CANVAS F20

サワノのお気に入りだけで構成するブログ

チョコレートが世界をシアワセにする

2012-03-28 | ごはん・スウィーツ

UPが遅くなってしまったケド ↑ ホワイトデーのお返し  にんまり

 

モノトーンに徹したパッケージデザインと

4種類のフレーバーごとに異なるナンバリング。

....カッコ良い。

 

同封されたリーフレットには

学校にも行けず 家族の為に働く子供達のいる発展途上国から

適正な価格でカカオをフェアトレードする、

そのカカオから美味しいチョコレートを製造 販売する、

消費者の私達が食べてにっこり笑顔になる、

という関係を「チョコレートで世界を幸せにする」と謳っていました。

 

写真 ↓ ボケちゃった  ショック!!

マクロ撮影に強いカメラが欲しいなぁ。光が弱かったのかなぁ。

ホワイトバランスの設定すらあまり変えない私が言うのも何だけど

写真が上手に撮れる様になりたいです。

厚さ1ミリのチョコレートでガナッシュをコーティング、それをクッキーでサンド。 

口どけの良い なめらかなガナッシュとサクサクのクッキーが

全部ひっくるめて 濃っ厚ーっな "チョコレート" になっている。

あのね、食べた時にね、クッキーが さくっっと 割れた次の瞬間

1ミリ厚のチョコレートが ぱきっっと 割れる食感がたまらんとです。

すぅごく美味しかった 

大好きチョコレートっ 

 

「チョコレート "が" 世界をシアワセにする」!

いや「チョコレートが "私を" シアワセにする」ンだけどね 

 

 

 

ほっこりしたくて 久し振りに「おと な  り」を観た。

「おと な  り」+「チョコレート」= 無敵 

今週もがんばろ。

 

 

 

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招待状

2012-03-25 | 日々のこと

結婚しますっ!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

....友達がっ(笑)!!

 

先日 待ちに待った招待状が届きました  ありがとう!

水面下では もうすでに式と披露宴会場となる宮崎県への飛行機と宿泊の手配済み!

....ではあるものの、こうして届く招待状に やはり改めて 心がうきうきする私。

この歳にもなると 友達の結婚式で「おめでとう 」なんて言うのは

あくまでも表面上、内に女の嫉妬心がめらめらしているモノだと思っていたけど

(ドラマの見過ぎ

結婚決めたって報告受けた瞬間から すごく嬉しくて楽しくて

それが九州だとしても、例え沖縄だとしても台湾だとしても地球の裏側だとしても、

駆けつけて祝福したい気持ちでいっぱいだったのです 

彼女との出会いは10代後半までさかのぼっちゃったりする。

何もかも新しい一歩を踏み出した大学生生活、夢と希望に胸を膨らませる一方で

相当な不安もあった中 同郷の彼女の存在がとても心強かった。

一緒に授業を受け、一緒に学食に行き、一緒に帰宅し、

一緒に美術館に行き、一緒に公園に行き、一緒に映画に行き、

一緒に夢を語り、一緒に悩み、一緒に笑い、一緒に泣いた。

あ いや、一緒に泣いたことがあったかどうかは覚えていないけれど(笑)

4年間のうちの ほとんどを一緒に過ごしていたと思う。

3週間のイギリス半周旅行、2週間のNYとフィラデルフィア旅行も

彼女と一緒に 金銭的には貧乏だけど 美術館三昧の優雅で贅沢な時間を過ごした。

ブログを始める時には 今ではすっかりおなじみの私のリアル似顔絵を描いてくれた。

(左上に出るヤツね

 

