再就職&これが私の修行の道!

再就職して時間だけ無駄に経過しています

修羅場?!

2013-03-30 18:00:41 | Weblog
ここのところ、他人様の修羅場のブログとか、掲示板を見るようになり、あたしの修羅場って?!と考えてみた。

悪いんですけど、多分・・・一般の方よりは不幸とか修羅場味わっていると思いますわ。大きいのから小さいのまで。
聞いた奴らが必ず「ありえん・・・」と絶句しているからね。

口にするのも嫌でしまっておいたネタもある。

まずは子どもの時に夏休み前に遭った交通事故・・・意識が完全に戻った時は、病院のベッド。
その前後の記憶だけ全くないのである。
気がついたら、頭を固定され、あちこちに擦り傷等、そして一番はその日ご飯が食べられないと言う現実。
なんと、絶食を言い渡されていたのである。6歳のガキにその現実は受け入れられないものであった。

あるのは、気がついたら知らないオジサンに抱きかかえられて、車に乗せられているところだった。この人なんと、私をはねた人だった・・・
その時に思ったのは、「知らない人の車に乗ってはいけない」と学校の担任にあれほど言われたのに、何で私はこういう状態になっているのだ?!と車に乗せられる寸前で思うが、また意識がなくなった。そして、車なんですけど、とーちゃんは車が好きな人だったので、小奇麗な車しか知らなかったわたし、バンの後部座席に寝かせられて乗せられた記憶があるのだが、申し訳ないがありえないと子供心に思ったことである。
汚いわけでもないが、綺麗なわけでもなかった、おそらくね家人がたまに乗って帰る社有車レベル・・・あれももしかしたら社有車だったかもね。
以後、無意識に汚い車と、ドアが薄い車は怖い。
そして、今はドアが厚い外車をあてがってもらっているのはありがたい話です。

次に気がついたのは最初の病院の診察室のベッドの前にかーちゃんがいたこと。
次にかーちゃんの車で一旦病院から指定された病院に行くことになったのだが、足が震えて、何とか連れ帰るのが精一杯だったかーちゃん、隣の家のオジサンが指定の病院まで連れて行ってくれた。隣の家のオジサン、最近亡くなった。ちなみにその時とーちゃん、80キロ離れた現場にいたのですが、車ぶっ飛ばして、慌てて帰ってきたそうです。

そして、何でご飯が食べられないのか?と思ったのだが、病院の院長先生、子どもが食えないのは気の毒だと思ったのか、夕食に重湯が出てきた。
私はその存在すら知らず、なんじゃこりゃ!!と思った。付き添っていたかーちゃんが説明してくれたけど、自分の置かれていることはいまいちわからず。

次の日から、同級生の親とか、親戚とか、校長先生とか担任とか、特に加害者と呼ばれし人が訪れるのにもびっくりで、特に加害者の方は、毎日仕事帰りに見舞いに訪れて、あれこれ置いて帰るようになった。一つだけ完全に記憶にあるのはレモンケーキ・・・だが、私はそれを見るたび、そいつを思い出すので、ここ最近までつらかった。食べるのも辛かったんです。それすら吐き出すことも出来ず、今吐き出す段階ですら、かなり泣きが入っている。

そして、毎日朝夕の点滴に注射、動けるのに病院のベッドに縛り付けられたのは1週間、ありえない日々だった。
元気なもんが動けないってありゃ、拷問ですよ。
でももっときつかったのは、私をはねた人が毎日苦しそうな顔をして訪れることで、この方、以後しばらく脳波の検査があれば、必ず顔を出していた。それを思えば到底恨む気にはなれず、だが、本当の修羅場は以後、バンバン出てくる後遺症だった。

そして今だから言えるが、母もその方と対応しなきゃならないのは決して楽ではなかったであろうと言うこと。
本来なら父が請け負うネタだったのかも知れない、世間では。ただ、父は多忙だった。って言うか、相手の方と父と対面しているのだろうか。怖くて聞いておりません。何せ父は今でこそ孫に大甘ですけど、当時は怖い人でしたから。

そして子どもだから、しんどいだけでしかない。
頭痛はする、身体は重い、朝はしんどい、誰も理解してくれなかったし、理解する知識も医者ですらなかったこと。
同級生にはからかわれる、しんどいのを理解してもらえないから、部活もサボっているとかそんな感じ。理解がないって言うことは恐ろしいことなのである。医者も登校拒否だと決め付けておりました。

これを初めて理解してくださったのは、思春期に入ったとき、後遺症で椎間板ヘルニアが出た際、医者は手術と言ったのだが、見かねた親戚が紹介してくれた整体だったのである。
そこの先生が初めて、一緒に同行していた母に言った一言である。
「子どもは嘘をつきませんよ。この人がしんどいって訴えていたのは事実でしょう。この嬢ちゃん(わたし)は本当にしんどかったんだと、医者もデータに出なきゃ理解できないだろうし、それにこの件だと、おそらくデータには出ないだろうし、本当に苦しかったと思います」と。
だが、母も苦しかっただろうと思う。理由がわからないんだもん。親にして見ればこんなきつい話はないだろうと、改めて思う。
以前自分が勉強不足だったばっかりに、子どもと自分が苦しい思いをしたことを吐露したことがあった。って言っても、当時は資料がないだろうし。
今ならネットで調べられると思うけど。

ちなみにここにかからなければ、たった一人でも子どもには恵まれなかっただろうし、ずっと理由がわからないまま、しんどいままの人生だったのだろうと思う。だから、結局この道なのだと思う。
家人もそのことでわたしをなじったことはない。
幸い、人にも恵まれたのだろうと。

