+ + Little Garden + +

*-+-*-+-* 小さな幸せ *-+-*-+-*

休憩

2012-06-25 | ヒトリゴト

暫く ブログ お休みしようと 思います。

ここで お付き合い下さった 皆様には
とても感謝しております。

ありがとうございました。


** トラウマ **

2012-06-23 | ヒトリゴト

何だか憂鬱な気分になっています。

のっけからこんな事を書いて、読んで下さる人は、あまりいい気分ではありませんね。
台風も去り、梅雨の晴れ間だというのに…
元々ある偏頭痛も、低気圧が去ったはずなのに出ています。

義母は、視力も衰え始めています。
そもそも緑内障の悪化で、左目はもう開いていません。
それなのに唯一の右目も視力がかなり落ちたようで、私を見ても「ぼんやりしか見えない」と言います。
まだリハビリも思うように進んでいないようで
病院に見舞いに行くと私に 「トイレに行きたい」 と言いますが
行かせるのは結構大変です。
今のままでは、帰宅後がとても不安です。トイレの度に私の名前を呼ぶような気がします。



今の私の楽しみはガーデニング。 あまりお出かけするといった事も、気が進みません。
更年期の加減なのか、気持ちの浮き沈みがあります。
何十年ぶりかの学生時代の同級会も、せっかく誘ってくれてるのに、お断りしてしまいます。






















唯一、何も気負う事なく会える友人が近くにいるのですが、

いつでも会えるという気持ちからか、ここ最近は会っていませんでした。
義母の病院通いと家の事とガーデニング。

夫の休日に、夫の誘いでお出かけするのがやっと…の状態でした。


何度かここでもUPしているクラフトClass。
来月のメニューがHPに出ていたので、近所に住むその友人に連絡してみました。
すると ちょっとだけ素っ気無い返事がメールで返ってきました。

それだけで ドヨーン…と暗くなってしまいます。 

友人も 「今日は調子が悪いのよ・・・」 と言っていましたが
私に対して何か怒ってるのかな・・・と不安になります。
その後、電話で彼女と話して普通だったので、良かったのですが・・・。
























ちょっとした相手の態度で不安になる・・・。
これは私の生い立ちに関係があります。

私は母にとても厳しく育てられました。
父は優しい人だったのですが、母は優しい時ともの凄く怖い時とありました。
一人っ子なので母の愛情は私にのみ100%…それ以上の愛情を注がれました。
でも、愛する気持ちが強すぎるが故なのか、自分の分身と思っているような節もありました。 

良い時は、姉妹のように仲良くできるのですが、母は自分の思い通りの答えや、私が思い通りにならないと
あからさまに、不満を態度に出し、辛く当たりました。
何でも「はい」「はい」と言うことを聞くいい子。
それが『母の自慢の娘』 すなわち私・・・といった感じでした。
自我が芽生え、反抗期になっても、反抗なんてさせてもらえず…でした。
大人になり、私が親になってからさえも。

時には、何でそんなに不満に思っているのか、一体何を怒っているのか、分からない時もありました。
そんなことから、私は人の態度や顔色を伺う癖が付いてしまっています。




一人っ子だった分、家族の中で親に冷たく当たられたりすると
他に味方がいなくなってしまう。。
そんな子供時代を過ごし
成人し、結婚し、私が親になってからも、母の性格は変わることはありませんでした。
その母も、54歳という若さで亡くなり、今はもういません。

それでも子供の頃に染み付いた癖は、抜ける事がありません。
夫の機嫌や息子の疲労度なども、いつも伺ってしまいます。

夫は普段とても優しく、むしろ私が笑顔でいられるように…と何かと気遣いをしてくれるので
どれだけ救われているか分かりませんが、それでも夫も人間。
いつもいつもその状態であるはずもなく、時には疲労度がMAXだったり
時には嫌な事が職場であったりも当然します。

