Camomileの散歩道

クリスチャン主婦カモミールの日記。日々の気持ちを整理していけたらいいなと思い、始めました。

答えは!

2007-05-17 | 学び
今日は午前中、火曜日に覚えた記憶実験の結果を試してみました。
世界各国の人口上位10カ国の名前を、1-10番までの数字にあわせて決めたイメージに関連付けて覚えるという実験です。
さて、結果は見事10個とも覚えていました!国の名前という、そんな難しい言葉ではなかったので覚えやすかったかもしれないですね。
でも確かにイメージに関連付けて覚えると、記憶に残りやすいんだなと思いました!
ちなみに人口の多い国10カ国は、何だと思いますか?ちょっと考えてみてくださいませ。
答えの前に、昨日撮影したバラの写真を載せますね~



   

昨年もご紹介した、教会近くの商店街の一角にあるバラコーナーです♪
今年もたくさんのバラが咲いていました

ではでは、10カ国の答えです!(ちなみにデータは2000年のもののようです)
1番はたぶんわかりやすいのではないでしょうか?

1.中国 
2.インド 
3.アメリカ合衆国 
4.インドネシア
5.ブラジル
6.ロシア
7.パキスタン
8.バングラデシュ
9.日本
10.ナイジェリア

国の大きさから予想できるところと、また日本のように小さな国でも10位以内に入ってしまうのですね~
ちなみに人口密度はこんな感じでした!日本が一番かなと思ったけど、違うんですね。都市で考えたら、東京は一番になるのかな?
1.バングラデシュ
2.韓国
3.オランダ
4.日本

今日は午後は約束があり雨の中出かけてきました。約束の場所に着くころには雨もすっかり上がり、とある公園でしばしお話をしました。
最初の写真は、その公園で撮影したものです。今日はデジカメを持っていかなかったので携帯で撮影。雨が上がるのだったらデジカメもって行けばよかった!だってかわいいルピナスさんがたくさん咲いていたのですもの

今日取り組んだのは・・・

2007-05-15 | 学び
今日は自宅学習の日でした。
通信制大学の心理学部3年生に編入した私、GWがあけて先週からようやく授業に取り掛かり始めました。
今日は同じ大学の他の学生の方々の書き込みをいろいろ読んでみました。みなさん仕事をしながらとか、子育てをしながら学ばれているのですよね。両方やっていらっしゃる方もいて。それらをみて私もがんばろ~と思えました。
ただこの「頑張る」という言葉、あまり使いたくないですよね。まあ私のようにのらりくらりと亀の歩みでやっているものにはいいのですけど。(時々気合入れないとなかなかエンジンがかからなくてね
先日こんなことを聞きました。「頑張る」の反対語は何か?それは「感謝する」だと。いいですね~、感謝する。学ぶ機会が与えられ、また何よりも学びたいという気持ちが与えられているのだから本当に感謝です♪
今日は認知心理学の第一回目のレポートに取り掛かりましたよ。ペグワード法というものを用いての記憶実験です。今日は世界各国の人口上位10カ国を記憶しました。これが明後日どれだけ覚えていられるかという実験レポートです。どういう結果になるでしょうかね~。
何かを記憶する時、何かに関連付けていると覚えやすいようですね。とにかくよくボーっとしている私にはいい学びとなることでしょう

*今日の写真は日曜日に教会に飾られていたバラの花です。と~ってもいい香りがしておりました。バラといえば、今日廊下に何年も前からつるしてあるバラのドライフラワーのゴムが切れて落ちてきました。そのバラを拾って香りをかぐと、まだバラの香りがするんですよね~。たぶん6年前のバラだと思うのですが、ドライフラワーになっても香りが消えないなんて、バラってすごいですね

