信じれば真実、疑えば妄想…

季節は巡り、繰り返しと積み重ねの日々に、
小さな希望と少しの刺激で、
今を楽しく、これからも楽しく

妄想劇場・特別編(知られざるニュース)

2017年03月19日 | 妄想劇場

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



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診察が終わるとおおよそ10時頃。
帰りの電車はまだ朝の通勤ラッシュの名残があって、
いつも満員です。

2~3台見送っても満員なので、
仕方なく私はいつものように片手で9キロの
子供を抱え、もう一方の手にはベビーカーと
荷物を持ち、来た電車に乗り込みました。

すると、私の姿を見たアジア系の方でしょうか。
たぶんフィリピンの方だと思います。
つり革につかまりながら「こっちへおいで」と
手招きをしているのです。

私はこんなに混んでいるのにと不審に思いながら、
その人の方に移動しました。
もちろん空席などありません。
するとその人は、たどたどしい日本語で
席に座っている女子高生に向かって、
言ったのです

「この人は赤ちゃんがいて大変だから、
席を譲って下さい」と交渉しているでは
ありませんか。
私はびっくりして、
「大丈夫ですから・・」と遠慮すると、

その人は、「あなたが座るのは当然です」と
おっしゃいました。
女子高生も気持よく席を譲ってくれました。
私は恐縮してお礼を言いながら、席に
座らせていただきました。

自分の座席を人に譲ることでさえも勇気が
いることなのに、人が座っている席を
他人のために譲ってくれるようにと言える、
そんな大きな勇気に私は感動してしまいました。

その人は、次の駅でまるで何でもないことのように、
笑顔で手を振って降りていかれました。
私にとってその席は、どんな座席より
心温まる嬉しい席でした。
ありがとうございました。・・・



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石破茂氏は、今、政権の中枢にいる自民党の
実力者です。
その父、石破二郎氏は官僚出身の政治家でした。
石破二郎氏は、官僚時代の接触で田中角栄氏と
親しい仲になりました。

その以下、敬称略)

1958年、石破は地元の鳥取県知事選に出馬して
当選。このとき角栄は、石破の娘たちとともに、
ラジオにかじりついて当落を「聞き届けた」という
逸話が残っています。

石破は知事を4期つとめたところで、当時
総理大臣だった田中角栄に請われ、
1974年の参院選に出馬、当選します。

1980年に再選を果たし、自治大臣、国家公務
委員長に就任したものの、ガンが発覚。
石破は信頼する角栄に辞表を預けたうえで、
手術に臨みました。

翌年、容態がいよいよ悪化した石破は家族に
伝えました。
「田中が見舞いに来てくれた夢を見た。
嬉しかった……」

息子の茂は目白に電話を入れました。
父の「最後の願い」を思い切って頼んでみることに
したのです。
かつて、茂はロッキード事件で逮捕された角栄を
批判していました。

しかし、父の二郎は茂に言いました。
「田中に会ったこともないのに、本当のことが
分かるのか。田中はもらってない、というのだから
もらってないんだ。

いいか、おまえに言っておく。
人を信じるというのは、そういうことだ」
角栄への電話は、父と角栄の間には
深い信頼関係があると信じての「賭け」でした。

軽井沢にいた角栄に電話がつながりました
「どうか、最後に父に会っていただけないでしょうか」
角栄は迷いなく答えました。
「分かった。必ず行きます」

1週間後、角栄が石破の入院する鳥取の病院に
現れました。
「あんたに会えて、もう思い残すことはない。
ただひとつだけ頼みごとがある。俺が死んだら
葬儀委員長をやってくれ」

角栄は語りかけました。
「何を言ってる。必ず元気になる。
……分かった。約束する」

角栄は、当時の鳥取県知事に電話しました。
「残念ながら、石破君の容態が良くない。
葬儀になれば彼の業績からして県民葬に
なるだろう。その場合は、私が委員長に
なることはできないので、君に頼みたい」

2週間後、石破二郎は73年の生涯を
閉じました。

県民葬には田中派の議員全員が訪れ、
冥福を祈りました。
葬儀では友人代表として弔辞を述べました。
「葬儀委員長をやると約束したのに、
君の実績ゆえこうして県民葬になった。
友人代表として弔辞を述べることを許してくれ」
涙ながらにそう語りかけていました

数日後、石破茂が目白の私邸にお礼に
やってきました。角栄が尋ねました。
「県民葬には何人来た?」「3500人です」

「よし、青山葬儀場でやる。3500人より
多く集める。これは彼との約束だからな」
角栄は葬儀委員長として、本当に3500人以上の
弔問客を集め、その「約束」を果たしました。

それが、最初で最後の「田中派葬」と言われる
ものになりました。派閥が主催する葬式なんて
聞いたこともない。

父は大臣までやっているから、自民党葬でも
よかった。ただ、党葬にしていた場合、
葬儀委員長は時の総理大臣、鈴木善幸先生に
なっていたでしょう。

そこで田中派の衆参両院議員全員が
発起人になって。田中先生は葬儀委員長として
泣きながら弔辞を読みました。

その後、政界を志した石破茂は、田中派の
事務局に勤務し、「雑巾がけ」をこなした後、
1986年の衆院選に出馬。初当選を飾っています。

田中先生がいなかったら、私は間違いなく
政治家にはならなかった。それは100%言える。
今頃、あの世で父と田中先生はどんな話を
しているのかなぁ……。

【「田中角栄」追憶の証言者】
「父との約束」石破茂(地方創生担当相)

・・・

Author :ゆるゆる倶楽部
http://yuru2club.com/wp/



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった




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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「死んだ男の残したものは」

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ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの
平和を願う市民の集会」のためにつくられ、
友竹正則によって披露された日本の
反戦歌の1つである。



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