息子の発した言葉に機嫌が悪くなったり、私の態度が気に入らないことも時にはあるでしょう。
そんな夫の微妙な態度の違いを、とても敏感に感じ取ってしまいます。
そして頭痛がしたり、心臓がバクバクしてしまうのです。




変な癖です。
小心者なんだと自分では思います。

だからなのかな…
気負うことなく話せる、一番の友人。
安心してればいいのでしょうが、その友人からの返事が素っ気無いだけで
ドキドキしてしまうのです。 そして頭痛…





他の件でこんな悩みをその友人に打ち明けると、きっと
「そんな気にすることないって♪ 考え過ぎだよ^^」って言うと思います。
そう・・ きっと考え過ぎなんだって分かっているのに。。

幼少のトラウマですね。

こんな自分が嫌になります。


今日は暗いお話でした。 ごめんなさい。




 

胸のうちを、誰にも言えず、一人で考えてしまうので
ここでお話して、気持ちをスッキリしたくて。。

来週はクラフトクラスがあるので
きっとその時は、いつもの調子で、友人と話せるはず!
と思ってはいるのですが・・・。

だってもう14年ぐらいの付き合いになる友人だもの。

私の良い所も悪い所も含めて良き理解者である友人です。

イロイロな事が重なって、少し過敏になっているのかもしれませんね。。。








** 私のココロ **

2012-06-06 | ヒトリゴト

昨日は 少々誤解を招く表現を blogで してしまい

自分の表現力の無さを 反省致しました。



自分の中で理解していることを 頭に思いつくまま

書いてしまうと 

間違えた知識のように 受け取られてしまうことも ありで…。

言葉足らず 反省です・・・。



ここで 不特定多数の方々の目に留まる 嬉しさは

もちろん あるのですが  と 同時に

不特定多数の方々の目に留まる 怖さ というのも 初めて 感じました。




悪意のある コメントを 頂いたことは 幸い ありませんが

昨日頂いた コメントのような

『 もう少し 勉強した方が(笑 』 

と コメント残されるのであれば

〇〇ではなくて 〇〇ですので その表現は 誤解を招く恐れがありますよ。

とか

あなたが仰られている 〇〇というのは 間違っていて 〇〇が 正しいです。

のような コメントを 頂けたのなら

もう少し 違っていたように 思いました。。。



ネットは 自由に表現できる場でもありますが

対、相手(人) で
ある場合

その相手に対して 何か 嫌なことをされた とかではない限り

(例え 嫌な事をされたとしても 私は 考えて物をいいますが)

相手に対して 

不快な思いを 与えてしまうような 言葉や表現は

控えるべきだと 考えています。



受け止め方は 人それぞれで

 ネットだったら 見ず知らずの人から 

何を言われても 日常関わる人でもないし 平気。

という方も みえると思いますが 

見ず知らずの顔も 見えない相手からでも

傷ついたり 不快な思いをしたり 悲しくなったり する人も。。。


私は 間違いなく 後者です。



自分が 傷ついたり 悲しくなったり する性格なので 

人に対しての コメントは 言葉や表現を 選んで書き込みします。

また 顔の見えない 今後会うことのない相手だとしても

マナーというものは 日常社会と 同じで

まずは 挨拶から入り 

初めての方への 言葉や配慮というものも

必要なことだと思うし 

私も そのようにしているつもりです。 




挨拶もなく いきなり あのコメントを 残され 

ちょっと傷つきました… 。

私が 打たれ弱すぎる部分も あるのですが…





義母の介護 転倒による入院

義母の痴呆が進み 深夜に 歌を唄ってしまったり 大声を出してしまったりするので

今後は 実費の有料個室へ移るよう 勧められていたり

リハビリの進み 義母の体力の回復が 芳しくないこと

それに伴い 今の病院では 最大で2ヶ月までしか入院させてもらえず

保健施設へのリハビリ入所を 考えたり その説明を聞いたり 手続きで

市役所や施設 病院へと 走り回っていること・・・等々

ただでさえ 精神的に 少し参っていたので 余計だったのかも しれません。



私のblogは 基本的に ガーデニングブログなので

ガーデニングに関すること以外は あまり 書くつもりはないのですが

今日は 昨日のことを 引きずっていて・・・




花の事 庭の事 

書くのが どこかで 怖いという 思いがあって・・・ 


ココロの中を ここで 書き出してみました。



長々と 失礼致しました。





*-+-*-+-* Thank you for seeing my blog *-+-*-+-*


 



