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花嫁修業?!

2016-08-30 14:47:25 | Weblog
最近聞かなくなった言葉である。

あれも死語になったかな。
専業主婦ほとんどいないもんね。

ではあんたは何をしたの?と聞かれても・・・わたしですら返事に詰まる。
私は21年前に結婚したんだけど、親は厳しかったので、料理掃除洗濯に関して言えば、幼少から仕込まれたと言うか強制で手伝いをさせられたと言うか。
小学校入ったあたりから、食事の準備の手伝いとか、洗濯物畳むとか、中学あたりで親が忙しければ全部食事作っていたし、それで親が確認して品数が少ないと思えば追加で指示が入るとか、親かおばあちゃんが作るとか。

ちなみに茶や花や踊りははたしなんでいない。
着付けは嫁入り前に少し習ったが、嫌で仕方なかったのである。最低限は着られるけど、結局訪問着くらいになれば着つけてもらう方が楽です。

ピアノはずっとやっていた。

裁縫は和裁は出来ないが、子どもの浴衣くらいはミシンで縫ったしってくらいの腕。
だがドレスも作れるし、編み物もコートくらいは作れます。

嫁に行く前、舅と言う生き物が「料理くらいは」とのたもうて、母が密かに鼻で笑った。
そう言うこと言うから、舅に言ってやりたいが、ご自分の娘は??みたいな(笑)
嫁にも行ってないやん。駄目よ、自分の子に仕込んで無いのに他人にそう言う事言ったら。恥ずかしいですよ。(*ノωノ)
どーせ気に入らない嫁は駄目嫁な扱いしかしてないんだけど。
私がダメかどうかはきちんと確認したら?

親戚がうちにきて、母に向かって「娘さん料理くらいは…」それも母が鼻で笑ったどころか、親戚のお母さんが「ここの家は・・・全員それなりに料理が出来るわよ(要らん事言うんじゃない!!)」と窘めていた。母を小ばかにする予定だったようだけど。
残念ながら・・・

今に比べたら全然スキルが低かったが、そこらの者よりはやっていました。
私は本気を出せば、昔の法事レベルの仕切りくらいは出来るような仕込みはされてきました。問題はそれを活かす場所がないだけです。
自分でも勿体無いと思うが、そいつを活かせるのは代々続いてきた旧家くらいしかないだろうし。

悪いけど母の代と私の代では要求されるものが違っていて。
母の代は、着付けの時におばちゃんたちが言っていたのが、「最低着物の襟を縫い付けられないと嫁に行けなかった」と。
他所の地域は知りませんが、私が居た近辺ではそれ基準だったと言う。
他にも浴衣が最低限縫えないと・・とか、実際祖母も母も茶や花の免状は持っていたようで。
祖母が学校卒業時に学校の先生が作成したと思われる当時最先端のマナーブック(手書き)が亡くなった時に見つかって、それを私がいただいたのだが、ものすごいことが書いてあった。祖母は大正生まれです。

出来なければならないこととして、袴の仕立て、着物の仕立てから、食事について食物は粗末にしてはならないが、旬の時に困るからと保存食や瓶詰の数々、自分の名前は各流派の字で書けるようにそれぞれ見本、子育て、親戚づきあい等、当時必要と思われることは全て記載されていた。
今みたいにマナーブックもなかったし、それらはかなり役に立ったと思われる。
あと、当時では珍しかった洋食等のレシピもあった。
肉が入りにくかったのか、肉の代わりに魚使ったレシピのカレーとかね。
祖母が大事にしていたことも、大事に使っているのもよくわかるものである。

今の私はわからなければネットで調べるか、地域ごとの決まりはわからなければ母に聞く。
母が元気なうちじゃないと出来ないけどね。

ちなみに子どもが結婚する時は、私は促されれば言おうと思っている。
「着ないのなら着物は作る必要はない。借りるで納得ならそれでよし。必要なものだけ持ってきてください。修業とやらもお茶やお花の必要はないけど、最低限自分達が出るであろう場所で困らない程度の知識は身につけておきなさい」と。
この辺だと外物は男が、中の物は女が用意する慣習がまだ残っているが、金出して、自分達で好きなものを買って好きなようにした方が良いと思う。
ベッドに関して言えば、高い物を購入した方がいい、シングルが良いって言うと思う。



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