ヨーロッパお散歩日記

2003年春~夏の3ヶ月間のバックパッカー日記

タンジェ(タンジール)のミントティ

2004-11-24 18:12:59 | Europe03
久しぶりに青い地中海を見た。
地図で見ると両方の陸がくっつきそうなくらい近いジブラルタル。
でも私たちが乗った船では2時間ほどかかるらしい。
最初はアフリカの海だよー!とか言って
甲板で風に吹かれたりして喜んでいたけれど
それにも飽きて座席に戻り、いつのまにか眠ってしまっていた。

しばらくすると、入国審査が始まるというアナウンスがあった。
指定された場所は客室の一角で、簡素なテーブルと数客のイス。
そこにモロッコ人のおじさん(制服らしきもの着用)が座っていて
一人ひとりをさばいていってるという感じ。
パスポートを見ながらノートパソコン(会社にありそうな普通のやつ)に
なにやら入力しているが、特に問題がなければ
ポンとスタンプを押してくれる。これで終了。
船がつけば、いよいよアフリカ上陸。ワクワクワク…

スペインのアルヘシラスから船に乗って
モロッコのタンジェに着いたわけだけれど、
どういうわけか、どのガイドブックを見てもタンジェは評判悪い。
ガイドブックだけじゃなく、これまで会った人たちも
「え?タンジェ?なんにもないよ。つまらなかった。ガラ悪いし。」と軒並み不評。
神戸出身の私は、港町は治安が悪い、なーんて表現を見ると
けっこう悲しいです。港町を嫌わないでー!

タンジェの旧市街は坂が多くてぐるぐると迷路のようで、
最初こそUくんがどこかの宿でパクった「歩き方」を見ながら
自分の位置を確認していたけれど、
そのうち、どうにかなるだろ、って思って地図を見るのをやめた。
ぼつぼつと現れる鍛冶屋、カフェ、じゅうたん屋、靴屋、カゴ屋…
ほこりの向こう側に見えるアフリカの町は古いけれど
そこにあるもの一つ一つがカラフルできらびやかで、
心を奪われてしまった。

きわめつけはカフェ・ハファ。
ガイドブックの地図はその手前で切れてて載っていないのだけれど
「自称ガイド」氏(しらないおっちゃん。
無視してもついてくるので放っておいた)が
「行ったほうがいい!」としきりに勧めてくるので
時間もあるし、行ってみることに。
坂をのぼって歩くこと20分。でもこれがもうサイコー!にいいところ。
切り立った崖の上にへばりつくようにカフェ(屋外)があって、
段々畑のように席が並んでいるので、どの席に座っても海の真正面。
緑がかった海、紫がかった海、水色の海、その上にたつ小さな三角の波。
こんなにいろんな色をしている海を初めて見た。

生まれて初めてミントティを飲んだのはここでだった。
「ミントティ」と言うと(私には「メン・テ」と聞こえる)
店のおじさんが席までやかんを持ってきて
コップにいれてくれる簡単なもの。
甘党の私ですら、口に含んだ瞬間、甘い!て思うんだけど、
(実際めちゃめちゃたくさん砂糖が入ってる!)
ミントの青っぽいさわやかな後味で何杯もおかわりしてしまう。
時々ふいてくる心地よい風とともに、暑さをやわらげてくれる。
いつまでもダラダラと海をみながらつまらない話をし続けた。

帰りにクスクスを食べて、宿に帰った。
まったく適当な店に入ったけどこれもおいしかった。
物価が高いのか安いのかもわからず(スペインよりは安い)
タンジェがどんな町かもよくわからず、
ただただ歩き回って、お茶を飲んでぼぅっとしてたモロッコ初日。
でもカフェ・ハファのすばらしい景色とミントティを味わえただけでも
タンジェに来た意味はあったと思った。
ガイドブックなんてあてにしちゃダメだ!