そんな彼女の名字が変わるんだね。

なんとも感慨深い。

喜んで出席させて頂きます。

ところで この招待状、手作りなんです。

台紙は 彼女の卒業制作にも使われた ドイツ製の水彩紙なんだそう。

ロール状に巻かれた紙を 工房でノコギリで切っていたこと、覚えていますとも(笑)。

台紙に浮かぶ白い梅も ステンシルと消しゴムスタンプ。

トップの写真の水引細工も もちろん手作り。

なんだか大学の授業を思い出すよね。

そう、私も「木工女子」になる以前は「図画工作女子」だった。

あらゆるモノを 切ったり貼ったり ちぎったり繋げたり 曲げたり折ったり、

そのうち 叩き付けて割ってみたり 火で炙ってみたり....。

この招待状の制作にあたっては 時間が掛かったらしいけど、弱音もはいたらしいけど

こういう好奇心とそこから生まれるモノへの愛情って いつまでも忘れたくないよね。

 

 そんなわけでして 私の「春には宮崎  ぐふふ 」発言に

「え!転勤ですか?」と連絡を下さったみなさま、

 友人の結婚式出席の為でございます ご安心下さい。 

 

 

 

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ノスタルジック。

2012-03-19 | 日々のこと

高山の技能専門校(の一年目)を一緒に過ごした 懐かしい友達から葉書が届いた。

手紙っていい、なんでこんなに心に効くんだろう 

木工ろくろの親方に弟子入りしていた経験を持つ彼女は いまや 二児の母。

最後に会ったのは 彼女が鳥取に帰る時だったかな。

もう何年 会っていない?

あ、むしろ考えたくないな....(笑)。

 

在学当時 毎日学校で会っているのに、帰宅してからも半端なく

ながーいながーいFAXを書いて送り合ったりするほど依存していた(笑)。

何枚も何枚も書いて セロハンテープで貼って繋げて

ずずずずずずずずずぅぅぅーーー......っと流すのが 殆ど 日課の様だった。

それがメールではなくFAXだったことが 時代を感じさせる思い出ですが

話しても話しても話し足りなくて (そういう年頃だったのかも。いや今も?)

高山市内でも数の少ないファーストフード店の 閉店時間が早い順にハシゴしたり、

高山満喫観光客ごっこをした思い出もたっくさん

ガイドブックに載っているお店巡りをしたり お決まりのみたらし団子を買って食べたり

スーパーで飛騨牛を買い込んで うちで二人飛騨牛パーティしたり。

そうだ、市内からオークヴィレッジまで自転車  で行ったこともある(無謀)!

延々と続く上り坂に 泣きそうだった(大笑)。

  

あの頃 送り合っていたFAXの文字と 少しも変わらない彼女の字体を見ていて

なんだか心の奥の方が温かくなる様なノスタルジックにひたってしまった。

嬉しくて懐かしくて 何度も繰り返し読んではながめている  

 

トップの写真は 彼女から届いた葉書と お返事を書く為に久し振りに自作した 封筒。

基本、インドア派なので こんなことしているのが一番好きかもしれない。

写真はアンティーク加工してみました。

 

 

 

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精進落とし。

2012-03-17 | 日々のこと

4人部屋の病室が空いていなくて 優雅に個室を使っている、

なんとお部屋にトイレもシャワーも付いてるんだよ、

そう聞いていたので その「個室」とやらを拝見がてら

二度目のお見舞いに行くつもりだった日曜の朝、

「病院から呼び出し!意識がないって!」と言う母の声で飛び起きた。

寝ぼけているのか起きているのか分からない状態で「私も行く!」と叫んだ。

 

初めて入った集中治療室。

そこも「個室」だったけど 私が見てみたかった「個室」とはイメージが違い過ぎる。

別室で 脳の断面写真を見ながら 母と叔母と3人、医師から説明を受けた。

そんな写真を見たって 何がどのくらいどうなっているのか 私には分からない。

ていうか正直、分かりたくない。

でもはっきりと 一番聞きたくない言葉を聞いた。

「長くはありません」

モニターに刻まれる、脈拍 血圧 呼吸を表す数字に振り回されて

ロウソクの炎が消える瞬間を待つ様な、恐ろしく重く つらい日曜日を過ごす。

呼び掛けに反応しているかのように感じることも、こちらの希望でしかないんだろう。

意識が戻るなんてことも、もうないだろうと聞かされていた。

月曜は出勤。

職場の誰かに話し掛けられると それに甘えて泣きそうで

なるべく話し掛けられない様に隙なく 平常心を保とうとするのが精一杯。

 

「仕事はどう?楽しい?」会うといつも決まって同じ質問だった。

いつも決まって同じ質問をしていたのは 私が「楽しい !」と答えるからでしょう?

