ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

クリスチャンの結婚観

2017年04月19日 | 信仰
最近小耳に挟んだ、と言うか、SNSをチラッと見て興味を持った話がある。それは日本以外での話で、教派の異なる若いクリスチャン同士のちょっとした会話のようであった。そこで話題になったのは、互いの結婚観の違いだった。以下はこれを元にした、100%私の作り話である。

(一般のクリスチャン)A; You(あなた)はどういう人と結婚したいと思ってる?
(私たちの群れの)B; 神様が導かれた人と。
A; 先ず自分が心から愛せる人とではないの?
B; その人がクリスチャンでなかったら?
A; クリスチャンになるよう祈るし、伝道して、もし信じてくれたら新しくクリスチャンが誕生したことになるわ。それは神様が導いてくださった人だと思うんじゃないの。
B; それは素敵ですね。えーっ、でも何となく、好きになってしまってからでは、そういうの、いけないと思うんです。
A; ええ〜っ、それはどう言うこと?
B; 順番が違うと思うんです。神様を第一にしていないというかぁ。
A; エエェ、それじゃYouは、自分が愛してない人とでも、神の導きなら結婚するの。
B;(ちょっとためらって)そういうことになると思います。
A; アンビリーバブル(信じられない)!

実はAとは、若い頃の私自身そのものでもある。結婚について、そのように考えていたし、祈り続けていたし、七年後ついに結婚した。そして十年前の私は、若いBと同様、ほとんど知らない相手(つまりその時にはまだ愛はなかった)のだが、神が導いてくださった相手と結婚した。結婚を決めるために要した時間は、ほぼゼロである。

つまり私はAであったし、Bである。何が変わったのか? 違いは神への愛と信頼がすべてに勝っただけである。でもAがなければBに至ることもなかったので、どちらも必要で大切だった。

人間の見識は小さくて頼るに値しないし、好悪感情ほど移ろいやすい不安定なものはない(※こういうことに気づいて虚無的になる人が多い)。すべからく人は皆、自己中心の罪と自分の感情に翻弄され、正しい判断と選択などはできないものなのだ。もしできると思っていたとしたら、それはうぬぼれているか、それとも高慢である。
十字架に架かってまで愛してくださった創造主に、すべてお任せするのが、体験的にも言える最善である。


ケパ



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