覚とはかけ離れていたのかも知れません。

つづく・・・・

イチローすごい。

2009-09-16 | その他
こんばんわ

今日は札幌では不安定な天気だったらしいですね。
太平洋側ではおおむね天気は良好で、良い日和でした。
まっ、朝晩はもう涼しいけどっ

イチロー選手、すごいですね~
9年連続の200安打!!
どのぐらいすごいかと、足りない頭でめぐらせば・・・・
松井秀喜選手が年間75本本塁打打つぐらい、すごい。
とわたしは思うのです。
イチローさんならどこまでも記録を作っていきそうな気がします。
そんな彼の記録達成の影には並々ならぬ努力があり、
成功のための準備があり、あくなき技術の向上と探究心。
うう。。。学ぶところがありすぎます。
遠くまで行くためには、確かな一歩がなくては、到達できない。
ってなにかのCMで言ってたような・・・。

CMで思い出しましたが、DHCの水の宣伝知ってますか?
ラジオでもテレビでもやってますが、柳沢慎吾さんのアレです。
聞いていていつも最後に『あばよ!!』って一緒に言ってしまいます。
あははは。。。。

おしまい

カーネーション生産のはじまり ~停滞から発展へ その①~

2009-09-12 | カーネーションとは何ぞや?
こんばんわ

久しぶりの記事の投稿です。
最近、集まりが多くて、お酒ばっかり飲んでいますぅ
なおかつ、地区のお祭りがあって、宵宮のときに出店を出したので、
その手伝いがあったりで、結構忙しくしていました~

カーネーション生産のはじまりシリーズ

「停滞から発展へ その①」

1)停滞の10年
 澤田さんがカーネーション生産を始めた1909年(明治42年)から
10年間ほどはカーネーション生産に新しい動きも発展もありませんでした。
高級園芸組合理事長の伴田四郎さんは「大正の始めごろは東京において、100坪
以上の温室を利用していた人は、官庁、富豪以外では目黒の土倉龍次郎、
葛飾青戸町の加藤東七、中野区沼袋町の伊藤貞作の3名であった。
カーネーション栽培に通風をあまりしないでただ保温するとか加温することばかり
に注意を払っていたために、花茎の軟弱なものしか出来なかった。」
さらに
「しかるに、1921年(大正10年)ごろより切花の需要が増え、カーネーション
にも東京市内の生花商が目を向けるようになってきた。それによりカーネーション
栽培に着手する温室業者も増えてきた。」
と述べています。

2)切花の需要
 明治末期には特に襟花の需要が多かったです。洋服が珍しい時代
洋服を着る人はおしゃれだったのでしょう、襟に花を挿しました。
1911年(明治44年)発行の「暁山園芸」によりますと、新橋停車場で
売っている襟花はカーネーション、ゼラニウム、バイオレット・ヘリオトロープに
限られていたといいます。
襟花なら軟弱な茎でも良かったのでしょう。
神戸駅でも新橋駅にならって、襟花を売る花売り娘が出現したそうです。

今日はここまでです。
襟花というのは珍しいですね。というか初めて聞いたよ
襟ラインに花の刺繍のブラウスとかは見ますけど。。。
どうして、簪みたいに挿さなかったんでしょうか。
コサージュみたいな感覚だったんでしょうね。
女性は昔も今もおしゃれに気を使っています。。。

ズンドコ

2009-09-08 | その他
こんばんわ

すっかり秋めいてきました。
今日は朝雨が強く降っていましたが、その後よく晴れました。
晴れたけど、空気がなんだかヒンヤリ。
明日の朝は10度ぐらいまでさがるみたい
夏はあっという間に過ぎてしまいましたぁ
あと何ヶ月かでもう雪・・・。
最近特に時間が経つのが早く感じます。歳のせいでしょうか???