山茶花とレポートの話を少し

2007-01-12 | 学び



今日は午前中教会の「女性のための聖書研究会」に出席してきました。みなさんとビデオをみて、それについて分かち合い、お昼を食べて2時近くまでおしゃべりタイム。最近のいろんな事件のことや、朝○新聞にここのところ連載されているロストジェネレーションの話や、いろいろと。
先日提出した「人間論」の最後のレポートでは、「宗教と人間論」ということで仏教とキリスト教両方にふれながら人間について考えてみました。そのテキストでキリスト教の人間観についてこんな風に書かれていました。
「人間は自己自身で完結的に存在しているのではなく、主(しゅ=神)の呼びかけに対する応答として存在している。そして重要なのは、応答性においてこそ、人間はその全体性において捉えられうる。」
また、人間が人間だけで自己完結的に生きていこうとすると、上手くいっているときはまだいいかもしれませんが、自分ではどうすることもできない何かにぶつかった時、世の中の理不尽さにぶつかった時、希望を持つことが実に難しいような気がします。そして人間はどこまでも自己中心的で、主観と客観ということにおいても、この客観性さえ自分の主観の影響を受けているものだとも書かれていました。
結局この科目のテキストでは、宗教心を人間は持つことが大切なのではないかという結論でした。(たぶん)
あまり上手くまとめられませんが、いろいろな事件がおこり、この先日本はどうなっちゃうのだろうと思うような中にも、聖書が与えられており、イエス様の希望の光がある、その光に導かれて、希望をもって歩めるということは感謝なことだなあと思いました。あきらめず、どんな中にあっても絶望したままでは終わらない、希望の光
何のために生きているかわからない、何の希望もないと感じていらっしゃる方々にも、ぜひイエス様の救いを知ってもらえたらなあと思いました。

おしゃべりタイムを終えると、私は走って銀行へと向かいました。途中、通り沿いのマンションの植え込みにまたまたきれいな山茶花の花が咲いているのを発見!
立ち止まって思わず撮影。最初の写真もその時のものです。

      

その後書道の先生宅へ。
展覧会会場となっている病院のロビーにも立ち寄りました。
実は今回はもう1作品書いていました。
みなさまの優しいお言葉に甘えて見ていただいちゃおうかな^^
私の好きな聖書のみ言葉です

    
わたしの目には
あなたは高価で尊い
わたしはあなたを愛している
(イザヤ43:4)

『啓蒙主義の人間観』と『ヘーゲルさん』

2006-09-07 | 学び
先月何とか仕上げた『人間論』のレポート2を、ちょっと簡単にまとめてみたいと思います。(文章下手なので、意味がよくわからなかったらごめんなさい^^)

そもそも〈啓蒙〉とは何ぞやという感じですが、これは権威の偏見や俗信からの思想の解放のこと。それまでのあり方に対して、批判的に自由な思想態度を確立。啓蒙主義者は、何でもかんでも信じるのではなく、理性を働かせて暗いところに光をあてよう!と市民に呼びかけたのでした。17-18世紀のヨーロッパの話。
その始まりはデカルトという人が言った「我思う、ゆえに我あり」(思考する私)。ここから初めて西洋哲学において〈自我〉、〈自己意識〉が考えられるようになり、身分制という社会関係のしがらみを取り去って〈人間〉そのものが語られるようになっていったのでした。
啓蒙主義の時代は、〈人間の時代〉、〈理性〉の時代と言われましたが、この人間観は、人々を個人主義化していったのでした。
この啓蒙主義の人間観の問題点を指摘した人がヘーゲルさんでした。彼は、人は近代の個人主義という名の私生活化に生きるのではなく、公的生活にこそ生きる意味がある、と言い、〈公共〉ということを初めて唱えた人でした。
啓蒙主義者たちは個人の自由を語り、そしてヘーゲルさんはそれだけでなくそれを社会の中で媒介することこそ、真の自己実現ではないかと言ったのです。これって、自分を大切に、そして周りの人も大切に、共に生きるってことにつながるのではないでしょうか。