モロッコ前日

2004-11-10 13:51:33 | Europe03
モロッコに行くことは日本出発前からなんとなく決めていたけれど
セビーリャで思わぬ道連れができてしまった。
ミックス(男女混合)ドミで相部屋になったUくん。
初めての海外旅行で英語もほとんどわからないのに
いきなり一人旅、そして帰りのチケットを捨ててしまったという
かなりのツワモノだった。

そんな彼も体調不良には勝てないらしい。
一緒にごはんを食べに行ったら、
セラニートを食べるのにコーラを頼んでいる。
お酒を飲むとじんましんが出るから、とのこと。
日本を出てから2ヶ月、結構不規則な生活を送っていたようで
いよいよ治らないため節酒しているというのだ。
しかし好転しないため、モロッコ行きを前にして
薬を買いに行こうということになった。

自慢じゃないけど私はこれまで旅行中には
ほとんど病気をしたことがない。
(一度だけラオスの道端で原因不明のリバース経験あり)
薬を買ったことも、記憶にない。
常備薬は正露丸とバファリンとルル。あとバンドエイドくらいか。
外国ってどんなだろ、薬屋さんに興味津々でついて行った。
セビーリャに短期留学しているYくんのスペイン語辞書によると
じんましんはウルティカリアというんだって。ふーん。

薬屋さんのおばさんが奥のほうから出してきたのは
何の変哲もない、薬にしては大きめな箱だった。
でもあけてみてビックリ!
マーブルチョコレートかよ!!っていうくらい
鮮やかな(毒々しい…)赤い赤いクスリだった。
はじめはビビっていたUくんだったが、これで治るのなら、と購入。

この後、私もモロッコで薬を買う羽目になったのだけれど、
外国のクスリってちょっと口にいれるのに抵抗がある色が多い。
私は「劇薬」と呼んでた。
だってすごく効き目ありそう。
そしてなんかコワい。

そんなことでいよいよ明日はモロッコ!
(写真はアルヘシラス港のチケット売り場。)

セビーリャ雑感

2004-11-09 17:51:35 | Europe03
名物にうまいものなしってよく言うけれど
スペインに関してはあまりあたってないなぁ、って思う。
コーヒーに関してはまずいはずもなく、
(揚げたてチュロスとご一緒に。)
レストランには昼しか行ってないけど味も量も十二分。
スーパーで買った生ハムもおいしかったし、
パエリアもタパス(おつまみ的小皿料理)も悪くない
(とくにガリシアで食べたタコさいこー)。
ガスパチョは野菜嫌いな私でさえ毎日飲むほどのお気に入り。
(栄養不足で体が欲していたのかも)
そして一番のお気に入りはセラニート!!

セラニートはセビーリャの名物でハムとかトマト、
あとピーマンが入ったサンドイッチで
サルサソースが添えられてることもある。
なーんだ、そんなもの、と侮ることなかれ。
これがおいしいの。ほんと、絶対!ぜひぜひオススメ!
セルベッサ(ビール)との組み合わせは絶妙。

セビーリャには合計1週間以上も滞在したので
(好きでそうなったわけではないのだけれど)思い出深い。
細く曲がったシエルペス通りに象徴されるように
迷子になりそうな入り組んだ町並み。
そしてやっぱり迷ってしまったときに見上げる美しいヒラルダの塔。
ドラクエに出てきそうな黄金の塔
(ネーミングまでドラクエ!)やスペイン広場。
夕方になるとバルの前にどこからともなく現れるテーブルとイス。
夜になると鳴り響くフラメンコ教室のリズミカルな靴音。

そんなセビーリャを後にし、私はモロッコに向かうことにした。

白米とみそしるによる復調

2004-09-15 17:00:53 | Europe03
母親からメールがきた。
母の夢に私が出てきて「日本に帰ってきちゃった」といったらしい。
私の調子が悪いのを虫の知らせで感づいたのかな。
双子ってそういうのわかるっていうけど、
親子でもあるんだなー、以心伝心っていうか。

レンヌの友達が期末試験中だったので
1泊2日でトゥールを起点に城めぐりツアーをした。
友達に借りた「個人旅行」だけが頼り。
Rennes(レンヌ)にTour(トゥール)か、
難しすぎるぜ、フランス語の発音…。
途中、ル・マンで乗り換えがあったので、駅から出てちょっと散歩。
駅前には何にもない。でっかい犬に吠えられてこわかった。
唯一、レースのポスターだけがそれらしかった。

