信じれば真実、疑えば妄想…

季節は巡り、繰り返しと積み重ねの日々に、
小さな希望と少しの刺激で、
今を楽しく、これからも楽しく

妄想劇場・妄想物語

2017年07月12日 | 妄想劇場

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信じれば真実、疑えば妄想 


『海賊とよばれた男』のモデル!
人間尊重を訴える男がイギリス海軍に立ち向かい、
世界を変えた。日章丸事件

石油やダイヤモンドは、価値と歴史が作られてきました。 
現代でも、石油やダイヤモンドを独占している国や
企業の間で値段が決められ、一部の国の人間だけが、
裕福に生きていける仕組みになっています。 




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しかし、ほんの60年前の1950年代はもっとひどく、
世界の石油のほとんどを英国などが独占し、
考えられないような高値で販売していました。 

持っている者が、持たざる者に決して譲らない。 

世界において当然ともいえるこの欲望の構造を
変えたのは、なんと何の後ろ盾もないまま、
単独でイギリス海軍に立ち向かった日本の
民間企業だったのです。 

『海賊とよばれた男』での国岡鐵造のモデルでもあり、
日本の勇敢な経営者として世界的に愛されている
出光佐三(いでみつ さぞう)氏です。

出光佐三は、1885年の福岡市に生まれました。
出光は生まれついて病弱であり、特に目が非常に悪く、
人生ではっきりとものが見えたことは一度もないと
語るほどの弱視でした。

その生涯において独創的な発想を生み出し続けた出光は、
「生まれつき目が見えないから、よく考える。だから、
私は独創的なんだ」と語っています。

本を読むことも出来ないからこそ、とにかく人一倍、
懸命に考える努力をしたと伝えられています。
出光はエリート校である神戸大学を卒業し、当時の
卒業生は海運会社の社員になることが当たり前でしたが、
ひとりだけ石油の個人商店で手伝いとして働き始めます。

このことを、同級生からは「大学のつらよごしめ」とさんざん
非難されたそうですが、出光にとっても考えに考えぬいた
末の決断でした。

エリートとして歯車の一部になるのではなく、
小さな個人商店で、仕事の大部分を扱って勉強したい。
最終的に商売人として独立したい。
そして、金のことばかりではなく、世のため人のためとなる
商売がしたい。

日本が豊かになり、世の中が『金』のために動き出していた
この頃、出光がこのような考えを持つに至ったのは、
神戸大学で尊敬していた校長の影響でした。

校長はかたくなに、『金目当ての人間が増えたが、
決して金の奴隷になるな』と人の道を説いていたため、
このことが出光の心に深く残り続けていたと語っています。

25歳の時、出光は商店の手伝いと、大富豪・日田家の
家庭教師を掛け持ちしていましたが、日田はつねづね、
出光の人柄に尊敬の念を持っていたそうです。

出光の夢は、『つぶれかけている実家のためにも、
早く独立したい。しかしお金がない』というものでした。
悩む出光のために、日田はこんな話を持ちかけます。

「君は独立がしたくても、お金がないと言って
苦しんでいるんじゃないかね。
ところで、私が持っている別荘を売却したところ、
それが8,000円(現在の8,000万円)にもなった。

このお金は君にあげよう。返す必要もない。
利子もいらない。なにに使ったのかの報告もいらないし、
好きなように使えばいい。
ただし、必ず独立すること。そして君の弟と仲良く
経営してほしい」

出光は考えられないこの大金に驚きますが、
今こそ自分の夢を叶える時と決断し、弟とふたりで、
石油の小売店である出光商会を立ち上げます。

独立したふたりは、抱えきれないほどの夢と希望を
持っていました。

3年で8,000円すべて失う 

出光商会を立ち上げた二人に、世間の厳しさが
襲い掛かってきました。 
当初、日本石油の支店から特約を受け、機械油を
扱う商店としてスタートすることができた出光商会ですが、
世間では電気モーターが主流であり、利益を
上げていくことは困難だったのです。

しかも、金目当てではなく、商人であってもサムライのように
仕事をすると決めていた出光は、ワイロを要求してくる
人間に対し、「そんなことをしてまで売る気はない」と
突っぱねていったため、あっという間に
孤立していってしまいます。

わずか3年で、8,000円はつゆのように消えてしまいました。

お金を貸してくれた日田に対して、申し開きもできないほどの
惨敗。
出光は商会をたたむことを決意し、日田に謝罪に行くと、
日田は出光にこう告げました。

「君は、なぜがんばらない? 3年でダメだったなら5年、
5年でダメだったなら10年と、なぜがんばろうとしない? 
私の別荘を売って8,000円だったが、私の家は神戸に
まだ残っている。これを売れば、運転資金には
困らないだろう」

出光はこの日田の申し出に心の底から驚きました。
この恩人に、これ以上家を売却させるようなことを
してはならない。
出光は歯を食いしばって、出光商会を立て直す
決心をします。