だが・・・トラウマは吐き出したらいかんね・・・しばらく苦しい。
誰にも言わなかったことがちらほらある。家人ですら知らない。親ですら知らない。
もしここ見た人がいらっしゃるなら、くれぐれもう打ち身等は後から、古傷出るから気をつけてくださいとしかいえない。

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知らず知らずで返ってきたお金

2013-03-06 11:32:11 | Weblog
・・・というのが私には実はある。

でも、見えている形ではなく、見えない形だった。
私は数年前、祖母の遺産の一部を母から貰った。
祖母の遺産は私にはきてないですけど、別に遺品貰ったからそれでいい。
でも、母は嫁と言う立場なのに、実子張りに貰ったから、私どもに還元してくれたのだと思う。

母はくれる時に、その一部で、「あんたはこれを足しにして学校に行きなさい」と言ってくれたのであるが・・・
それと少しを、子どもに使って欲しいと言うことだった。
子どもとは曽祖母と祖母からと言う事で、G-SHOCKを購入した。今も大事に使っている。
家人にないのは気の毒だったので、こっちは新しいバイクのヘルメットに、私は自分のブレスレット(一生もの)を購入した。
残りですか?これ買ってもまだあったのですけど、問題は消えた内容である。

家人の亡くなった祖母の家から仏壇を義弟の家に移すことになり、私どもには事後報告な上に、姑がいないこの家ではどういうわけか私が必ず貧乏くじを引くのである。つーか、義弟嫁にやらせたらいいじゃん。子どもが小さいから私にやれってさ。正直義妹は私と一回り年が離れていて、それでももう20代なのだからそっちを使えば良さそうなもんなのに(いやまあ使いもんにもならないだろうけど)、葬儀だなんだで結局茶出しを私に押し付けてくるのである。
この時もそうで、でも義弟の嫁も、急に嫁いできたパターンでたいした支度はして出てないだろうと踏んだ、私も鬼だから持ち物見れば、家の格位わかるのだが、たいしたことない・・・と一発で踏んだ私は、その場で舅にマシンガンのように攻め立てた。

「まず、僧侶に出す茶のセットあるんですか?ふたつきが原則です。(宗派に寄って違うかもしれませんけど)それ(義弟宅に)あるんですかぁ?(ここれで既にないと踏んでいての発言。だって格式高い家のお嬢さんではないし。家人もろとも恥をかかせた舅だから容赦はしない)ついでに、お客さま用の茶器のセットまともなのがあるんですか?それと、この私に茶を出せはわかりました。ですが、茶菓子の用意はどうなさるんです?」

はっきり言うよ、舅・・・女じゃないし、団塊の世代の典型的大事大事にされた典型的なアホだから、私の親と違ってそれなりの家の当主でも無いし、親と違ってそう言う作法が身についてないのもわかりきっていて、そんなところまで100%気が回らないに決まっている、いつもお母様とお姉様にやってもらってたんだから、当然といえば当然で、さすがに嫁のマシンガントークで、たじたじとなったようですけど、
「茶器はないと思う・・・」 だせー!!どんな家から嫁いだんでしょうね、義弟嫁は・・・でもね舅、アンタの母親だって、ずれた茶出しをしてたんだよね、実のところ、知ってるわけがないか。
「茶菓子は・・・用意する・・・」
「う・・・」
あたしはね、わからんから、ネットの掲示板で色々教えていただいて、金剛峰寺に問い合わせたらいいって教えてもらって、あれこれ教えていただいた経緯がある、努力しない奴も何も出来ない奴も嫌いだ。あたしだって半泣き状態で問い合わせたのだが、さすが名の知れたお寺さんだけあって、立派な対応してくださいましたとも。

問題はそこからだった。私もお客様用茶器は持っていたが、仏壇がない以上お寺対応の物は持ってないわけ、そしたらその遺産でそれら一式買うハメになったんですけど?!それだって、デパートで買うのだから、金額的にもふざけた持ち出しでした。家人も当時はあんまり金がなかったし、結局私のお金様が全部そのために動きました。お道具から、茶ッ葉(これも義弟嫁や舅がよういするわけがない)から、諭吉様が何枚も何枚も飛んでいきました。でも舅はありがとうすらなく、茶ッ葉からコーヒーから干菓子から用意しておいたが、一切の負担申し出等もなく、仕方ないので、ここを機に絶縁に至り数年・・・

返ってきたのは昨年9月・・・
京都旅行が発端だった。
結局旅行費用はただ、小遣いは家人が出してくれたのである。
旅行先の旅館は高級旅館でした・・・
私の懐は殆ど傷まず、実のところ知り合いの友達が行けなくなった穴埋めに私が参戦状態でしたが、その友達の方、どうしても旅費宿泊費に関して、夫婦でお金取ってくれなかった。自分がキャンセルしたら連れも行けなくなるが、連れが行くことも出来て、自分たちも嫌な思いをしなかったからってことで。私だけ丸儲け状態だったのです・・・
おそらく、そっちがお茶道具等かかった金額相当分で。
聞けば、旅行をキャンセルして、自分の舅の入院に付き添ったおかげで、京都旅行にも勝るラッキーとお金を手に入れられたそうです。でも、この方達にはいずれ御礼する機会があればと心から思う。
そして、家人からの小遣いはおそらく遺産で化けたヘルメット代金相当が返ってきた物と思われる。

だから身銭を切るのは悪いことじゃないらしいと・・・昨年9月以降、ずっと思っている。
舅からは絶対返って来ないと思っていたのだが・・・世の中わからんもんです。そして、京都で方違えでもしたのか、今まで酷かった運気が抜群に上がったのであります。
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