再就職&これが私の修行の道!

再就職して時間だけ無駄に経過しています

あーあ

2013-08-21 07:02:41 | Weblog
そして、オープンスクールの後、私の実家に行くのである。
子どもはオープンより実家が好きである。このたびのはイマイチだったらしい・・・
行けば、犬の散歩と農作業と仕事が待っている。私より戦力。
犬は子どもをみて、ものすごい反応で、散歩をねだっていた。
ちなみに散歩をしなくなった私が行けば、「なでれ」と自分が撫でてほしい場所を手の前に差し出すようになった。へんなの。
それが頭だったり、首だったりいろいろなんですけど、かわいいからいいけど、もしかして私、なめられてる?

行けば、母が待っていてくれ、父は少し昼よりずれたので、お昼寝していた。
お昼ご飯を恵んでもらったのだが、子どもが横でイクラが出ていてほかのおかずと一緒に4杯飯・・・
朝ごはんきっちり食べていた、実習でパンも食ってた・・・が腹減っていたようだね。若いから無理ないか。

そして、何でもないと言いつつ母の体が凝っていたので、先にご飯食べてから指圧。
次に父だ・・・と思ったら、お客さんが・・・実家はお客さんが多い家で、今日は私の同級生のお母さんがいらした。平日に子どもと私がいれば違和感あって当然なので、あれこれ聞かれたので母が説明していた。ついでにお茶していかれたついでに肩を揉むことになったが、母よりひどいのだ。
自分たちも還暦過ぎているのに、まだ姑が健在ってことで、色々ストレスらしい。我慢強い方だから、自分ではおっしゃらなかったが、確かに強張っている。
こりゃ、父のまでやって仮眠取らないとやばいなあ…色々。

この家はどういうわけか、お客さんが多くて、最近は同級生の親に会うことが多い。
実家に普段止まらないごっついアメ車が止まり、行けば私がいて、皆驚かれる。私についで子供のことを聞かれて「これですけど・・」と指さすと
「なんて大きい子供がいるのだあぁ・・・」みたいなことになる。
そして、これがおじいさんおじいさんとなつく子どもだと知って、皆唖然とする。

お客さんも帰られ、父も起きたので、今度こそ指圧・・・
人の体ってよくできてると思う。
今日は1時間半。せっかちがその時間を取られることを嫌うのもわかっているが、自分の体調の悪さも自覚しているから、半分はおとなしく受けてくれるようになったが・・・
「わしは死ぬかもしれん」というから、手相見たんだけど、何が何が、今のところ、ぽっくりはないと思うのだけど。
確かに災難食らうしるしはあったけど、死なないと思う・・・ほかの線が良すぎるんだもん。

手の色もきれいだし、顔色も確かに疲れてはいるのは間違いないけど、ひどい顔色でもなく、部分的に悪い感じ。
だけど、子どもがかわいい小さい子供でもないけど、あんなのでも来たら癒されるようで、この日は母の指圧をしている際に、私のふりをして、母の足の裏を思いっきり踏んでいた。あっさりばれてお母さんに怒られていた。まだ茶目っ気があるうちは大丈夫だろう。
そして、子どもが母に頼まれて、農作業を手伝ったそうだ。

そして、指骨折の父と腕相撲をしていたが、そんだけのハンディがあってもまだ、子どもは勝てない。
この二人は会うたびに腕相撲をするのだが、長年鍛え続けた父には簡単に勝てず、しかし子どもの腕力が他人と劣っているわけでもないので、やはり父が強すぎるのだ。1年以内に勝てば1万円がご褒美で出るそうだが、簡単に勝てないだろうと思う。
そして、この二人はあまりしゃべらないけど、会話が成立して、二人で散歩に出たりしている。へんな孫とじじの関係。