トゥールのユース(ここは一人部屋だった)で、
日本人発見!短期留学でこのユースに泊まってる男の子2人組。
彼らは自炊で白米とおみそしるを御馳走してもらった。
そして街の広場で一緒に飲んだ。とりとめもない話。
でも日本語でしゃべれるってホントに幸せ。
今までの調子悪さなんてすっかり忘れて、
旅行の楽しい話が舌をツルツルと滑っていく。
トゥールはこじんまりとした古くて心地よい町だった。(駅はでかい)
時間の都合で駆け抜けてしまったのが残念。

城めぐりは現地ツアーに参加したほうがいいと思った。
自分でまわろうと思っても、3、4個が限度。
そのお城の歴史やいわれなんかも説明してもらったほうがわかりやすい。
私は無計画に小旅行に来てしまったのと、
シュノンソー城をとても気に入ってのんびりしてしまったため、
3つしかまわれなかった。
でも、お城はどこも素晴らしくて満足。
あぁ観光したー!っていう充実感いっぱいで帰途についた。
レンヌの友達にお土産を買うのをわすれた。ごめん。

旅友

2004-09-14 16:30:24 | Europe03
リスボンである人と縁を切ることになった。
その人は恋人でも彼氏でも友達でもない人で
よく考えた末の結論だったけれど、
メールという、ある意味一方通行のやりとりでそれを決めたこともあり
私はそれ以降、澱んだ塊を脳の中に飼いつつ旅を続けていた。
自分の中でどんどん増幅していくその腫瘍を
きちんと摘出してきれいにしなければなかったけれど
とても自分ひとりの力では治癒できそうになかった。

酒で栄養を取る日々が今日も続いている。
末期的症状を迎えているような気がして、でもなんとか打破したくて、
日本語を介してこの状況をわかってくれる友達を探した。
それは彼しかいなかった。私の知っている人で唯一ヨーロッパ在住のひと。
メールを打って、セビーリャからバスに飛び乗った。
片道24時間の、フランスへのバス旅。

友達、といっても、「彼」とはこの旅行で知り合った留学生の子。
フランスのレンヌに留学していて、少しだけ一緒に旅をした。
今は学期末の試験中のはず。
こんな私に構ってくれるヒマなんてないかな、と弱気だったけど
そんな心配は無用だった。
メールでうまく連絡がつかなかったため、
レンヌに私が着いた日の午後、町の中、私を捜してくれたらしい。
ほんといいヤツだと思った。

少し前にアジアをフラフラしてたときは、
旅慣れてない旅人に迷惑をかけられるのを
極度に嫌う人達が少なくなかった。
自己責任、確かに大事だと思う。
でも、彼ほどでないにしても、私はこの旅行で多くの人と出会って
一緒に旅をし、酒を飲み語らい、迷惑をかけられ、迷惑をかけた。
この旅をしたのは1年以上前のことだけれど、
いまだに交流を持ってる人がたくさんいる。
いろんなヒトと出会うこと。
それは道中の風景よりもとびきりのワインよりも旅では大事なこと。
そして大好きなこと。

<>セビーリャ(スペイン)→レンヌ(フランス)

異国の地

2004-08-31 17:07:17 | Europe03
ポルトガルに入ってヴィアナ・ド・カステロ、ポルト、
コインブラ…と南下していったけれど、
強く思ったのは、異国の地だな…ということ。
要するに、すごく寂しかった。

学生の旅行シーズンでもなく、
ツアー客が来るような場所でもなく、
日本人どころか、外国人の観光客らしき人も
リスボン以外ではほとんど見かけなかった。
(だってユースほとんど一人だったもん。)

言葉もよくわからないし、
スペイン人みたいにお節介じゃないし、
なんだかポルトガルってお年よりが多くて、
強烈に孤独を感じた。
日曜日なんて最悪だ。
バスも来ないし、ネコも相手をしてくれない。
日本人のおばさんが関西弁で
ミナミ(大阪)の高島屋の話をしてるのを
コインブラのメインストリートで聞いたときは
懐かしくて涙がでた。

一人になると自分の人生のこととか
好きなヒトのこととか
ぐるんぐるん頭の中を巡って、
不安に陥ってしまう。
話し相手がいないと、特にそうだ。
そしてリスボンで死ぬほどショックなことが起こって
旅行なんてどうでもよくなった。
ぽいっと投げ出してしまいたかった。
冷凍倉庫で横たわっているマグロみたいに、ずっと眠ってしまいたかった。