まあなんて小難しい話でしょう。でもこの中で私がハッとさせられたのは、現代社会でも、自分というものを大切にしながら、公共性、社会性を持って生きることは大切だということ。公共性、社会性って、実は私、あまりちゃんと考えたことがなかったんです。きっとみなさん子どもの頃から自然に身に付けているものだと思います。私の場合、あまり子ども時代にそういうものを上手く身に付けられなかったので、大人になってたくさん恥をかきながらも身に付けてきたのかなってところなのですが。。。
この公共性が身についていないと、電車の中で平気でお化粧を始めたり、平気でゴミをその辺に捨てたり、周りの人間は壁というか、目に入らなくなってしまうのでしょうね。私も高校生の時は世界は自分を中心に周っていると思ってましたもの(^_^;)あ、今の子のようなお化粧はしてなかったですよ(笑)。でも授業中平気で寝たり、ちょっと危なかったです^^大学生になって東京に来て、自分の社会性のなさ、無知さを感じでどんどん自分に自信がなくなり、生きるのが辛くなっていったあの頃。。。
その数年後にカナダにワーキングホリデーに行って、神様に出会い、私は生まれ変わったからいいんですけどね^^

まとめ:今回のレポートでは、公共性の大切さをあらためて教えられました。

最後に:そして聖書では、今日の話のず~っと前から自分と他の人を大切にすることが教えられています。

※せっかく学んだことだったので書いてみました。私なりのチャレンジです^^最後まで読んでくださってありがとうございました。

終わりました~

2006-06-18 | 学び
ようやくレポート提出できました
なかなか更新しない中、気に掛けて覗いてくださった皆様、ありがとうございます☆
レポートは2000字ほどのものでしたが、まず教科書に書いてあることを理解するのに本当に時間がかかりました^^でもこんなにゆっくりじっくり理解しようと取り組めたことは、私にとってよい経験となりました
『人間論』という授業の「ギリシア哲学とユダヤ・キリスト教の人間観の違いについて、ロゴスと被造物としての人間という視点に着目して説明せよ」というような課題でした。古代ギリシアから中世を越えてルネサンス期のヒューマニズムまでという範囲で、一つ一つことばの意味から調べないとチンプンカンプンの世界???でも今回思ったのは、人間は古代昔から、人間とは何か、いかに理性を働かせて生きるべきか?みたいなことを一生懸命考えてきたのですね。
特に興味深かったのは、聖書における人間観で、教科書の中にも人間の自由についてこんなふうに書かれていました。
「人が自由な存在として他者との応答に生きるためには、他者との境界を犯してはならない。人が他者を自己の中に取り込んで、なおこれと応答関係を持つことは不可能である。ところがもっぱら自己愛に生きる人間は自己の生を拡張しようと欲して、他所との境界を破るのである。それゆえ人間は超えてはならない境界が神の権威を持って、戒めとして与えられる。」
そうか、聖書の中でも神様は境界線の大切さを教えてくださっているのですね。ゆりりさんのひねうさぎのほぼ毎日でも、境界線のことが紹介されていたので是非こちらもご覧ください。
私の育った環境は、この境界線が本当にあやふやだったなあと思います。それでずい分と自信のない人間に育ちましたし、私自身他の兄弟の境界線を犯していたと思います。でも25歳の時に神様に出会い、それから本当の自分の人生が始まったと思っている私は、ようやく頭が高卒くらいになってきたのかな~?^^実際の大学生時代は、本当に何のために勉強するのかわからず、バイトばかり遊んでばかりいたので、今その時のやり直しを始めているのだと思います。ただ脳細胞の方はすっかり減ってきていると思うので、ゆっくりじっくり、マイペースでしかできませんが^^
通信制大学の2科目授業を取っていますが、続けていけそうだったら来春3年生に編入を考えています。でもその後2年で卒業するのは、仕事も家事も教会もあるので、ちょっと難しいと思う。たった一科目で今回こんなに手間取ってしまったし。。。途中なかなか進まずにぶつぶつつぶやく私に、主人がこう言ってくれました。「別に今年その科目が取れなくたっていいんじゃない?何年かかったっていいさ。」と。とっても気持ちが楽になりました。私がやりたくて、考える力を付けたくて始めた学びだから、先のことは神様にお委ねして、やれることをやればいいんですよね。

とにかく一つレポートが終わりました。これですっきり♪
さあ、これからサッカーを観て、今日は寝ようと思います
また明日から、みなさんのところにも遊びに行かせていただきますね~