そして、漁師や業者が、船に高い機械油を
使い続けていることに目をつけ、出光の軽油を使えば、
もっと安く漁に出ることが出来ると説得します。

これが大当たりして、2,3年後には近隣一帯のすべての
漁船や運搬船が、出光の軽油を使いはじめることに
なりました。ようやく光が見えた出光は、社会の闇である
石油産業の癒着へメスを切り込みます。

世界的に成功するが、敗戦ですべてを失う

当時、満州(中国)の満州国鉄では、外国資本の
石油企業が完全な独占状態にあり、日本企業が
入り込む余地のない状態でした。

機械油を高い金で満洲国鉄に買い取らせ、
ワイロなどが横行し、癒着が蔓延してしまっていたのです。
これを崩すことは並大抵のことではありませんでしたが、
出光は真っ向から理を説きます。

「高い油をわざわざ買わずとも、うちの安い機械油を
使っても品質に何の問題もない。しかし安い機械油を
使えば、国民の負担が減り、必ず国民に喜ばれるのだ」

これらの交渉が、少しずつ満州国鉄の中に味方を生み、
ついには外国資本を追い出し、出光が満州国鉄の
機械油を扱うこととなります。

その後、中国、朝鮮、台湾へと商売を進めた出光は、
社員を1,000人近くも抱え、押しも押されぬ大企業へと
成長していきました。

出光は成功したかのように思われましたが、
第二次世界大戦での日本の敗北により、
すべてを失ってしまったのです。

世界中にあった会社も、資産も、仕事もすべてがなくなり、
お金がないのに、1,000人近い社員だけを抱えて
しまうことになりました。
なにもない日本の焼け野原で、この時、出光は60歳。
歴史において知られる出光の本当の人生は、
ここから始まります。

戦争に負けた程度のことで、大切な社員を放り出せるか

当時の日本は失業者であふれ、戦争に負けために、
働くことや仕事をするなどという当たり前のことが、
とてつもなく困難な時代になっていました。

日本にいる出光のもとに、海外から何もかもを失った
857人の社員たちが戻ってきますが、仕事もお金も
ありません。当時の常識として、全員クビにするものだと
誰もが考えていました。
しかし出光は、決して一人もクビにすることはないと
宣言します。

「この終戦において、考えるべきことは、今までの敵
(アメリカら)の長所を見て勉強し、自分たちの短所を
反省すること。
そして、堂々と日本人として国を立て直していくこと。
人間は資産であり、海外から戻ってくる857人は
会社の財産だ。

出光興産が掲げるのは『人間の尊重』である。

たかが戦争に負けたくらいで慌てふためいて、
大切な資産を捨てるようなことがあってはならない」
こうして社員を受け入れるも、実際の出光興産には
まったく仕事がなく、ラジオや醤油・酢の販売、
鶏の畜産など、ありとあらゆるものに手を出しますが、
どれもまったく上手くいきません。

ついに社員たちに、『待機』を命じるしかない
状態になります。
収入がなくとも、出光は自分がコレクションしていた
骨董品や絵画を売り払い、社員に給料が
支払えるように計らいました。

出光の経営方法は前代未聞であり、社員を決して
クビにしないどころか、タイムカードもなし、
いつでも好きな時間に働いて帰って良い、
定年も設けないという考えられないものでした。

「社員は家族。家族に決まりを作るものがどこにいる」。

この出光の強い信念はきれいごとではなく、
実際に行動として示し続けています。
ある社員は、戦争が終わった後やる気が無くなり、
田舎にこもり、出光に辞表を出そうとしていました。
そこを父親からこう咎められたといいます。

「お前が戦争に行っている6年間、出光さんは毎月
ずっと給料を送り続けてくれていた。
働いてもいないのに、家族として。
ここで会社をやめるなら、6年分タダ働きしてからやめろ!」

そんな出光に、社員たちは自然と信頼で応えるように
なっていき、出光興産がふたたび立ち上がる
原動力になっていきました。

正しく生きていれば、かつての敵が味方になる

出光がようやく見つけた最初の仕事は、
日本を占領しているGHQの石油タンクの底から、
ポンプなどではすくいきれない石油を、
バケツリレーでさらうというものでした。

巨大なタンクの中に、縄ばしごを使ってふんどし一枚で
降りて、熱気と悪臭の中、ひたすらバケツリレーする
この仕事は、中毒、窒息、爆発などの危険を常に伴い、
体はあっというまに石油でただれていく、とてつもなく
おぞましいものでした。

だからこそ誰もやらなかった仕事ですが、出光興産の
社員たちは、出光の恩に応えるべく、やっとお金が
稼げるようになったこの仕事に取り組みます。

「仕事があるだけ幸せだ」

出光の社員たちはそう言いながら、ひたすら
もくもくとこの仕事をやり遂げ、本来では
回収できなかったタンクの底油を、1年4ヶ月かけて
2万キロリットルも回収することに成功しました。