それでもなんとか自分を鼓舞して南下したけれど、
ラゴスに着いた時には廃人寸前だった。ウツだった。
夜になっても眠れなくて、昼間は脳がぼんやりしている。
食事が喉を通らなくなり、お酒で栄養をとる日々が続いた。
ある日、気力だけをふりしぼって、スペイン行きのバスに乗った。

セビーリャは夕日に包まれていた。
ジャカランダが見事に咲き誇っていて
人々が楽しそうに行き交っている。
無性に日本語で話したくなった。
脳の中に詰まってるぐにゃぐにゃした老廃物を放出しないと、
一歩も先に進めそうになかった。

リマの女王

2004-08-27 12:00:10 | Europe03
スペインのVIGOを経由して、
北の方から列車でポルトガルに入った。
国際列車なんていう気取ったところも緊張感もなにもない、
田舎っぽい電車。
のんびり揺られて午後4時ごろ
ヴィアナ・ド・カステロに到着。

こんなに遅く、知らない所に到着したのは初めてだった。
私はよく夜行バスを使ったのだけれど、
1つめの理由はは宿代が浮くから、
そして2つめは移動代が安くつくから、
というネガティブな理由からだ。
でも、3つ目は、到着時刻が朝早くて宿がとりやすいから。

知らない土地で宿がない、なんて
こんな不安なことはない。
それなら予約していけばいいじゃん!と思うけれど、
予定を変更出来なくなるのがイヤだし、
電話でコミュニケーションとれるほど英語もうまくない。
ユースがだめだったらどうしようか。
いや、そんなことはないだろう。
不安を抱きつつ、わかりづらいユース本の地図のとおりに道を進む。

しかし、そんな心配は無用だった…。
いまのところ4人部屋を一人でつかっていいらしい。
シャワー室もめっちゃきれいやし、なんていいトコなん?
一気にポルトガルの好感度および私のボルテージ最高潮(←単純)
気をよくして、さっそく街を探索してみた。
しかし!!!

困ったことがあった。
言葉が全くわからないのだ。
ポルトガル語はスペイン語に似てるとよく言われる。
でも、日本語と韓国語くらい違うんちゃう、これ?
ヨーロッパ6ヶ国語会話にもポルトガル語は載ってない。
迷ったけど、食堂でメニューがわからないのがツラい。
おいしいもの食べたいんだもん。
食い意地に負け、英葡ミニ辞典を購入。

スーパーに入ったり、お茶を飲んだりして
暗くなるまでウロウロしてみた。
ポルトガルのお菓子はおいしい。
スペインやフランスみたいにお茶する、というよりは、
お菓子を食べるのが主になってるみたい。
有名なのはエッグタルトとか。
あと、物価は比較的安い。
これならしばらくポルトガルでのんびりしようかな。

サンティアゴ・デ・コンポステラ→ビーゴ(ここまでスペイン)→ヴィアナ・ド・カステロ(ポルトガル)

朝のリレー

2004-08-20 19:08:13 | Europe03
夜行バスで約8時間、サンティアゴ・デ・コンポステラに到着。
ひんやりとした朝の空気が体をつつむ。
ここはスペインの地図でいうと左上にある。
右下のバルセロナからマドリードを経てここまで、
私はスペインを斜めに横切ったような形になってる。

ローマ、エルサレムと並んで、
ヨーロッパ3大巡礼地といわれるキリスト教の町。
遠くフランスからピレネー山脈を超えて、800㎞超の道のりを
徒歩(!)や自転車でここまで来る人も少なくないのだとか。
無宗教の私もTVでこれを見て、行きたくなってしまった。

そんなキリスト教の巡礼地ということで、
もっとおごそかで高飛車な雰囲気なのかと思ってたけど
ぐるりと町をひとまわりしてみたら、
そんなことはなくて、むしろ遠くからきた人に
あったかい感じの小さな町だった。
(でも、パラドールはいかにも格式ある!といった感じで近寄りがたかった)

ひさしぶりに日本語をうてるPCを発見。
(いちおう)これでも女の子の一人旅なので、
家族に心配されないようにたまにはメールをうつのですが、
いつもはひどい英語で送るのです。
「生きてるってことがわかればいいや!」と。
(後日、ここから送ったメールの返信がきて
20数年の付き合いの私のおじさんがキリスト教徒であると初めて知った。)