きっとそれが聞きたかったんだよね。

最後に会った日も おんなじ。

男の人に混ざって仕事する様な そんなタイプじゃなかったのにね、と笑いながら

「(病院からの)帰りにお茶でもして行って」と、小さなお財布からお小遣いをくれた。

あの日の笑顔が最後だった。

 

終業後 病院へ向かう途中に「仕事終わるの何時?」と、大阪にいる兄からメール。

驚いたことに、この時 私にメールしてきたのは偶然だったらしい。

電話を掛け直して 事情を説明すると「俺、今から行こか?」と。

「え?大阪から?」心強く思う私に「今(仕事の帰りで)沼津」。

 

でも、間に合わなかった。

兄も おそらくその瞬間 病院の入口まで来ていた私も。

母の 私への第一声は「ごめんね」だった。

感覚的には ほんの数分前だったらしい。

打ち合わせと準備でバタバタする中、

父に頼んで お気に入りの和菓子屋さんで生菓子を買ってきてもらった。

父が選んでくれた生菓子は ちょうど一年程前に

清水の家までお線香をあげに来てくれた時に私が用意したモノと同じだった。

自分で挽いた器にお菓子をのせて そっと棺に入れた。

火曜日にお通夜。

水曜日にお葬式。

木曜日、朝礼が終わるとすぐに休暇届を提出する様に言われて

翌日の準備に追われるみんなをよそに ひとり作業場に行った。

休暇届に日付を記入しようとしたら 今が何月だったのか 分からなくなっていた。

夏なのか冬なのか、それすら分からない。

1月....?

あれ2月....?

完全 ひとりパニック。

気が狂ったのかと思う程 泣いた。

人が生きて行く上で 当たり前に通る道なのに どうしてこうも堪え難いのだろう?

どうして自分だけが こうも弱いのだろう?

午前中ずっと 泣きながら仕事 ← ゴメンナサイ。

ふんわりそおぉぉっっと優しい心遣い、ちゃんと気付いてます ← アリガトウ。

 

金曜日は入荷作業。

結果 重ならなくて助かったけれど 入荷作業におけるあまりの人数不足に

この日が 通夜になろうとも 葬儀になろうとも 必ず出社しようと決めていた。

そして翌週から久し振りの残業が 数日続く。

段取りをしてくれているS氏に ただただ「頑張るね、頑張るからね」を繰り返した。

これが私の近況です。

私は元気です。

大丈夫。

根拠はひとつ。

なぜなら、愛されて育ったから。

 

ちゃんと仕事もしています。

私を通して [アンティーク家具] というモノに興味を持って下さる方が

少なからずいることをひしひしと感じ 心から感謝しながらも

今はもう ここに仕事のことを書くことはしないし

あえて自分の職場を売り込むことも 一切を止めてしまったけれど

ハタチの頃からこれだけ家具を続けていても 

いまだに日々 良くも悪くも新鮮な驚きを感じられるということは 

社会生活をおくる上で 極めて貴重なことだと思う。

興奮のあまり 思わずO氏を呼んでしまった ← 鉄骨ラーメン構造。

(注:ラーメンはドイツ語でフレームの意)

葬儀の後は みんな揃って おばあちゃんが大好きだった松坂屋へ。

私も行ってみたかった「梅の花」。

自分の思う様に動けなくなった頃「松坂屋に行きたい」が口癖だったから

母も叔母も、孫一同も 誰しも納得の精進落しでした。

 

 

 

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