父は上の学校で、子どもが近くに来てくれたらいいなあ・・・とぼやいていたのだが、どうなることやら。

結局仮眠なし、コーヒー二杯で、大量に色々もらって、夕方には帰宅することになったが、強烈な指圧は、私に強烈な眠気をプレゼントしてくれたのである。
安全運転で、子どもが助手席に乗って寝ないよう配慮してくれたが、帰宅したときにはボロボロであった。
指圧の限度が最近分かってきた。
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甘いよ・・・

2013-08-17 21:55:42 | Weblog
あんまり詳しくは書けないのだけど、私が施術している数少ない人間の話。
施術資格を取る際に、体を貸してくださった人間に関しては、無駄に金は取らない。
そうじゃない人間からは、最低限はいただくことにしている。だが私の収入なんてあってないようなもの。

正直、国家資格を取得していない施術だから、国家資格がある人から見たら、私のそれもチャンチャラおかしいのかもしれない。
周りもそう思っている節もある。
だからって勉強怠っているわけでもないし、専門書がいくつも転がっているし、努力は惜しんでいないんだけど。
施術以外に、解剖図の専門書とかいかがわしいのまでそろっています・・・普通の人は、私が単なるおばさんだと思っているのも知っている。

国家資格は大事だけど、実際、国家資格ではないけど、あれこれ難病を治す施術とかがいくつかあるのは知っている。
私も民間のそれだが、目の当たりにしたことがある。本当にすごい人は古今東西問わないんじゃないかね・・・

その私が、数か月前からその人の食べ方とか、背骨の様子を見て、その人の体調がおかしいことに気が付いていたが、あえては言わなかった。
食べ方については、好きなものなのに、食べっぷりの悪さと、食べているのに、つまらせてるとかじゃないんだけど、のどに引っかかるような感じの食べ方していたからおかしいとは思っていたが、口に出さなかった。突っ込みいれるのが仕事ではないので。
それに全身見ているのだから、おかしいことに気づかないわけないんだけど、まあ腕があるようにも見えないし・・・仕方ないね。
ただ、定期検診を受けていたのも知っていたので、あえて言わなかったのもある。言えば無駄に心配になることもあるし。

だが本日、用向けついでに、電話でその手の話をすることになったので、その辺サクサク突っ込んだら、うろたえていた。
私には、絶対ばれていないと思っていたんだよね?たまにしか会わないし。
私だって家族があるのだから、そっちが優先されるのは当然のこと、だからって周りを粗末にするつもりはないのだが・・・
子供と家人の異変を見抜けないようじゃ、専業ぶっこいてる資格もないんだよ、本当は。施術はまだおまけの段階。
家人の仕事の関係で、定職につくのは諦めた。自分のペースで動けるものじゃないと無理。
だが家の一室をいずれ、サロンに変えてみせる。自分のペースでお客様と接するのが最終目標。
出張施術はその時、どうするかわからないですが。

話を元に戻す、私は人の心と体を見るのが仕事、その人の異変に気づかないわけはなく、でも確証があっても、自分から言わない人に突っ込むことはできず、黙って様子を見るしかなかった。医者でも何でもないからね。顔色には出ていなかったが、背骨には出ていた・・・と言うのが正しい。
来週そちらに出向くから、その時に身体は見させていただく・・・と言って電話は切った。
相手は驚いて、私が見ていないようで、あれこれ見ている性格なのは知っていただろうが、これほどとは知らなかったようで、たじろがせてしまいました。「知ったのか・・・見てないようで相変わらず見ているな・・・」って、うならないでよ。

残念ながら、私は自分の能力を悪用出来ないようで、人助けのためなら、この能力は遺憾なく発揮すると、最近では周りの人間が、「○○さんの様子がおかしいと思ったら、先にご一報ください」とかそんなん。

