明日は母の49日法要なので、ここで一区切りつけてBlogに記します。
1/9に母の訃報が父より届く。
その時私は富山から来てた上司とミーティング中でした。
個人携帯が鳴り、「親父」と液晶には表示されている。
出ようかどうしようか迷いましたが、上司に断って受電。
13時に息を引き取ったとの事。
その後はバタバタ。
今までの経験から、「えっと今夜か明日の晩が通夜でその翌日が告別式か・・・」
などとぼんやり考えてましたが、とりあえず急いで川越の実家へ
結局、通夜が行われたのが1/16、告別式が1/17でした。
亡くなってから通夜までの間は自宅ではなく葬儀場で過ごしました。
末の妹が葬儀社に勤めていた関係で、全てはシステマチックに進み
通夜までの間も手厚く、本当に手厚く部屋をあてがわれドライアイスバッチリで
横たわってました。
納棺士による納棺の儀も初体験で、大変な仕事だなと感謝もひとしお。
祖母の形見の大島紬の着物をまとい、棺に収まります。
棺も、妹が「このタイプが寝心地いい!」といって決め、色も母の好きだった
藤色のオプションを行使し、良い感じでした。
告別式に初七日を一緒にやるのはよく目にしてましたが、リアルに超えてるじゃん!
などと思いつつ、通夜を迎えます。
九州から叔母が来たり、関東の従妹たちが来てくれたり・・・
当初父は「家族葬でこじんまりやる」と言ってましたが、そこは叔母たちに
許されるはずもなく、結局は至って普通の葬儀に・・・
葬儀場に至っては、妹が社員なもんだから、会社からの花や弔問などひっきりなし。
こちとら家族葬って聞いてたから、自分の会社関係とかも全てお断りしたのに
なんか拍子抜けしましたが、まあいいやって感じでした。
ご霊前などもいくら包むのか?わからず、全て妹の言いなり。
ご焼香のルールも分からなかったけど、全て会場の人が教えてくれた。
通夜を終え、寝れない夜を会場で過ごし、翌日の告別式も粛々と進む。
父が喪主挨拶を私に丸投げしてきたので、それぞれのイベント用のカンペを
丸暗記するのが精いっぱいだった。(^^;)
ああいう四角四面の挨拶ってなかなか経験無いから困りますね。
妹の会社の関係で、葬儀会場が入間市の施設でしたが、川越市民なので荼毘に付す
のは川越の施設。そこまでは「後藤家」のネームを付けたマイクロバスで移動。
川越の火葬場って初めて行きましたが、すごく大きくて立派ですね。新しいし
でも今後人口減少なのにこんなの作ってどうすんだろ?などといらぬ心配しつつ
会場へ
亡くなった時は悲しかったけど、半年以上入院していた母。肺炎を繰り返し
点滴のみで6ヵ月も過ごした母。夏には「覚悟しておいてください」と言われていた
(らしい。父談)ので、見舞いに行くたびにそれなりにお別れはしておいたつもり。
でも、窯の中にはいってしまうと、もう二度と母の原型を留めた人には会えなくなる
と思うと、悲しみが溢れてきて辛かったですね。
無事?焼き上がり(パンか!)お骨を拾い、骨壺へ
坊主曰く、(親指と人差し指で丸を作りながら)これ次第で焼き加減の調整が
出来るんだとか・・・
あまり強火でやっても粉々になってしまうらしく、いわゆる「喉仏」とかある程度の
原型を留めて且つ焼くのはコントロールできるというのには感心してしまいました。
(何にも経験とノウハウ、ってやつはあるもんだと感心)
ちなみに我が家がそういった心付けを普通以上に出したかどうか?は不明・・・
火葬場を後にし、再びマイクロバスで葬儀場へ戻り、今度は初七日法要と精進落とし。
そういえば、通夜の後の会食は「通夜ぶるまい」というらしい。
「荼毘中本膳(荼毘のさなかに会場で精進落としを行う事)」などの専門用語にも
触れ、色々勉強になるなと感じる。
精進落としも終わり、母の遺骨や位牌、遺影などと共に実家へ。
実家では既に葬儀社が祭壇(というのか?)を作ってて、そこへ遺骨や位牌などをセット
父は49日までその祭壇の置かれた部屋で一緒に寝るらしく、その辺の環境もセッティング
通夜の時からそうでしたが、「線香焚きすぎだろ!」と思うほど、母の周囲はいつもモクモク
あれじゃ故人もおちおち寝てられなそうな程の量で辟易しました。
そうこうする間にも、仏壇を買い、実家への弔問客に対応しつつも明日で49日。
明日49日法要し、納骨です。
49日法要から「御仏前」に変わるんですね。
私といえば、正月明け早々からあんなこんなで休みを取り、やっと仕事復帰となりましたが
今度は怒涛の連勤で一息付けたのが2月中旬かな?
仕方ないとはいえ今年の始動が丸々1ヶ月遅れた感じです。
49日が終わると次は新盆かな?
人がなくなると当分はイベント続きですね・・・
葬儀の際に作った遺影のミニチュア版を貰ったので、それを自宅に飾りつつ
毎日お水を手向け手を合わせてます。
母の実体は無くなってしまいまいましたが、空の上から見守っててね~
ずっと母の入院を支えてくれた病院の方々や、葬儀社の方々など全ての方に
最大限の感謝を述べたい気持ちです。
合掌
追伸:
我が家は真言宗なのでお経は般若心経なのですが、皆で唱えるんですね。
それにしても坊主の持っていた「チーン」と鳴らすヤツの良い音色だこと!
