どうやったら男性を興奮させられるかを考える第二回。前回 の続き。
前回取り上げた「裸のタブー」と近いところに位置しているのが「恥じらい」である。日本人男性には、「女性の恥ずかしがる姿」に興奮を覚える人が多い。
例えばこういう話がある。風俗客には、風俗嬢に指入れなどしつつ「ここは何て言うの?」と聞く、つまり風俗嬢に女性器の俗称である卑語を言わせたがる人が多いのだそうだ。そのときにすぐ「お○んこ」と答えてしまうと、それでは客は全然満足しない。風俗嬢が卑語を言うのを恥ずかしがる様子こそ客の求めているものなのだ。
そこで、とある風俗嬢が次のような作戦を思いついた。最初は首を横に振る。すると客は言え言えとしつこく言ってくる。そこで次に、ほとんど聞き取れないような小さな声で「お○んこ」と言う。すると客は、もっと大きな声で言え、と迫ってくる。そこで「お、お○んこ、いっちゃうー」と叫ぶ。これで客はみんな大満足するのだそうだ。全く男性とはかわいい生き物ではないか。
ただしこれは人類全般に普遍的な現象ではなく、文化的な違いが大きく見られる。
例えばアメリカ製アダルトDVDを見ればわかるように、アメリカ人男性は恥じらいによって興奮することがあまり無い模様だ。DVDにもそういうシチュエーションが皆無のため、「洋モノには恥じらいが無いので興奮できない」と言う日本人男性も多い。
アメリカのポルノ文学には一応 humiliation というジャンルがあるのだが、これも「恥ずかしいことをさせられると濡れてきちゃうんです」みたいな精神的SMの方向性であり、日本人男性の求める恥じらいとは相当に異なる。
恥じらいがどういう原理で男性を興奮させるのかは私もよくわからない。ただ、日本人には「恥ずかしい」「恥ずかしがらせる」ということに妙な快感を覚える性向がある。
例えば日本の小学生は、「誰は誰のことが好き」とか言って、黒板に相合傘を描いてみたりとか、そういう誰かを恥ずかしがらせる仕打ちが大好きだ。いや、私の子供の頃はそうだった。まあ四半世紀以上昔の話だが。ひょっとしたら今の小学校だともっと陰湿ないじめに姿を変えているのかもしれないが、その辺は変わっていないと信じたい。そういう精神性が成人となった後も残っているのではないかと私は推測している。
また日本社会においては、本音と建前の乖離が大きく、「嫌よ嫌よも好きのうち」心理というか、口では嫌と言っていてもそこを敢えて押すことを相手もお約束として求めている、というケースに遭遇することが少なくない。ガイジンにはこのお約束がわからないので、「日本社会は閉鎖的だー」などと叫ぶわけだが、日本人にしてみれば単に「空気の読めないやつ」ということになる。
口に出さなくてもお約束がお約束として通じることこそが日本人にとってのコミュニケーションであり、それを敢えて口に出すのはギャグの意味を事細かに解説することと同様に「ヤボ」なこととされる。「恥じらい」はそういった風土にも支えられているのだろう。
ただしこのような日本人のコミュニケーション形態には、いろいろと問題もある。女性が「いや、やめて」と本気で言っているのに、男性は「嫌よ嫌よも好きのうちだろぉ〜? そうやって恥らう姿を見るとますます興奮するぜぇ〜」とか言って強要を続ける、みたいなことがたまにある。顕著な例が 指入れ問題 である。
前回取り上げた「裸のタブー」と近いところに位置しているのが「恥じらい」である。日本人男性には、「女性の恥ずかしがる姿」に興奮を覚える人が多い。
例えばこういう話がある。風俗客には、風俗嬢に指入れなどしつつ「ここは何て言うの?」と聞く、つまり風俗嬢に女性器の俗称である卑語を言わせたがる人が多いのだそうだ。そのときにすぐ「お○んこ」と答えてしまうと、それでは客は全然満足しない。風俗嬢が卑語を言うのを恥ずかしがる様子こそ客の求めているものなのだ。
そこで、とある風俗嬢が次のような作戦を思いついた。最初は首を横に振る。すると客は言え言えとしつこく言ってくる。そこで次に、ほとんど聞き取れないような小さな声で「お○んこ」と言う。すると客は、もっと大きな声で言え、と迫ってくる。そこで「お、お○んこ、いっちゃうー」と叫ぶ。これで客はみんな大満足するのだそうだ。全く男性とはかわいい生き物ではないか。
ただしこれは人類全般に普遍的な現象ではなく、文化的な違いが大きく見られる。
例えばアメリカ製アダルトDVDを見ればわかるように、アメリカ人男性は恥じらいによって興奮することがあまり無い模様だ。DVDにもそういうシチュエーションが皆無のため、「洋モノには恥じらいが無いので興奮できない」と言う日本人男性も多い。
アメリカのポルノ文学には一応 humiliation というジャンルがあるのだが、これも「恥ずかしいことをさせられると濡れてきちゃうんです」みたいな精神的SMの方向性であり、日本人男性の求める恥じらいとは相当に異なる。
恥じらいがどういう原理で男性を興奮させるのかは私もよくわからない。ただ、日本人には「恥ずかしい」「恥ずかしがらせる」ということに妙な快感を覚える性向がある。
例えば日本の小学生は、「誰は誰のことが好き」とか言って、黒板に相合傘を描いてみたりとか、そういう誰かを恥ずかしがらせる仕打ちが大好きだ。いや、私の子供の頃はそうだった。まあ四半世紀以上昔の話だが。ひょっとしたら今の小学校だともっと陰湿ないじめに姿を変えているのかもしれないが、その辺は変わっていないと信じたい。そういう精神性が成人となった後も残っているのではないかと私は推測している。
また日本社会においては、本音と建前の乖離が大きく、「嫌よ嫌よも好きのうち」心理というか、口では嫌と言っていてもそこを敢えて押すことを相手もお約束として求めている、というケースに遭遇することが少なくない。ガイジンにはこのお約束がわからないので、「日本社会は閉鎖的だー」などと叫ぶわけだが、日本人にしてみれば単に「空気の読めないやつ」ということになる。
口に出さなくてもお約束がお約束として通じることこそが日本人にとってのコミュニケーションであり、それを敢えて口に出すのはギャグの意味を事細かに解説することと同様に「ヤボ」なこととされる。「恥じらい」はそういった風土にも支えられているのだろう。
ただしこのような日本人のコミュニケーション形態には、いろいろと問題もある。女性が「いや、やめて」と本気で言っているのに、男性は「嫌よ嫌よも好きのうちだろぉ〜? そうやって恥らう姿を見るとますます興奮するぜぇ〜」とか言って強要を続ける、みたいなことがたまにある。顕著な例が 指入れ問題 である。