まあいい、来週顔色と体と手相でもみてりゃわかるでしょ。私はやばければ、ちゃんとしたところに行きなっせとしか言えないのですがね。
何でもいいが、私は神様でもないが、大事な人たちには長生きしてもらいたいんだよ。それだけ。さーて気合い入れますかな。
そして、当時病床のおばあちゃんに、今だけの技術があれば、少しは苦しい思いしなくて済んだのかな・・・と思うからこそなんだが。
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なくなるわけないか・・・

2013-08-15 11:09:11 | Weblog
嫁いびり・・・・もしくはそれらしきもの。

実は、ここ数日、以前に購入していた全国の郷土史みたいなのを、虫干しして、軽く手入れして、ついでに暇つぶしに読んでいるのだが・・・
その本は、昭和初期の各地の日本がこんなだった・・・と当時を知っている人に色々教えてもらい、聞き書きしたものである。さすがにもう聞いた方々は鬼籍の人だと思う。

その本は主に地域で食べられているものをメインに書かれているのだが、中には「嫁いびり当たり前」的なこともちらほら出てきて、その発想が残っている輩なら、空気か、自分がされてきたことと同じようなことをやるわけだと妙に感心してしまった。
例えば、田植え時期、昭和初期に機械では植えませんから、女性が苗を植えていくわけですけども、それで嫁いできたお嫁さんの手が遅かったら、ほかの者がいびる(いびる必要はあるまいに)、田んぼのあと、川で汚れた手足を洗うけど、年功序列で暗黙で場所が決まっている、この序列こそが、今まで秩序を守ってきた部分もあると思うが、行き過ぎもあるんだ、これまた。
これら各自脳みそが引き継いできたら、なんだか恐ろしいものがある。
自分がされていやなことはやらないって鉄則だと思うのだけど。

結局昭和初期、嫁に人権たるものはなかったと。参政権もだっけ?

ちなみにあんまり書きたくないけど、私ども孫には優しかった亡くなった祖母だって、母には、実施同様の相応の財産も遺したけど、厳しいものだったそうだ。それも郷土史見たら、ああそうなんだ・・・って時代がさせてことだなあって。聡明な人だったから、祖母が現代を生き抜く状態だったら、どうかわからない。
だが、いびっただなんだはあるにしても、世間一般じゃ財産遺しただけ、ましだっつうの。
でも、これは、今の時代にマッチしない、良くないってわかれば、次からそれが出てくることはなかった。
当時は当たり前だったものが今はタブーの中に、結婚した女性に「子どもはまだか」これに尽きるような気がする。

私が一番うれしかったのは、小学校1年だか2年だかの道徳の授業で、作文を書いてくる・・・が宿題だったのだが、私だけに付きっ切りで、祖母がついて一緒に作文を考えてくれたことである。
状況的に誰か大人を独占できる状況に置かれていなかったので、それはうれしかったのだと思う。その作文はほめられたから、印象に残っているのかもしれない。でもやっぱり激動の時代に生きた人だったんだなあと。
だが、祖母には詫びなきゃならないのだ、臨終にすら立ち会えず。これだけは一番先に行って詫びなきゃならないだろうね、もしあの世に召集されたら。

家人の祖母にいたっては、大正元年の生まれだったようだが、嫁に置ける地位の低さをありありと出していた。家人母は私が嫁入りしたとき、もうこの世の人ではなかったが、私の位置づけから考えても、お嫁さんを高い位置においているわけがない!!と断言できるあたりが。
今思えば、コンプレックスの塊だったから、あの仕打ちだったのではないかと思わなくもない。
正直負け要素がないんですが?