きっと本職用なのでしょうが、感心しました。
1/9に母の訃報が父より届く。
その時私は富山から来てた上司とミーティング中でした。
個人携帯が鳴り、「親父」と液晶には表示されている。
出ようかどうしようか迷いましたが、上司に断って受電。
13時に息を引き取ったとの事。
その後はバタバタ。
今までの経験から、「えっと今夜か明日の晩が通夜でその翌日が告別式か・・・」
などとぼんやり考えてましたが、とりあえず急いで川越の実家へ
結局、通夜が行われたのが1/16、告別式が1/17でした。
亡くなってから通夜までの間は自宅ではなく葬儀場で過ごしました。
末の妹が葬儀社に勤めていた関係で、全てはシステマチックに進み
通夜までの間も手厚く、本当に手厚く部屋をあてがわれドライアイスバッチリで
横たわってました。
納棺士による納棺の儀も初体験で、大変な仕事だなと感謝もひとしお。
祖母の形見の大島紬の着物をまとい、棺に収まります。
棺も、妹が「このタイプが寝心地いい!」といって決め、色も母の好きだった
藤色のオプションを行使し、良い感じでした。
告別式に初七日を一緒にやるのはよく目にしてましたが、リアルに超えてるじゃん!
などと思いつつ、通夜を迎えます。
九州から叔母が来たり、関東の従妹たちが来てくれたり・・・
当初父は「家族葬でこじんまりやる」と言ってましたが、そこは叔母たちに
許されるはずもなく、結局は至って普通の葬儀に・・・
葬儀場に至っては、妹が社員なもんだから、会社からの花や弔問などひっきりなし。
こちとら家族葬って聞いてたから、自分の会社関係とかも全てお断りしたのに
なんか拍子抜けしましたが、まあいいやって感じでした。
ご霊前などもいくら包むのか?わからず、全て妹の言いなり。
ご焼香のルールも分からなかったけど、全て会場の人が教えてくれた。
通夜を終え、寝れない夜を会場で過ごし、翌日の告別式も粛々と進む。
父が喪主挨拶を私に丸投げしてきたので、それぞれのイベント用のカンペを
丸暗記するのが精いっぱいだった。(^^;)
ああいう四角四面の挨拶ってなかなか経験無いから困りますね。
妹の会社の関係で、葬儀会場が入間市の施設でしたが、川越市民なので荼毘に付す
のは川越の施設。そこまでは「後藤家」のネームを付けたマイクロバスで移動。
川越の火葬場って初めて行きましたが、すごく大きくて立派ですね。新しいし
でも今後人口減少なのにこんなの作ってどうすんだろ?などといらぬ心配しつつ
会場へ
亡くなった時は悲しかったけど、半年以上入院していた母。肺炎を繰り返し
点滴のみで6ヵ月も過ごした母。夏には「覚悟しておいてください」と言われていた
(らしい。父談)ので、見舞いに行くたびにそれなりにお別れはしておいたつもり。
でも、窯の中にはいってしまうと、もう二度と母の原型を留めた人には会えなくなる
と思うと、悲しみが溢れてきて辛かったですね。
無事?焼き上がり(パンか!)お骨を拾い、骨壺へ
坊主曰く、(親指と人差し指で丸を作りながら)これ次第で焼き加減の調整が
出来るんだとか・・・
あまり強火でやっても粉々になってしまうらしく、いわゆる「喉仏」とかある程度の
原型を留めて且つ焼くのはコントロールできるというのには感心してしまいました。
(何にも経験とノウハウ、ってやつはあるもんだと感心)
ちなみに我が家がそういった心付けを普通以上に出したかどうか?は不明・・・
火葬場を後にし、再びマイクロバスで葬儀場へ戻り、今度は初七日法要と精進落とし。
そういえば、通夜の後の会食は「通夜ぶるまい」というらしい。
「荼毘中本膳(荼毘のさなかに会場で精進落としを行う事)」などの専門用語にも
触れ、色々勉強になるなと感じる。
精進落としも終わり、母の遺骨や位牌、遺影などと共に実家へ。
実家では既に葬儀社が祭壇(というのか?)を作ってて、そこへ遺骨や位牌などをセット
父は49日までその祭壇の置かれた部屋で一緒に寝るらしく、その辺の環境もセッティング
通夜の時からそうでしたが、「線香焚きすぎだろ!」と思うほど、母の周囲はいつもモクモク
あれじゃ故人もおちおち寝てられなそうな程の量で辟易しました。
そうこうする間にも、仏壇を買い、実家への弔問客に対応しつつも明日で49日。
明日49日法要し、納骨です。
49日法要から「御仏前」に変わるんですね。
私といえば、正月明け早々からあんなこんなで休みを取り、やっと仕事復帰となりましたが
今度は怒涛の連勤で一息付けたのが2月中旬かな?
仕方ないとはいえ今年の始動が丸々1ヶ月遅れた感じです。
49日が終わると次は新盆かな?
人がなくなると当分はイベント続きですね・・・
葬儀の際に作った遺影のミニチュア版を貰ったので、それを自宅に飾りつつ
毎日お水を手向け手を合わせてます。
母の実体は無くなってしまいまいましたが、空の上から見守っててね~
ずっと母の入院を支えてくれた病院の方々や、葬儀社の方々など全ての方に
最大限の感謝を述べたい気持ちです。
合掌
追伸:
我が家は真言宗なのでお経は般若心経なのですが、皆で唱えるんですね。
それにしても坊主の持っていた「チーン」と鳴らすヤツの良い音色だこと!
きっと本職用なのでしょうが、感心しました。