アットホームな感じのバルがあったので入ってみた。
ガリシア名物(?)タコ(PULPO)を食べる。
ちょうどチャンピオンズリーグの
レアルとユベントスのゲームを放映中。
おじさんたちと一緒に応援して、大盛り上がり!の夜。

翌朝、すごい鐘の音で目が覚めた。
オスタルの窓を開けると、遠くに見えるカテドラルから
朝もやにけむる巡礼の町にガンガンと鳴り響いている。
最上階にある私の部屋から見下ろすと、
こんなに朝早くから働き始めてる人がいる。
谷川俊太郎の「朝のリレー」という詩を思い出した。

カムチャツカの若者が
きりんの夢を見ている時
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする

この地球では
いつもどこかで朝が始まっている

ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る

寝る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ


日本の家族や友達が送ってくれた朝は
スペインにいる私がしっかりとうけとめたよ。

マドリードの憂鬱

2004-08-17 14:09:27 | Europe03
バルセロナの宿で出会った男の子が
使い残しの地下鉄回数券をくれるというので
その場のノリで行くことになったマドリード。
でも、最後まで熱狂的に楽しめるものに出会うことはなかった。

それまでに出会った旅行者に「マドリードは危ないよ」と
幾度となく聞いていたので、先入観があった上に、
宿のおばちゃんが、チェックインするなり早々
マドリード市内の地図にいくつかの丸印をつけてくれて、
「ここは良くない地域だから、行かない方がいい。」
と教えてくれて、やっぱり、という感じがした。

ピカソのゲルニカを見たり、Sybilla(シビラ)の本店に行ったり、
闘牛も行ったし、もちろんプラド美術館にも行った。
自分がマドリードに行ったらするはずであっただろうことは、全てした。
でもどことなく不自由で素直に感動できない。
私が東京に住み始めて、現在約11ヶ月になるのだけれど
「新宿」に同じような感覚をおぼえることがある。
便利な都会の町がはらんでいる凶暴な危険性、のようなもの。

デジカメ取られたら困る!と毎日手ぶらで歩いたので、
マドリードの写真はほとんどない。
だから今回はマドリードのバスターミナルの写真です。
つまらない写真でごめんなさい。

移動:マドリード→サンチャゴ・デ・コンポステラ(スペイン)

三食昼寝つき

2004-08-13 14:08:51 | Europe03
旅行を通して、節約生活をしてたんだけど、
観光にはお金をケチりたくないし、
でもおいしいものも食べたいし。
で、結局スペインで定着したのがこの食事スタイル。

朝:バルで質素に朝食
昼:メニュー(定食みたいな意味)で名物料理
夜:ボカディージョ+セルベッサ(サンドイッチ+ビール)

要するに、昼だけはまともに食べようというわけ。
日本のわりといい店でも
ランチだとお手頃価格で食べられるお店って多い。
スペインも同じでお昼は6ユーロくらいで
ワインつきの定食があったりする。
その後ほろ酔い気分でシエスタに突入。
で、夕方から活動再開。
なんて幸せな生活!

マドリードからトレドに日帰りで行ったときのこと。
バスで1時間しか走ってないのに、
何かにつけて物騒な雰囲気のマドリードとは全く違う
古都と言われるだけあって、こじんまりと落ち着いた町。
すっかり気を良くした私は、午前中の観光を終えて
いつもどおりお昼ごはんを堪能し、
カテドラルの前のベンチで友達に手紙を書いてたんだけど。

「あれって日本人?」の声で我に返ったワタシ…。
薄目を開けると、ざっと20人ほどの日本人のツアーが!
そう、ワタシは仰向けで堂々と観光ポイントのベンチの上で
眠ってしまっていたのだった。
「まさかぁ」
の声に顔向けできるはずもなく、
そそくさと寝返りをうつふりをして視線を逃れた。
ごめんなさい。日本人でした。

その後ポルト(ポルトガル)でもやってしまった。
そのー、なんていうか、外で寝るのって気持ちいいんですよー。
オススメはしませんけどぉ。
いやぁ、シエスタって本当にいいものですね。
(↑ミズノハルオ風味)

移動:マドリード→トレド→マドリード(スペイン)