2011年 

2011-12-31 | ヒトリゴト

今年も 残り僅か・・・。

毎年の事ですが 本当に あっという間の 一年でした。



夏場は blogの方も 猛暑で 中だるみがあったものの

私にしては blogも よく続いた方だと 思います。

自画自賛で 恐縮です^^;







今年は どんな一年だったか・・・。


息子たちに いろいろな 難関がふりかかったり 問題が 発生したり・・・

と いろいろな局面に遭遇したものの

家族みんな 健康には 問題なく

2011年を締めくくろうと していることに 感謝です。



~ 私個人としては ~

今年は チャレンジの年でも ありました。

年頭に そう決めていたわけではなく 結果的に そうなっただけなのですが

親友のおかげだと 思っています


義母の介護のため 家にばかりいた私を

 「クラフト教室 やってみない?」

と 誘ってくれ

クラフト教室に参加するようになり・・・

そして

その親友に 編み物を 習ったり。

それをきっかけとして 

いろんなことに 刺激を 受けるようになり



ネットで 見つけたリメイクや 手芸にも 

どんどん興味を 持てるようになった気がしています。

去年までは ココロに 響かなかったことに 今年はチャレンジできたこと・・・

これは本当に 親友のおかげです。

Nちゃん いつも ありがとう。  感謝しています

と・・・

 ここに書いても 親友は このblogを 見ていないんですけどね^^;

見ていないからこそ 書けることなのかもしれない。

お互いの時間を作っては 会って話して 笑って・・・

だから 互いのblogは ノータッチ♪



さて 来年も ガーデニングに クラフト教室に 手芸に・・・。

意欲的に 頑張っていきたいと 思います。

2012年も 素敵な 一年で ありますように。


そして

今年 私のblogを 目にしてくださった方々

どうも ありがとう。


ガーデニング,草花を通しても 素敵な出会いがありました。



そんな方々との出会いにも 感謝しています。

どうも ありがとう。

来年も また 宜しくお願い致します。


気まぐれblogなので いつ パタっとお休みしてしまうかもしれませんが

長い目で 見て頂けると 有難いです。


一年間 有難うございました。

良いお年を お迎え下さい。。。


来年も 素敵な 一年になるよう 楽しんで過ごしていきましょう♪



 
 
 



 You   One great year   Thank you,

also next year   I would appreciate your favor 


脳内妄想

2011-10-31 | ヒトリゴト



ガーデニングは

私の毎日のストレス発散と癒し。



嫌な事があって うさうさとしたココロであっても

庭で何かやってると スーっと気持ちが落ち着く。



以前にも書いたが 庭で過ごす時間は

 草花の事を考えたり

色の組み合わせや 草丈の合わせなどを考え

植えなおしや 雑草を無心で 取ったりしながら

ふと気付くと 

昨日の出来事や 数年前の出来事を思い出していたり

過去の自分を振り返っていたり 将来のことを 考えていたり・・・

はたまた 私の周りの人のことを 考えていたり

それは

本当に無意識に・・・

ふと気付くと 庭以外の事を頭に巡らせ

没頭していたりする。



最近

夫が もっとガーデニング好きな人であれば どうだっただろう・・・

と 考えていた。

パーゴラをDIYしてくれたり バラの誘引作業を 率先してやってくれたり

草花を もっと 愛でてくれたりしたんだろうか?