だいたい葬式のとき、あまりに私に対しては性格悪かったので、泣く身内なんているのか?と内心いぶかられたが、葬儀当日、なんと泣き崩れた身内がいたんだよ、早朝いきなりやってきた見知らぬおっさん、私は初めてお目にかかったのだが、棺の前で「おばさん・・・おばさん・・・ううっ・・・せっかく良くしてもらったのに・・+*-/〇#$☆・・・・(後聞き取れなかった)」って、号泣気味で、こっちがドン引いたわ。私にしてみたら、いやな婆でしかなかったんだから。それなのに、棺の前で号泣しているやつなんて目の当たりにしたら、違うショックを受けるに決まっている。家人はそのとき、まだ目覚めておりませんでしたけどね。

だいたい通夜後、寝ていたら夢で起こされて、線香番をさせられた私にしてみれば、最後の最後までメリットなどありませんでした。その上死んでからも、てめーの馬鹿息子と娘にありえない仕打ちされてるんですよ、こっちは。
迷惑もはなはだしいわ。あの世に行く際、棺に何本も木刀入れてもらって、あの世に持参してそやつに向かって暴れたいよ、こっちは。嫌いです。

一方で身内びいきが強い人だったのかもしれないが。まあ、聞いてればお寺さんとか身内に物を惜しむ人ではなかったようだけど、私はいつも、賞味期限切れのものすごいものをいただいたイメージしかないんだな。

この人は申し訳ないが、家人のもう一人の祖母が私に「あなたもあの人にひどいことされたのよね・・・それは今知ったんだけども、あの人の仕打ちは、金輪際気にしなさんな。私の娘も散々されてきた。昔からでね、娘は嫁ぐ前からひどい目に遭わされてきた。嫁に行ってからもで、まあ言えばきりがない。もしかしてあなたもなのか?あんなのはもう、ぜんぜん気にしなくてよいから・・・」と病床で必死におっしゃってくださった。
正直、聞いてる話と聞いていない話があるけども、普通に聞いても、極悪非道ネタ認定ですから。

家人のもう一人の祖母は、人間が出来た人だったようで、私が嫁だからと言って、失礼な扱いは極力なさらなかった。だから非常に感謝している。
こちらの祖母には「色々助言していただき、結果的に助けていただいてありがとうございました」と真っ先に謝りに行かねばならない。病床だったと言うのに、私は家人のことで困らないでいるのは、このおばあさんのおかげでもある。

母には娘しかいないから、嫁いびりはないが、やはり狭い世界で生きてるから、おかしいとおもったことは「おかしい」と私自身は口にする。じゃなきゃ、正しい感覚で物は見られない。

そして、私はあちこちの掲示板見て、将来ああなりたくはないわ・・と思う。
そして、舅とは色々あったとも言わないが、絶縁。せいぜい自分の娘が、私と同等の仕打ちに遭ったときに気づくがよい。私が守るべきものは家族だけだから。
団塊の世代の金持ち親は、子供はあてにすんな。財産とか要らんからして。大事大事にしてきた子供のみに、面倒見てもらうがいいのだ。
私も、その代わり、子供はあてにしません。
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この時期になると・・・

2013-08-08 14:34:22 | Weblog
思い出すことがたくさんあるのだが、特に約20年前のことを思い出す。

結婚式が近かった約20年前、仕事は早々に辞めて、新居のためにあれこれと動いていた時期。
家人は結婚式の関連や家探し等の大掛かりなことはやってくれたが、基本忙しいから、細やかなことは私が、実家から嫁ぎ先まで出てきてこなしていた。
笑ったのは新婚旅行の支度まで私、母親不在の家で、衣類こそ沢山あったが、大変に手入れが必要な状態で、挙式当日まで、何だか家人の服の洗濯と繕い物に追われたみたいな・・・
新婚旅行は日本と若干気候が違うヨーロッパだったので、それらがともかく大変だった記憶しかない。
最後の方は義妹と洗濯しまくった、手洗いは私が、足ふみで洗うのは義妹がやってくれた。

それはさておき、その時期に、小学校から高校まで一緒だった同級生のMちゃんから連絡がきた。
ちなみに一緒だったけど、友達まで行くかな?って相手。何かと思えば、看護士をやっていたお姉さんから、小学校の時の担任が入院していて、自分もお見舞いに行った、私にも良ければどうか?って内容で、彼女は地元にいる人間に、しらみつぶしな状態で連絡をしていたと聞いた。正直物好きだなと思った。