知り合いが、敬老の日にある地域の敬老会で
氷川きよしの「ズンドコ節」を振り付きで歌うそうです。
しかも女性3人で。。。
で、ユー○ューブで振り付けをもう特訓!!!
お年よりはこれで喜ぶんでしょうかぁ????
ふつう女性3人だったら何歌いますかね。
お年寄り相手だと・・・キャンディーズあたりかな。。。

女3人のズンドコ、ちょっと楽しみ。。。

カーネーション生産のはじまり ~土倉、伊藤につづく男~

2009-09-05 | カーネーションとは何ぞや?
こんばんわ

昨日の夜はがすごくて(太平洋がわだけ?)、
へそとられそうでしたね~。
んで、今日は一日曇りでした
明日も次の気圧の谷が来るため、あまり天気は期待できないかも。。。

日ハムが楽天に2連勝。楽天に勝つのは他の球団に勝つよりも
なんだか嬉しいのはわたしだけ???
あのチームは投手陣がしっかりしたら(とくにリリーフ陣)、いいチームに
なると思うんだけどなー。

土倉龍次郎さん、伊藤貞作さんとほぼ同時期の1912年(大正元年)、
南葛飾郡亀青村の加藤東七さんは温室200坪を建てました。
いきなり200坪の温室を建てたことに、世人は肝をつぶしました。
栽培品目はカーネーション、メロン、ナスでした。
この頃のほとんどの温室経営者はアメリカ帰り、華族、資産家や野心家さんたちで
ありましたが、加藤さんは、現在では当たり前のことではありますが
地元農家の出身で、堅実な経営であったらしいです。
そのため、温室村に連なる農場主とは、あまり交流がなかったといいます。

カーネーションは1932~33年(昭和7~8年)頃に止めて、野菜を作ります。
加藤さんはナスの促成の大家となり、「加藤の茄子」は神田市場で名声を博しました。
やはり勤勉な農家でした。
1927年(昭和2年)に京成電鉄青砥駅が出来たあと都市化が進み、経営の縮小を余儀なくされました。
1940年(昭和15年)には、葛飾園芸組合の組合長に就任し、地域の発展に貢献しました。
加藤東七さんは亀青村の誰もが温室を見たこともなかった時代に、カーネーション
を作り、周りの人々を驚かせましたが、篤農家として、地元の発展期大きな貢献をしました。

篤農家とは???・・・農業に熱心で研究的な人のことを言います。

カーネーション生産のはじまり ~澤田の温室を引き継いだ男~

2009-09-02 | カーネーションとは何ぞや?
こんばんわ

今日はいい天気でした。
だけど空気はひんやりで秋の気配を感じさせます。

カーネーション生産のはじまりとして、カーネーションの父、土倉龍次郎さん
について詳しく書きましたが、今日はカーネーションを初めて日本に
持ち込んで、生産した澤田さんの温室を引き継いだ、伊藤貞作さんの
お話です。

1909年(明治42年)に建てられた澤田さんの温室はどうなったのでしょう。
土倉さんはその消息をこう述べています。
「澤田氏の没後、同氏の後を継いで伊藤貞作氏がこれを譲り受け
引き継いでカーネーション栽培に着手した。」
伊藤貞作さんは1911年(明治44年)に東京高等農学校を卒業する前の年から、
カーネーション栽培を試みたらしいです。
「エンチャントレス」、「ハーリー・フーバー」、「スタンダード・ピンク」
「オリフラメ」、「デンチー」、「マダムフォンフォート」などを栽培しましたが、
いずれもがく割れが多く、実用性がなかったようです。
1912年(明治45年)5月に澤田さんの温室2棟150坪を譲り受け、
さらに1913年(大正2年)には50坪を増築しました。

当時、伊藤貞作さんの温室には縦覧謝絶(思うままに見ることの申し入れを断ること)
の札が下げられて、一般には公開しないで、孤立的な経営でした。
そのため、付近に同業者の出現があまり見られず、伊藤さんの
その後の経過も明らかになっていません。

昔の農業学校は何歳に卒業するのか分かりませんが、
かなり早い年齢での、カーネーションの栽培といったところでしょうか?