季節ごとに その感動を 一緒に 味わえたんだろうか・・・

なんて くだらない事を 悶々と 考えている自分に 気付いた。



現実の夫は 私が ガーデニング好きということを

十分に理解し その時間を大切に 考えていてくれるし

買い物などにも付き合ってくれる。

桜の季節になれば お花見にも行く。

バラ園だとか クレマチスを見に行ったり

紅葉の季節には 山々へ出かけたりもしてくれるが

『この花 家の庭にも 咲いてるね』

という問いかけには 大抵

『え!? そ・・・ そう・・・ だよね!』

のような 
本当は全然知らないんだけど ちょっと焦ってみたり・・・。(笑



そんな夫ではあっても 私の趣味に対して 理解を持ってくれる部分に

とても 感謝しているのだけれど

家の敷地から はみ出した草花は お隣りさんに 迷惑だからと 

ボキっと折ってしまったり。。

それが 今年出た大切な大切な バラのシュートであたっとしても。


私が大切にしている ガーデニング雑貨などは

 無造作に歩いたばかりに

蹴ってしまって 割れてしまったことも 多々・・・


ガーデニングを 私と同じぐらい好きで

一緒に ガーデニングを楽しめる夫であったなら・・・

と 考えてみたが

きっと 私の理想とする庭と 夫の理想とする庭

意見がぶつかったり お互い譲ったりしながらのガーデニングに

なるんだろうな~ という考えに 落ち着いた。


だとしたら・・・



私は 自分のしたいことを 自由に 庭で 楽しみ

好きなバラを植え 好きな草花を 買って

好きな位置に 植え付け 楽しめてるって

凄く幸せな ことなのかも。。。

と 思えてきた。


ガーデニングが 趣味でもないのに

好きなように 花を買わせてくれて

庭を自由にさせてくれる。

 私の趣味に 理解を示し

その時間も 大切に 考えてくれるだけで

充分。。


結局のところ

お姑さんとの生活や介護で 悶々とすることがあっても

きっと 私は

ガーデニングをすることによって

かなり 救われているんだな~ って 実感したり。

それは 夫の理解があってこそなんだな~ って。



自己満足な blog となりましたが


そんな考えに 落ち着いた日でした・・・。








*-+-*-+-* Thank you for seeing my blog *-+-*-+-*


心のホンネ

2011-06-13 | ヒトリゴト

時々…いろんな事に対するやる気が、無くなってしまうときがある。
それは、日常のストレスだったり、ホルモンのバランスが崩れているせいだったり
持病の偏頭痛のせいだったり・・・
何か不安があったりと、精神的なものが大きいというのは否めない。



そうなった時、私は自分の好きな事に許される範囲で没頭する。
それが大半はガーデニングであったりするのだけれど。。。
今回は携帯のゲームにハマっていた。
~ 怪盗ロワイヤル ~
ゲームでは『イベント』と称したものが、イベントではなくほぼ日常で
開催されているのだが、ここのところ、少し志向の変わったイベントが開催され
最初は参加はスルーでいこうと思っていたが
少しやってみたらかなり面白く、すっかり夢中になってしまった。



でも、こうして何かに夢中になる時
その裏側には決まって何か問題がある。
その問題というのは、他人からしたらさして問題とは思えないような
ちっぽけな事なんだろうと思う。
しかし、自分の中ではその小さな問題(ストレス)がふつふつと米粒ほどの大きさから
だんだんと膨らみ始め、それが大きくなった時に
自分の意識以外のところで、強い拒否反応を示す結果が
他の何かに没頭する・・・ということなんだろうと思う。


例えば・・・
家族と一緒に暮らしていながら
やる気が起きないから という理由で、食事を作らないという訳にはいかない。
繰り返しになるが、洗濯しない、掃除しない、夫のワイシャツにアイロンをかけない
という訳にはいかないし
もし仮に日常の家事ができない状態になったら
これは所謂、『鬱病』あるいは何らかの『精神的疾患』に罹った時だと思っている。

防衛本能か何か、分からないけれど、そういった状態に陥らないために
自分を守る防護策を自分で自然にやってしまっているのだと思う。

こうなってくると、家事はやらない訳にはいかないけれど
それ以外の部分のどこかを拒否してしまう所がある。
家族以外との接触・・・。
人として生きている以上、人と接することなく生きていくことは不可能だけど
必要以外は人と接触することが疎ましくなることがある。