社員たちはこう考えていました。

石油業界であれほど大企業だった、出光興産の
すべてがなくなった。
だから、もはや大企業の誇りは捨て、もう一度
石油タンクの中に帰って働こう。

社員は出光への信頼に応えるように懸命に働いたため、
その毅然とした態度がGHQの人間たちを感心させました。
社員を決してクビにしない家族のような繋がりも、
GHQを驚かせたと言われています。

再スタートを切ろうとした矢先に、出光は日本人と
戦うことになります。
出光は人間尊重を掲げていたため、石油は自由に業者が
競争しながら販売し、価格も下げていくべきだと
主張していました。

しかし他の石油業者は、昔と同じように、石油を完全な
配給制にして独占的な利益を上げたかったのです。

石油業者たちは一斉に、出光を排除しようと
たくらみますが、なんとこの状況から守ってくれたのは
GHQでした。GHQは出光の排除を不当とし、
出光が石油業に戻れるようにはからってくれたのです。

「正しい道を進んでいれば、いずれ必ず、
敵も味方になる」と出光は語っています。
しかし、どれだけ正しい道を歩んでいようとも、
敗戦直後の日本の経済は厳しいものでした。

出光興産以外の、日本の石油業者すべてが
外国企業の支配下に置かれ、出光はたった一社だけ、
日本の企業として孤立することになります。

また、当然ながら海外資本にとって、出光の存在は
邪魔でしかありません。出光をつぶすための
数々の工作が行われます。

海外諸国が、出光に石油を販売してくれなくなりました。
石油業者でありながら、石油がなく、売ることも
買うこともできない状態。出光はもう終わりだろうと
誰もが噂していました。

欧米石油資本との戦い

誰も出光に石油を売ってくれない。すべての道は
閉ざされた。それなら、自分で巨大タンカーを作って、
石油を売ってくれるところまで買いに行けばいい。
海外には、独立して石油を販売している会社もある。

自分で巨大タンカーを作ってそこまで行けばいい……
しかし、敗戦直後の日本は、物資などなにもないような
状態で、政府が決められたわずかな物資を
『配給』している状態でした。

特に船などは海運会社が奪い争っており、ただの
石油会社に配給するような物資もお金もありません。
出光は政府におもむき、経済安定本部の金融局長に
直接訴えます。

「日本に14あった石油業者のうち、13が海外資本の
支配下に置かれ、言いなりの値段で石油を販売しています。
高い。とにかく、高い。
質の悪いものしか流されてこないのに、それでも高い。

石油はなにをするにも必要な物なのに、今のままで
どうやって国を復興させることができるでしょうか?
私は、13の石油業者に対し、ただ1社の日本企業として
戦っています。

私がもしも自分の会社のことだけを考えれば、
13の企業と同じように海外資本の傘下に入ればいい。
そうすれば、1,000人の社員は全員救われます。

しかし、日本国民は、永遠に海外資本の言いなりのまま、
高い金額で質の悪い石油を使い続けることになるでしょう。
私に、タンカー建造のための費用を頂きたい」

金融局長は、出光の申し出を受け、出光興産に
タンカーの建造を許可しました。
こうして作られたタンカー『日章丸』は、なんと
規格外れの世界最大級。

当時のタンカーは12,000トンが相場でしたが、
『日章丸』は18,500トンという巨大なものだったのです。
出光は世界最大の『日章丸』を使い、海外資本の
息がかかっていない、独立系企業との取引に挑みます。
アメリカ西海岸を渡り歩き、独立系企業から
石油を買取り、日本まで戻ってきたのです。

この行動には、日本のみならず、アメリカ国民をも
驚かせました。
敗戦国であり、焼け野原で過ごしていた人間が、
まさか世界最大のタンカーを作り出し、海を渡って
自分で石油を買い取りに来るなど、夢にも
思っていなかったからです。

『日章丸』は、安く買い付けした石油を、『アポロ』という
名前で日本国民に販売し始めました。
素晴らしく質が良く、しかも安い『アポロ』は大人気となり、
同時に、人々の目を覚まさせたのです。

「こんなに安くていい物でも利益が出るのなら、
今までの外国企業に買わされていた石油は
一体何だったんだ? あんなに質の悪いものを、
敗戦国だからと、言いように高値で売りつけられて
いたんじゃないか…」

これを見た海外の石油企業たちは、当然『アポロ』の
人気を喜ばしく思っていません。
彼らはこう考えました。

出光が、自分のタンカーを作ってまでアメリカの
独立起業から買い付けを行うのならば、二度と
どこからも仕入れられないように圧力をかければいい。
出光が世界のどの企業からも石油を買えなくすればいい。

こうしてアメリカの独立系企業には、欧米石油資本から
とてつもない圧力がかけられ、どこも出光には
石油を販売しなくなりました。

せっかく作った巨大タンカーが活躍できなくなり、
出光はまたも危機に追いやられたのです。


つづく



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 
  知りつつ、こうして、こうなった 




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、  人生、絵模様、万華鏡…


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