そこまで親しいわけではないが、親同士は仲良しで、その方も気立ての良いかわいらしい人で、でも一緒に遊ぶこととかあまりなかったなあと・・・

連絡が来たその日、両親と祖母と妹と夕食を囲んでいて、その話をしたら、母はソッコーで「あの先生なら別に行かなくていい!!」と、実はその言葉にびっくりした。

当時新卒の先生で、多分いろんな対処が後手後手だったり、思想が違う、母にしたら普段なら「行ってあげなさい」っていうタイプの人間が、そこまで言うのだから、当時何かはあったと見た、私もそこまで好きじゃない先生だったし、えこひいきがひどかったイメージしかない、、父が「まあ顔くらい出してもいいんじゃないか?」の一言と、私も結婚前で「嫌いな奴だったけど、様子くらい見てもいんじゃね?」的な変な余裕と、結局連絡くれたMちゃんの顔を立てるだけの目的で、数日後、花もってお見舞いに行ってみた。
これがMちゃんでなければ、行かなかっただろうなあ。

お見舞いもって出向いたところで、「来るんじゃなかった」と思って帰るのが関の山だろうって思いながら、「あと少しでこの車ともお別れだなあ」と思いながら、車にのって出向いたんだけど、先生はF先生と言うのだが、病室を訪れたら、病人なので、特に優雅でもないのだが、まあイメージがすっかり変わっていたって言うか。穏やかな感じだった。ちなみに身汚い感じとかもなく、多少年は取られたのだなと、私のことはおもかげがあると、覚えていてくださったようです・・・

挨拶して、「座んなさい」ってことだったから、ベッドの脇にあるいすに座って、お見舞いのかご花を差し出した。
そして先生はおもむろに何か書いた紙を取り出し、最初に電話をくれた彼女はMちゃんと言うのだが、Mちゃんがきて、その時に自分は私たちを一番最初に持った生徒だから、とても印象深かったことや、何人覚えているかその場で、生徒の名前を書き出したという物だった。
生徒は26人、うち10人だけ最初思い出しきれなかったと、ちなみに私は覚えていた方の部類だった。紙には3段階表記がしてあり、最初に思い出した人間の苗字、次が、Mちゃんに促されて思い出した9人、あとどうしても1人思い出せなかった生徒と、分けてあった。最後の一人が思い出せなくて悔しかったとおっしゃっていた。

ともかく、Mちゃんに怒られながら思い出したと、そして、その教え子でお見舞いに来たのが、私で二人目だったこと、結婚相手は隣のクラスにやってきた臨時の美しい先生だったこと、平日の昼間だったから奥様はいらしてはいなかったが、子どもはいることを聞いた。私はどうしているのか?と聞かれたので、学校を出てから、1年2ヶ月仕事をしたあと、1ヵ月後に自分の挙式披露宴を控えていること、今は仕事を辞めて、それの準備に追われていること、落ち着いたら、葉書送りますからと住所を教えていただき、後は病人なので長居は良くないので15分で切り上げた。

ではどうだったのか?と言われれば、行って良かった・・・だったこと。自分でもこれには驚いた。
すごく嫌いな先生でもなかったけど(その前の担任がひどかったから)、一部えこひいきがひどい感じで、どうにもいい印象はなく、結婚するのでも報告して帰宅すりゃいいわ・・・くらいに思っていたのだが、悪い印象は少なくともそこでなくなったと思う。
今、入院していた先生の年齢になったけど、結局えこひいきみたいなのは、経験値が浅いゆえのことだったのだろうと、あの時のMちゃんのおかげで悪いイメージを引きずらなくて済んだのは幸いだったこと。

葉書は一番幸せそうな、結婚式の写真つき葉書を送っておきました。
先生が、どうなさっているかはわかりません。あれでも出世してたりとかはありうるだろうけど。
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