自分の興味あることに異常に没頭し、人との接触がとても疎ましくなってるな
と思った時、あ・・・私、今、強いストレスを感じてるんだな・・・と気付く。



これは数年前、
夫の両親、つまり義父、義母が我が家に来て暮らし始めた時から。

義父は・・・とてもいい人で、私も大好きだった。
残念ながら、一緒に暮らし始めてわずか7ヶ月・・・肺ガンで亡くなってしまったけれど
その7ヶ月は義父を更に好きになる出来事ばかりだった。
そして貴重な7ヶ月という時間を義父と一つ屋根の下で共有できたことは
今も大切な思い出であり、時々思い出しては笑顔になれる。

義母は、73歳の時脳梗塞を患い、それから3回ほど同じ病気で入院した。
今は、身体の左半分が不随で、足だけは何とか動き、歩けるので
トイレだけは自分でできる。
一日の大半をベッドでTVを観て過ごしている。
この義母とは喧嘩もなく、はたから見ればとてもうまくいってる嫁、姑に見えるだろう・・・。
だけど、私は正直、好きになれない。
ウマが合わないというか・・・
悪気はないのだけど勘に触ることを言う・・・というか。
空気をよめない人というか・・・。



一緒に暮らし始めた時、78歳だった義母は、来月で83歳になる。
痴呆も少し始まり、何を言っても覚えていない。
毎回同じことを何度も聞くので、こちらは応えなくてはならない。

元気な頃の義母と接していた時は、
何だか苦手だな・・・というぐらいにしか感じていなかった。

それは俗に言う、「嫁と姑」という立場からの苦手意識だと思っていたが
一緒に暮らし始めて分かったのは、義母のことを好きになれない。。。という現実。
元々、嫌いだったということ・・・。

イラっとすることを言われたりしても、相手に悪気がないため
こちらは言い返したり、文句も言えない。
夫は「何を言っても覚えていないからストレスを溜め込まないように言いたいことを
言っていいんだよ?」というが、老いた弱者の義母に強く言うことができない。

よく夫婦が冷めると、自分の夫の箸の上げ下げまでも嫌いになるというが
今の私にとって、姑の一挙手一投足がその状態にまでなっている。
毎日、姑の杖をつく音が聞こえるだけでイライラする。。。
声が聞こえるだけでイライラする。。。



でも夫と息子たちは私の宝物。
大好きな家族の前では、できるだけ笑顔でありたいと思う。

このココロの現実と実生活のギャップに
ストレスが生まれるのかもしれない…。

最近はアロマオイルの香りでリラックスしたり
寝る時はヒーリングリラクゼーションの音楽を聴いて
心を落ち着けようと試みている・・・。


夫はいつも私に、感謝してくれている。
私も理解ある夫に感謝している。

それでも、私の中のストレスは消えない。。。


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*読んでいて気分を害されるような内容表現があったかもしれません。
*気分をこわされた方にはお詫び申し上げます。                         
*ただ キレイ事ばかりではなく自分のその時々のホンネも             
*ここには記しておきたいため、ご了承くださいませ...
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*-+-*-+-* つたないブログ 見てくださって ありがとう *-+-*-+-*



親友の定義

2010-06-09 | ヒトリゴト
親友と呼べる人... 何人いますか?


小学生の頃、気が付くとグループの中心人物になっていた。
いつも自分の周りには、友達がいて...いわゆる‘しきり屋さん’のような位置。
修学旅行の時、別グループのリーダ的存在のある女の子に
「結局ここでも、○○ちゃん(私)が頭領か…」と言われ嫌な思いをした。
一人っ子だった私はとても寂しがりやで、友人に囲まれているのがとても心地よかったのだが
その頃から、中心人物でいたくない と思うようになったように思う。

中学生ぐらいから、女の子は少人数で行動するようになる。
親友と呼べる人数は2.3人に絞られてくる。
親に話せないようなことも、親友になら話すことができる、信頼できる友人。

高校や大学、専門学校では信頼できる人と社交的にそつなく付き合う友人と分け始める。
社交的に付き合うことが、社会で生きていくうえで大切な事でもある事を学び始める。

学業を終え、就職し、社会人となると好き嫌い関係なく職場では付き合っていかなくてはいけなくなる。
もちろん、職場で親友と呼べる人との出会いがあれば、それが望ましい。
が、私の場合、学生時代の親友ほど職場では信頼できる友人には巡り合わなかった。

そして、結婚。
既婚後、妻となり母となり社会から離れての生活となると出会いは
子供を通じての母親同士の付き合いが主となってくる。
個人としての○○さんではなく、○○くんのお母さん…としての付き合い。

お互い家族もあり、話す内容、自分の言動はすべて夫にも影響する。
そうなると、当たり障りのないような話しかできなくなる。(ような気がする)
学生時代のように、開けっぴろげな話はなかなかできない。
学生時代の友人もそれぞれ、結婚のタイミングや子供の年齢、生活もさまざまで
それにより、連絡を取り合って会っていたのは結婚後何年までだっただろう...。

そんな中、私は偶然一人の友人と出逢った。
その友人とは、当時スーパー銭湯に行くのがマイブームで‘サウナ’目当てに毎日のように行き
そこで出会った友人だ。
後になって、長男同士が同い年で同じ小学校。 しかも住まいもごく近所だという事を知る。

出会いが子供を通してではなく、また夫同士も関係なく、個人として出会ったためか
意気投合してからはみるみるうちに親交が深まり、その後は
子供同士も、そして家族ぐるみで交流したりしながら、かれこれもう10年ぐらい友情が続いている。
その彼女には、何でも話せる。
学生時代のように、開けっぴろげに本音で話せる。
時には眉にしわを寄せたくなるような話もあったかもしれないが、彼女は聞いてくれるし
率直な意見を述べてくれる。



彼女が一度、重い病気になり急遽入院したことがあった。
私は毎日、彼女の病室に行った。
今日は忙しくて...という日は暗くなってからでも病室に会いに行った。
入院している間はずっと。

辛いことがあれば、何でも力になりたいと思う。 できることとできないことはあるとは思うが
彼女の辛い顔は見たくないし、彼女の幸せは心から願う。

友人とは...或いは親友とは...
多少の犠牲を払ってでも、その友人のために動ける人、だと思う。
相手のマイナスな部分も理解できる人、またはそこまでも含めてその人を認めることができる人
性格や育った環境、いろいろと違うことはあっても...。
それが親友だと最近思った。 そんな人はそうたくさんはいない。
学生時代、親友だった友人も、今はそこまでの友人だろうか...とふと考えた。

既婚後、一時期アルバイトでスイミングに勤めたことがある。
そのインストラクター仲間に
「○○さん(私)って、すっごい打ち解けて心開いてるように見えるけど実は、壁があって
その壁をなっかなか低くしてくれないよね」っと
ズバっと言われハっとしたことがある。
そうなのだ。
私はそつなく友人として付き合っててもなかなか壁を取っ払っていなかったりする。


性格的なものもあるとは思うが…
広く浅く社交的に友人がたくさんいる、というのもそれはそれでステキな事だと思う。
ただ私の場合、そつなくお付き合いはできるものの
社交的とは決して言いがたい性格なためか
‘広く浅く多い友人’ より ‘狭いが深く話せる少数の友人’ の方になっている。

何でも話せる相手だった友人と、今でも電話で話したりはするが
何でも全て話したりはしていない。
何でも話す友人は、気付けば私にはたった一人となっている。
近所に住んでいる彼女だ。

それでも、全てを話せる友人がいることが、私にはとっても幸せな事に思う。



*-+-*-+-* つたないブログ 読んでくださって ありがとう *-+-*-+-*